kawanobu日記/出版物も超氷河期を裏付けた販売金額・点数減、ローカル言語の日本語を扱う悲劇;ジャンル=文化 画像1


 もう下げ止まることはないのかもしれない。去る1月25日に出版科学研究所によって発表された2010年の書籍・雑誌の売り上げである。
 推定販売金額は、09年に2兆円の大台を割り込んでも続落基調は変わらず、ついに1兆8748億円に落ち込んだ。ピークをつけたのは96年の2兆6563億円だったが、それから約8000億円(29.4%)ほども減っている。
 これが景気後退などの循環要因でないことは明らかで、雑誌が13年連続減であったことを見れば、構造的なものであることははっきりしている。書籍はお化けのようなミリオンセラーが出れば売上高は伸びることもあるが、書籍もまた趨勢的には漸減であって、4年連続減であった。

ローカル言語の日本語を扱うことの不利
 今後、回復する見込みは、ほとんど期待できない。
 まず少子高齢化で、読者の絶対数が減っている。一般に老人は活字リテラシーは高いが、その老人も視力が衰えれば小さな活字は読まなくなる。あれほどの該博な知識で、旺盛な読書量を誇った司馬遼太郎も、晩年はほとんどテレビだけを見ていたと言われる。司馬遼太郎の書庫は、中規模の市立図書館並みの蔵書を誇った。
 若者は、昔から言われたとおりの活字離れで、今や電車の中でも見るのは、漫画本よりiPhoneや携帯である。
 出版社が苦境なのは、ローカル言語である日本語を扱うために輸出ができないことだ。国内工場移転というグローバル化という逃げ道もない。それでもキャラクターの輸出はすでに売上になにがしかの貢献をしているが、本体の陥没に追いつかない。

単価の安い電子配信は突破口になり得ない?
 今後、iPhoneやiPadに雑誌コンテンツが配信されるようになると、そちらの売上はたつが、紙の本はさらに落ち込む。雑誌は、様々な読者に読まれるように、実に多様な分野の記事を載せ、グラビアあり、漫画ありと、ビジュアル面の配慮も怠らない。それで、例えばあの作家のあの連載小説だけ読みたいという客も、単価がさほど大きくないので、購入させることができる。雑誌は、いわばフルコース料理なのだ。
 しかしiPhoneやiPadにコンテンツを配信すると、単品、つまり単一コンテンツしか売れないので、雑誌よりもはるかに売上高は落ちる。
 どうしたって紙の売上減を補えない。今、もてはやされる電子出版も、突破口にはなりえない。

出版点数も大きく落ち込む
 上記が紙メディアの全体的衰勢を表す指標だとすれば、昨年の顕著な特徴が、新刊点数が大きく落ち込んだことだ。7万4714点で、前年より4.9%も落ち込んだ
 これまで販売金額や出版社数などはずっと落ち込んできたが、1点当たりの部数が減る対策として、出版界は点数増で売上減を補ってきた。昨年は、こちらもついに息切れして、出版点数さえも落ち込んだ。いよいよ由々しい事態である。
 壁として立ちはだかったのは、一昨年辺りからトーハンや日販などの取次が始めた「総量規制」である。返本率40%という高い数字に音を上げた取次各社は、例えば出版社が5000部刷ったとすれば、そのうち8割とか9割とか総量を決め、それしか書店に流さないと決めたのだ。
 総量規制すれば、それだけ返本は抑えられると踏んだが、はたしてそのとおりで、返本率は書籍が39.0%、雑誌が35.5%と前年よりかなり改善された。
 その代わり出版点数も落ち込んだわけだ。本を作っても、取次が書店に流してくれなくては売れない。そこで各出版社は、企画を厳選し、出版点数そのものを減らしたのである。
 一時は8万点越えも間近かと思われたが、おそらく前年の09年が天井となる可能性が高い。
 雑誌の休刊(実際は廃刊)が創刊を倍近くも上回ったこと(休刊の216点に対し、新刊は110点)も含め、リブパブリの愛した紙メディアは黄昏模様である。

昨年の今日の日記:休載