kawanobu日記/メキシコ周遊:グアダルーペ教会の膝行参拝と異様に長い男子用「ながし」状トイレ;ジャンル=紀行 画像1

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 グアダルーペ教会の新聖堂に入っても、ただエスカレーターに乗って褐色のマリア様の絵を見るだけだ(写真上)。この間、ほんの数秒。世界の果てからやって来ても、拝顔できるのはたった数秒なのだ。それほど「奇跡」に与りたい巡礼者が多いということなのだ。

石で膝がすりむけ、血だらけになった参拝信者たちも
 新聖堂に入る前に、異様な列を見た。
 石畳みの上を跪いたままで聖堂に進む列、である(写真中央)。「膝行参拝」と呼ばれ、かつてマリア様にお願いをする信者たちは、その敬虔さを身をもって示すために、必ず膝行参拝をしたものだという。
 中にはメキシコシティー内からずっと膝行参拝をしてきた信者たちもいたという。石で膝をすりむき、痛みをこらえつつ、祭壇まで血だらけになって来る信者が絶えなかった。ローマ教皇庁は、そのあまりにも傷ましい様子を憂え、膝行参拝をしなくてもよい、と命じたという。
 それでも自らの敬虔さと願の真剣さを表すために、膝行参拝をする信者たちがいるのだ。
 イスラム教シーア派の敬虔な信者は、シーア派の最大の宗教行事、アシュラの日に、7世紀に殉教したイマーム・フセイン(イスラム教の預言者ムハンマドの孫)を悼んで、自らの体に鎖や刃物を叩きつけ、イマームの苦痛をわがものとする行為を繰り返す。膝行参拝も、何やらそれと似ていなくもない。
 信仰とは、何と自己犠牲的なものかと思う。

長い流し台式小便器
 ところで別にグアダルーペ教会が特別ではないが、レストランや博物館などの公衆トイレは、日本とはだいぶ趣が異なる。
 最初に来た日に、到着したベニート・フアレス国際空港で小用をたしにトイレに(もちろん男子トイレだけ)に入って、昔、アメリカ中西部を歩き回っていた時の記憶が蘇った。
 男子の小用で小便を受けるのが、朝顔ではないのだ。
 水洗ではあるが、長い流し台のようなものだ(写真下)。混んでいればいくらでも詰められるし、空いている時は適度に距離をとれる。そして1回1回で水が流れるのでなく、小用をたす人がいようといまいと、一定時間ごとに水が流れる。
 この型式の小便器に最初に出会ったのが、初めて海外出張したアメリカ中西部で、だった。さしずめこの型式の小便器は、アリゾナ辺りからの伝播であろうか。

まさに超特急駆け足観光、午前中だけで3個所も!!
 さすが世界中から巡礼者が訪れる教会だ。男子トイレの「流し台」もものすごく長い。ちょうど用をたす人がいなかったので、ここで撮影した。
 我々は、この世界的聖地をわずか20分足らずで後にする。ともあれ駆け足観光もきわまれりだ。
 時間は、まだ12時前。8時にホテルをたって、メキシコ国立自治大学、そしてソカロを中心としたメキシコシティー歴史地区をあたふたと見て回り、ここで午前中最後のツアーが終わる。
 次は、どこかで昼食をとって、いよいよリブパブリが最も期待しているテオティワカンである。

昨年の今日の日記:「政治を操るアカゲザルの社会、低位のメスは生き地獄(後)」