kawanobu日記/紙の時代の終わり、ついに世界最長の歴史持つブリタニカ百科事典も廃刊;ジャンル=出版 画像1

 昔、貧しい我が家に、不釣り合いにも百科事典があった。高校生になって知識欲に餓え、奨学金を貯めてやっとの思いで購入した。その道の老舗である平凡社の世界大百科には及びもつかない、たった全8巻の百科事典であった。知識の宝庫だという思いがあったからで、実際、その百科事典でよくいろいろなことを調べた。

重くて場所を取るのが百科事典の最大の短所
 去る3月14日、2世紀半もの歴史を持つ百科事典の中の王者「ブリタニカ百科事典(Encyclopædia Britannica)」(写真)の書籍版が廃刊になることが決まったというニュースに接して、ついにブリタニカよ、お前もか、という思いを抱いた。
 たぶん今の30代以下の若者は、百科事典の存在すら知らないかもしれない。かつて我が家にあった百科事典はたった全8巻のミニ百科事典だったが、それでも1分冊当たり、かなり重かった。それが、紙の百科事典の最大の欠点であった。
 その百科事典は記述内容がとうに時代遅れになったこともあり、だいぶ前の引っ越し時に捨てた。まだウィキペディアが利用可能になるずっと前だった。
 紙のブリタニカ百科事典が廃刊になる理由の1つにも挙げられていたが、最大の欠点は前述のように重いこと、である。片手だけでは、分冊を支えながらまず読めない
 しかも場合によっては全巻で30巻以上になるから、場所もとる。例えばわが国の老舗百科事典出版社である平凡社の世界大百科事典改訂新版は全34巻で、総重量は約63キロにもなる。こんなもの、今の家庭で置けるスペースがあるのか。

2世紀半前に創刊
 そして大判のページに細かい字でびっしりと説明が書かれているから、探したい事項をすぐ探せない。例えば大項目だと細かい活字で記述が何ページにも渡るから、ある程度、読まないと探せない。それがインターネット時代になり、例えばウィキペディアでは単語で一発で検索できる。有料の電子版百科事典でも、同様だ。
 紙の百科事典の時代は、もう終わってしまったのだ。
 それにしても、英語の代表的な百科事典であるブリタニカの歴史の古さは偉大、と言うしかない。2世紀半前の1768年にスコットランド、エディンバラで初版の発行が始まり、以来、244年間、本社をアメリカに移しつつ、定期的に新版が編集し直され、連綿として生命をつないで出版されてきたのだ。ちなみに1768年は、日本ではまだ江戸時代中期の頃だ。その間、世界の知識人が物を書く時は必ず参照しただろう。
 ただ紙は廃刊にしても、ブリタニカがなくなるわけではない。今後は場所を取らない電子版だけになる。

4000人の執筆者で売れたのは8500セット
 紙版の廃刊の背景には、電子辞書の普及や、無料のウィキペディアの台頭があり、それで売れ行きが急速に落ちていた。となると、新版編集にカネがかかるだけに、苦しい。
 例えば2010年に出版された書籍版の最新版は、約4000人が執筆に加わっている。そして全32巻構成だ。
 だから場所をとる上に、高価だ。値段の1395ドル(約11万7000円)もする。しかも全32巻の総重量は、約58.5キロもある。最近のネットの普及もあって、売れた新版はたったの約8500セットだった。ピーク時の1990年の15分の1程度に落ちていたという。
 もっともこの高級感、重厚感が、逆の意味で百科事典の魅力でもあった。
 百科事典は学校や図書館の必需品であったが、アメリカの中流家庭の広い住宅のリビングルームや応接間には、調度としても不可欠なものだった。事典を引きはしなくとも、リビングに飾ってあるだけで、ちょっとしたアクセサリーになったのだ。

平凡社の紙版、世界大百科事典はいつまで?
 さて英語で書かれているだけに、ブリタニカは世界中の大学・図書館への普及が見込める。それでも紙版は売れなくなった。
 とすれば、今や日本で孤塁を守る形になる平凡社の世界大百科事典の行く末も気になる。
 世界大百科事典は、市場が日本国内だけだから、部数はブリタニカよりずっと少ないはずだ。そのことは定価から推定できる。世界大百科事典は、全巻セットで28万3500円もする。ブリタニカの倍以上である。
 ただブリタニカ百科事典は、ネット版でのサービスが続けられる。発行会社によると、今では収入の大半は有料のオンライン百科事典の購読や教材の販売から得ているのだそうだ。日本語版の「ブリタニカ国際大百科事典」も以前は書籍版で出版されていたが、現在は電子版だけだ。
 平凡社も、いずれ紙版の刊行を諦めざるを得ない時が来るだろう。
 高校生の頃から親しんだ百科事典が消えるのは、まさに時代の変わり目に居るということなのか。

昨年の今日の日記:「危機になお『我欲』をはるバラマキスト民主党と読売巨人を糾弾、そしてシリアにも民主化デモの波」