◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇2011.4.6.


応援団NO.139


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このたびの東日本大震災において

被害にあわれました方々へ、心よりお見舞い申し上げます。

被災地の一日も早い復興をお祈り申し上げます。


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 ・・・まずは、やっぱり、この言葉から、

この春の「応援団」を始めようと、思いました。
 

皆様のご家族や親戚の方々は、大丈夫でしたでしょうか。

ご心配な方は、みえませんか。
 


私は、あの「3・11」の日から、

ブログもこの通信も書けないでいました。

何を書いても、

すべて自分の言葉の上だけの「嘘」になってしまうように感じて。
 




私の弟家族は、関東にいるのですが、揺れはすごかったそうです。

すぐに電話をしましたが、つながりませんでした。

なんとかメールの返信でみんなの無事を知りました。

おかげさまで全員元気に過ごしていますが、

計画停電や買い占めによる品薄なども経験し、

その声からは、関東にも大きく地震の影響があることを感じました。
 


「自分にできることを考えよう」と言われます。

そのことを、私もずっと考えていました。

時間が与えられているぶん、何もできないでいる自分をずっと責め続けていました。

何もしないでいる自分がはがゆくてはがゆくて、

どうしようもなくなり、

正直何をしても楽しくなくなってしまいました。

そして、笑顔でいられなくなってしまいました。

 

私は、あの津波の映像を見たとき、

「次は、東海・東南海の番だ!」とあわてました。

とても他地域の映像には見れませんでした。


パニックにおちいったように、非常袋や懐中電灯、

電池、ろうそく、マッチ、カセットコンロなどを

家じゅうにあるものをかき集めて

「これで大丈夫だろう」と思えるまで、

半日くらいかけて寝室に荷物の山を作っていました。
 


そして、毎日のように伝えられる現実の惨状・・・。

ぶち抜きのテレビ欄。
 


私は、携帯ラジオを離さず、いつもポケットに入れて、常時聞いていました。

買い物の時も。
 
まるで、すぐにでも、この地域に襲ってくるかのように・・・。

パニックでしたね。
 


そんなときに、私はふと気づきました。

自分が「阪神淡路大震災」のときのことを、すっかり忘れてしまっていたことを。

これは、自分でとてもショックでした。

「人間とはそういうものか」ということではすまされないと思いました。

「あの時の教訓を!」と言いますが、悲しいかな、人間は忘れてしまうものです。
 


そのことを思い出させてくれたのが、

春の選抜高校野球の選手宣誓でした。

「16年前の震災のときに生まれました」・・・。

この言葉を聞いて、

今回の震災のことも

同じように月日が経ったからって忘れてしまってはいけない!

そう強く思ったのでした。

 


そして、テレビ欄も少しずつ元に戻ってきて、・・・。
 
 

少しずつ笑えるようになってきて・・・。

 

ふと、気がついたら、新しい生活を始め

がんばっている息子の背中が、見えてきました。

がんばっている家族が、やっと、見えてきました。



 結局、私は自分のことだけしか考えていなかったのではないか。



「今、私にできることは、新しい生活を始めた家族を、気持ちよく朝見送ること!」



・・・やっと、そんなことを思うようになってきたのでした。おはずかしい。





「先生、私はやっと自分にできることをみつけたんですよ」と

散髪に行ったとき、私の髪を切りながら、

美容師の、塾の子のお父さんが言ってみえました。

「廃油を使って走るトラックがあって、

そのトラックで被災地へ物資を運ぶので、

うちでは廃油を集めようと思うんです。

それならできそうだから」と。


すばらしいことですよね!

そういう情報と身近にある、お姿にも感動しました!




そういったひとつひとつの行動が、被災地の方々へ届くことを祈るばかりです。





いろんなことが起きてしまった、2011年の「春」ですが、

私たちは「ここから」始めなければなりません。

「今回のことから学ぶこと」と「忘れないこと」をしっかり持ち続けながら、

私たちは生きていかなければなりません。


それが、残されたものの使命だと・・・。  






ともに、がんばりましょう!







◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇





この通信を書くまでは、

何もできなくなっていました。



何を書いても、

どう表現しても、

薄っぺらな、言葉だけの、

「お見舞い」、「祈り」になってしまう気がして。


それが、すんごく嫌で。


テレビやラジオ、新聞で、

タレントや企業がお見舞いを言っていても、

「結局、おまえは被災してへんやないか」

「結局、他人事やねえか」

なんてことを思ってしまっていました。

それは、今思うと

自分への怒りだったのだな、と思います。


「じゃあ、おまえに何ができてるんや!」

と、自分に問いかえしては、自分を責め続けていました。



毎日、泣いてばかりいました。



いつか、書ける日がくるのだろうか、と

不安な毎日でした。



でも、


それでも、


書かなくてはいけない。




朝、子どもたちが

始業式に向かう声が聞こえてきました。



前に進まなければ。




そんな思いで書いた、

自問自答の文章でした。





そして、書き終わったら

心が少しだけ軽くなったことに気が付きました。




「これは、いったいどういうことだろう?」




その答えは、

いまだに、出せずにいます…。



その答えは、

ずっと、出ないのかもしれません。



きっと、それが、

私なりの、「お見舞い」「祈り」なんだろうと。



この答えの出ない苦しみは、

ずっと忘れずに、抱えたまま、

まずは、自分の足元から、

もう一度、見直していく。



そこから、始めよう!


そう思ったのでした。




「ひとに話すと気持ちが落ち着く」と聞きます。


きっと、ひとりでいることの多い私は、

誰に話すこともなく、

誰にも話せずに、

ひとりかかえこんでしまっていたのでしょう。


そう、思ったとき、

塾の通信「応援団」という場所が、

「大応援団」という、このブログがあったことが、

私の大きな救いになったのかもしれません。


被災していない私でさえ、こんなです。

被災された方々や関係者の方々の思いは、きっとこんなものではないでしょう。



そういう想像力をはたらかせていくこと、

お互いに気持ちをはきだしていく、という作業も

とても大事なことなんだろうな、と気づきました。


そういう人とのつながりが

これからの生活や人生に

大きな力を与えてくれるのだろう、と思いました。







被災地の、一日も早い復興を

お祈り申し上げます。







さて、


これらのことを


私たち大人は、子どもたちに

どう伝えていくことができるのでしょう。




その答えを出すのにも、

もう少し私には、

時間が必要な気がしています。




でも、そのことは、

子どもたちが、教えてくれるかもしれませんね。





あわてず、


あせらず、


じっくり構えて、


でも、笑顔は忘れないで、



心静かに、生きていこう、






…そう心に決めたのでした。








(o^-')b







大応援団-初日の出