亡き人に逢える山

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 先日の日本橋とやま館で行われた立山曼荼羅絵解き解説会では、1時間以上に渡ってたくさんの興味深い話を聞くことができました。

 

“立山”はない

 誰もが口にする有名ないわゆる「立山」というものは存在しないとのことです。見渡す限りに広がる一連の山々を総じて、「立山連邦」と言うのだそうです。

ちなみに読み方についてですが、立山が出てくる最も古い文献は万葉集。そこで大伴家持は“タチヤマ”と呼んでいたそうです。以来、立山の読み方についての「タチヤマ・タテヤマ論争」は大正時代まで続き、現在はタテヤマに落ち着いているとのことです。

 

たくさんの雪

 立山にはこの時季(6月上旬)にも、たくさんの雪が積もっているとのことです。その為、台湾やタイ等の雪の降らない地域から来た観光客はたくさんの雪に大喜びで帰って行かれるとのことです。去年は記録的な雪の少なさ、その分今年は記録的な雪の多さなんだそうです。

 

話は、立山の歴史についての話に変わっていきました。

 

女人禁制

 昔は立山に登らないと一人前と認められなかったそうです。しかし、昔は女性は立山への立ち入りを禁止されていたそうです。その為、布橋灌頂会(ぬのばしかんじょうえ)という儀式があったと言います。これは、山に登れない“女人を救わんそのために”行われていたもので、真っ白な死装束を纏った女性が閻魔様の前で懺悔し、三途の川に見立てられた白い布の上を渡り、うば尊(立山の女性の神様)と血脈を結ぶといったもので、この儀式を以て立山に登ったことと同等のことに変えていたそうです。

今年、布橋灌頂会の復元イベントが行われ、女性限定でこの儀式の疑似体験ができるとのこと、現在申込受付中です。


 

 さて昔、その女人禁制の掟を破り立山に立ち入った女性3人組がいたそうで、うば尊の怒りを買い、3人のうちで一番美しかった女性が木にされたそうですが、それが今に残る“美女杉”です。また、3人のうちの年配の女性が石に変えられたそうで、それが今に残る“乳母石”、持ち物の鏡も石になりそれが今の“鏡石”の由来だそうです。

 

立山信仰の開山者・佐伯有頼氏

 由来ついでに、佐伯有頼氏は立山に初めて入った人物として有名だそうですがその経緯は、父親の大切にしていた鷹狩に用いるための白い鷹を逃がしてしまう→父に叱られる→探しに行く→立山に出掛けるといった具合。立山で白鷹を発見し捕獲しようとしたところで居合わせたツキノワグマに邪魔をされ、腹いせにツキノワグマの急所を射抜いたそうですが、血を流しながらも奥へ逃げて行く。そしてそれを追いかける→洞窟の奥へ追い込む→そこで発見したのが、不動明王に姿を変えた白鷹と血を流した阿弥陀如来に姿を変えたクマ。驚いた有頼少年は土下座し、阿弥陀如来にこのように告げられました。

「立山は、地獄も極楽もある素晴らしい山だから、日本中の人々に知らしめに行きなさい」

これが立山信仰が始まった由来だそうです。

 

地獄と極楽

 立山の見どころの一つに“地獄谷”があるように、昔の人は地獄も極楽も立山の上にあると信じており、人は死んだら立山の上へ逝き、お盆と正月に浮世へ戻ってくると考えていたそうです。

地獄は136種類あり、鍛冶屋地獄、百姓地獄等、当時の全ての職業の人に対応した
種類の地獄があったそうです。

地獄の印象ばかりが強い立山ですが、阿弥陀如来が言うように地獄の他に極楽浄土もあるからこそ、立山は素晴らしい山なのだと思います。どちらか一方だけでは成り立ちません。

今回の話を聞いたことをきっかけに、2009年に公開された立山は剱岳を舞台にした映画「剱岳‐点の記‐」を昨日観ましたが、その中でも「山と自然の厳しさの中にしかない大自然の美しさ」が描かれていました。

 

 

今日、「立山夏山開き」が行われたようです!

 

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