kawanobu日記/エセ市民団体による山下俊一教授の排斥を許すな、許すまじ「ルイセンコ学説」の再来;ジャンル=科学と政治 画像1

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 「市民団体」とは、悪意ある政治集団にとって便利な隠れ蓑である。特定の政党や政治集団が本性を隠して、無知の人々に自己の主張を広め、政府や特定の団体、個人を攻撃することを専らの目的とする。共産党は、たくさんの自称市民団体(「フロント」と呼ぶ)を自己の政治統制下に置いて、活動していることは有名だし、共産党よりはるかに足腰は劣るが社民党も、傘下に多数のフロントを持つ。

政治的紐付き団体による科学者攻撃と解任要求
 平和団体と称するフロントは、多い。
 原水爆禁止運動の老舗の原水協は、共産党の紐付き団体で、この党の対外方針の変遷で、常に原水協は路線を左右にぶらせ、あるいは団体幹部を除名したりしてきた。詳細は、2年前の日記を参照していただきたいが(09年8月11日付日記:「原水爆禁止世界大会の虚と実、その政治至上主義を告発する:核の傘、原水協、核禁会議、中ソ論争」)、今回、おそらく共産党、社民党が裏で糸を引く自称市民団体が、自分たちの政治的主張に都合の悪い学者を公然と攻撃しだしたことは見逃せない。
 20日、「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」、「福島老朽原発を考える会(フクロウの会)」など自称市民団体7団体が、福島県の放射線リスク管理アドバイザーに任命されている山下俊一・長崎大学医歯薬学総合研究科教授(写真上の解任などを求める記者会見を行った。

チェルノヴイリなどの治療にも当たった専門家を攻撃する狂犬ども
 山下教授は、長崎生まれの被爆2世である。地元の長崎大学医学部を卒業し、放射能のリスクを十分に知る立場であり、その出自からも放射能災害に救済と調査研究には熱心で、1991年からチェルノヴイリ原発事故による被曝者治療にも関わり、特に子どもの甲状腺がんに関しは多くの実績を残している。福島第1原発事故後の3月19日に、佐藤雄平知事の委嘱を受け、福島県の放射線リスク管理アドバイザーに就任し、県内を巡回し、原発事故と放射線の影響に関して講演を行ってきた。
 その主張は、「放射能を正しく知って正しく怖がろう」というものだ。たった1ミリシーベルト程度の被曝に恐れ、子どもたちを外で遊ばせなかったり、マスクを着用させたり、水泳授業を中止させたりすることには批判的だ。リブパブリが前から主張しているように、年間100ミリシーベルトでも健康リスクは無視できる程度と、真っ当な主張を、分かりやすい言葉で説いてきた。
 それが筋金入りの反原発派である社民党、そして福島第1原発事故以後、それまでの立場を一変させて反原発に転じた共産党に目障りに写っていたものらしい。
 それが20日の山下教授解任を求めるアピールとなった。

スターリンという虎の威を借りた野心家ルイセンコは反対派学者をシベリア送りに
 リブパブリは、彼らの態度は科学への政治的迫害として、強く非難する。とうてい容認できない。これを許せば、放射能に対する科学者の意見は、やがてすべて封殺されるだろう。言論弾圧、そのものである。
 同時にルイセンコ学説なるインチキ学説が、スターリン時代のソ連の遺伝学と農業を荒廃させた歴史を思い出した。ウクライナ生まれのトロフィム・デニーソヴィッチ・ルイセンコ(写真中央=スターリンの臨席する議場で演説するエセ科学者のルイセンコ)は、もともとは農学者であったが、スターリン主義共産党員としての方が有能で、巧みに党権力者に取り入って出世し、特異な農法をソ連の農法として強制導入させた。
 彼は、コムギの遺伝的性質を人工的に変え、耐寒性のコムギを作り出した(春化処理)と発表(もちろんペテンであった)、それをソ連農業に公式に導入させたために、農業に大打撃を与えた。批判者に対しては、容赦ない弾圧を加えてシベリア送りにした。
 遺伝学的には獲得形質の遺伝を提唱し、反ダーウィニズムに立ち論敵の科学者を弾圧した。

ニコライ・ヴァヴィロフの悲劇
 時はスターリンの個人崇拝の時代である。スターリンの虎の威を借りて、ルイセンコはソ連農業科学アカデミー総裁まで登りつめたのである。
 ルイセンコの暴虐の犠牲になった農学者、遺伝学者は多数にのぼるが、著名な犠牲者の1人にルイセンコに学問的立場から真っ向から反対したニコライ・ヴァヴィロフ写真下)がいる。彼は、中央アジアなどに遠征し、農作物の起源の研究で学界をリードした1人であったが、ルイセンコ一派の陰謀で、1940年に「ブルジョア的エセ科学者」として逮捕され、1943年に栄養失調のため獄中死するという悲劇的最期を遂げている。彼の失脚と死で、ソ連遺伝学は世界から大きく遅れ、今日もロシア遺伝学は世界水準より遠い。
 ルイセンコのエセ科学の影響は、スターリンの権威が絶大だった戦後の日本にも及んだ。日本の農学者・遺伝学者の中にも、ルイセンコ説の盲信者は多かった。幸いにも、彼らが学界の主流にならなかったのは、日本の救いだった。

プレテク理論導入を10年は遅らせた日本のルイセンコ=井尻正二
 ただ、形を変えたルイセンコ亜流は、日本地質学界で一時期主流を占めた。日本のルイセンコとも呼ぶべき井尻正二(日本共産党員)が長く支配した地団研が日本地質学会を牛耳り、井尻のイデオロギー支配のために、日本にプレート・テクトニクス理論の導入が10年は遅れたのである。
 東日本大震災の際も、海洋性大地震のメカニズムとして、テレビでも必ず紹介されたプレート・テクトニクス理論だが、共産党員の井尻により、弁証法的唯物論にそぐわない機械論として、アメリカ生まれのプレート・テクトニクス論は批判され、井尻の支配下にあった日本地質学会誌上ではプレテクに言及することすら許されなかった
 また井尻の意に沿わない地質学者は大学のポストにも就けず、研究費も冷遇され、研究者生命を実質的に絶たれた人も多かった。
 まさに戦後の自由の時代にぽっかりと開いた暗黒小宇宙が一時期の日本地質学会だったのである。

反原発という自分の意に沿わないから排斥
 このように政治が学問を支配し、従属させたことは、旧ソ連や日本地質学会に限ったことではない。文革期のスターリニスト中国でも、あるいは東欧圏でも普通のことであった。
 さて、今般の共産党と社民党のフロントの支配する自称市民団体による山下教授排斥運動である。このような策動を、自由な国の日本で許してよいのか?
 許してよいわけはあるまい。それは、まさにルイセンコ支配の再来である。
 実際、この声明のもたらす結果を憂慮して長崎大学の片峰茂学長は、23日、「山下教授は専門家として、原発事故による健康影響を一貫して科学的に正しく発言している」とするコメントをメディアに公表した。
 片峰学長の指摘しているように放射能による健康リスクについては、極端な説も含めて様々に流布し、混乱状態である。自然放射線と大差のない学校グラウンドで運動もさせないなど、行き過ぎた対策が横行している。

風評被害を広げるのは、正しい科学的知識普及を妨害する奴らだ
 それが、風評被害を生んでいることははっきりしている。
 この中で、山下教授は被曝2世の科学者として、そして長く放射線障害を研究してきた専門家として、風評被害の蔓延の防止に重要な役割を果たしているのだ。片峰学長の言うように「原爆被爆を体験した大学として支援を続ける」というのは心強いが、元バラマキスト民主党の代議士であった佐藤知事は、決してこのような不当な圧力に屈するな、と釘を刺しておく。
 フクシマ風教被害を広げるのは、真っ当な放射能の知識の普及を妨害するこのような連中でなのである。

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