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 一昨日の土曜日は本来、六本木である方とビジネス上の目的でお会いする予定だったが、急に豚から由来した新型インフルエンザAに感染したと言って、キャンセルとなった。ちょっと発熱した程度だったが、医者から48時間、第三者と会うな、と言われたかららしい。とっくに沈静化したと思っていたが、けっこうH1N1ウイルスはしぶとく生き残っている。

豚インフルと鳥インフル、違いすぎる致死率
 ちなみにこの方は30歳をちょっと越した程度だから、ただ発熱しただけだった。その程度のフルーを、さも「死に至る病」であるかのように喧伝した研究者・医者は、世間からすっかり信用を失ったに等しい。
 ところで、この新型インフルエンザAにすっかり隠れてしまっているが、H5N1型鳥インフルエンザは、パンデミックを起こさないままに相変わらず途上国中心に患者を出している。
 先頃、インドネシア保健省は、2009年1年間の鳥インフルの同国内の感染者数を、1年ぶりに発表した。まだ人から人への感染力をウイルスは獲得していないので、感染者は極小で、1年間でたった20人に過ぎなかった。この20人は、いずれも鶏との濃厚接触者だった。
 しかし注目すべきは、その致死率の高さである。20人の感染者のうち死者は19人。母数が少ないから意味はあまりないけれども、それでも単純に致死率を出すと、死亡率95%となる。豚インフルが日本での致死率が無視できる程度に極小(カンマの後ろに0が3~4個もつくパーセンテイジである)なのに、鳥インフルの致死率の高さは突出している。

極端に高い死亡率、必殺ウイルだが
 ちなみに狼少年に近いWHOが集計した03年~09年の7年間の世界全体の鳥インフルの感染者数と死亡者数は、インドネシアが突出して多く、感染者161人に対し死者は134人(死亡率83%)である。やはり感染したら必殺のウイルスであることは、間違いない。
 ただ救われるのは、集計漏れを念頭に置いても、世界全体の7年間の感染者数はたった467人しかいない点だ。うち死者はインドネシアも含めて282人(死亡率60%)である。
 現状で見る限り、鳥インフルが人々の記憶から失われていることは、上記の数字からも至当である。

鳥インフルは人から人への感染はない?
 だが豚インフルの時に大げさに恐怖感を煽った人たちは、現在もなお上記のような致死率の高さのみを強調し、「これが人から人への感染力を備えたら……」とオウムのように恐怖感を煽り続けている。
 甘い観測は禁物かも知れないが、H5N1型のこのウイルスは、人から人への感染力を獲得しないのではないか――私は、今ではこう楽観している。
 なぜならヒトと鶏の体温が違いすぎるからだ。ヒトの場合、通常は36.5℃程度だ。しかし鶏の体温は34℃くらい。つまり鳥型に特異的なウイルスが、人から人への感染力を獲得するには、種の壁の他に体温差の壁をも乗り越えなければならない。
 いくら変異の激しいRNAウイルスでも、こうした変異を備えるのは大変なのだ。鶏を家畜化してから数千年もたつのに、いまだにそうした「死に至る病」が起きていないのは、H5N1型の特殊性に理由があるのではないだろうかとも思う。つまりH1N1型ウイルスと比べ、致死率が高いがゆえに逆に変異の程度が小さいのではないか。
 それは、自身を複製して遺伝子を次代につなげる存在にとって、変異を大きくして、強い致死性を備えたままヒトに感染しても、宿主のヒトを殺してしまうので、自らは増えていけないからなのだ。短くて単純なウイルスにも、抑制能力は「知性」のように備わっているのではなかろうか――。

アンコールワット残照
 アンコール遺跡群最後の訪問地はプノンバケンだが、その前にアンコールワット最後の場面の写真を挿絵替わりにアップしておく。
 写真上は、南の経蔵(左の人物=リポーターの後ろの石造建築)の前で、ナショナル・ジオグラフィックのテレビ局リポーターが何かを中継していた。リポーターの背景には、アンコールワットの中央祠堂が写っていただろう。
 後2枚は西参道からの風景だ。最後の1枚は、西参道から見たアンコールワット西塔門を見た光景だが、注目していただきたいのはアンコールワットを取り巻く環濠に、人が落ちないようなガードが何もないことだ。
 世界遺産なので、今後ともガードが設置されることはないだろう。酒に酔っぱらったり、友達とふざけ合ったりしての見学は、危険である。
 そう言えば、昨年2度目の訪問となったグランドキャニオンにも、絶壁にガードはなかった。
 自己責任の意識が希薄で、何かあるとすぐ国と自治体に損害賠償訴訟を提起する日本は、むしろ国際基準からずれているのではあるまいか。
 慈愛ある溺愛ママのように、国と自治体に保護・保障を求める国民性は、いったいいつ頃から始まったのか。そうした高まりの1つが、バラマキをマニフェストにした民主党を総選挙で大勝させたのだろう。