◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇ 2010.4.26.
<作文の宿題 ~「習った漢字を使わせたい」~>
新年度になって、新しい宿題に「日記(作文)」が週一回出されることになったという子のがんばる子のノートに、おうちの人のお悩みが書かれていました。
「簡単な漢字もひらがなで書いてあるのですが、自分で気をつけて漢字を使うことを意識しないと、と思うのですが・・・」というお便りが。
これは、どの学年にもいえることだと思います。「こんな簡単な字は、漢字で書いたら」とついつい言いたくなりますよね。その気持ち、とってもよくわかります!習った字を漢字で書いてくれるほうがいいに決まっています。先生の印象もありますからね。
ただ、このことは、この日記の宿題を担任の先生が、どんな目的で週に一回、出しているのか、ということをとらえることも大事だと思います。
たとえば、帰ってきたそのノートが、内容についてのお返事・赤ペンが多い場合は、その日記を使って、「その子のことをもっと知りたい」「日記でつながっていたい」という気持ちが強いといえるでしょう。その場合は、先生も漢字や文章のきまりについて指導しようということより、日記に書かれたその子の文章から、教室にいる時のお子さんの内面や感じ方についてもっと知りたいということだと思うのです。
また、反対に帰ってきた返事や赤ペンが、漢字を使うように直してあったり、改行について指示してあったりすると、その先生は、内容をみることより文章の決まりや作文の書き方の指導をしていきたいということの表れではないかと思うのです。この場合は、もう先生にお任せしましょう!「漢字で書きなさい」とうちの人にまで言われたら、もう書くのがいやになってしまいます。その役割は先生にお任せして、内容について引き出してあげるように声かけをしましょう。
先生も内容重視の場合は、内容について、子どもが「何を選んで書いたか」「どの部分に気持ちの表れがあるか」といったところを読み取ってあげましょう。一回書いて、もう一度書くことは、子どもにとってはとても面倒なことです。だいたい子どもは、初めから順序よく事柄を書きたがります。その気持ちを後で書き入れるとなると後ろの部分を消さなくてはならなくなり、それは作文嫌いになってしまうことになったりします。
では、どうするか!
「週に一回、日記の宿題がある」とわかっていれば、一週間のなかでいっしょに過ごした時間や、特別な出来事がなかったかどうか、その都度子どもに声かけしていって、「そのことを作文に書いたら」と機会をみて誘ってやることです。
一週間のなかで、どれだけ子どもの様子を見て、聞いて知っているか、ということもおうちの人が問われるわけですから大変ですが、週に一回の宿題なら、この繰り返しで、3ヶ月も続ければ、後は自分で書けるようになってくるでしょう。低学年の子のほうが反対に効果は大きいと思います。高学年だと、その作文が通信に載ったり、みんなの前で紹介されるという方針の先生だと、書く内容も限られてきますので、反対に難しいかもしれませんね。
でも、その日記のノートが返ってきたら、やっぱり見てあげましょう。ひょっとしたら書く前よりこの書いたあとの「会話」「おしゃべり」が大事かもしれません!
漢字が使われてなくても、少々見逃してあげて、「このことを書いたんだぁ」「こんなことを思っていたんだね!」「お母さんも同じように思ったよ」などなど、その返ってきた先生の赤ペンの文も見ながら、「ほら、先生もいっしょのこと思ってるやん」みたいに。ここで、めいっぱい内容について聞いてたずねて、たっぷり引き出してあげたあとに、「この字は漢字で書けるね」とひと言くらいつけたして。この「会話」が次の日記、次の週の日記につながっていくと思うのです。
「日記」も「作文」も、やっぱり「誰に読んでもらうように書くのか」・・・この目標、めあてがはっきりしていないと子どもも書くことが難しくなってしまいます。大人だってそうですよね。自分のために書く「日記」なのか、担任の先生に読んでもらうための「日記」なのか、おうちの人に読んでもらうための「日記」なのか。ここの部分をはっきりさせてあげることは、担任の先生や保護者の方の役割だと思うのです。
日記の宿題を使って、親子の会話をふくらませ、お互いを深く知り合うことの材料に使っていいと思うのです。それは、もちろん、子どもと先生との関係にも表れてくるでしょうし、おうちの人と担任の先生を子どもの日記がつないでくれる、ということにもなるのではないかなと思うのです。
中味がふくらんでこれば、子どもも日記を書くことが好きになります。そうするとまたおうちの人との会話も弾む、先生へもその効果が伝わる、ほめてもらえる・・・という良いサイクルが生まれてくるのではないでしょうか。
なかなか「言うは易し、行なうは難し」ではありますが、せっかくある「日記の宿題」も、子どももおうちの人も「楽しんで」書いたり、読んだりしたいものです。漢字の直しは、それからでもけっして遅くはないと思いますが、いかがでしょう。
また、いっしょに「日記(作文)」について考えていきましょう。ご意見お待ちしています。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
理想論かもしれません。
しかし、それを言うなら習った漢字をきちんと使って書く作文(日記)も理想論では?
どちらも一朝一夕にはいかないものであることは確かです。
ただ、その日記や作文を使って、
親子の会話のきっかけにできる、ということは大事だと思います。
なかなか学校で作文指導まで手が回らないのというところも正直あると思います。
そんななかで、週一回の宿題というのは、
きっと子どもにとっては、つらいもの?かもしれません。
それならば、どうせやるなら、少なくともおうちでは、
日記や作文で楽しく会話ができる関係でいたいと思うのですが…。
その後の様子もたずねながら、
相談にのっていきたいと思います。
(o^-')b
<作文の宿題 ~「習った漢字を使わせたい」~>
新年度になって、新しい宿題に「日記(作文)」が週一回出されることになったという子のがんばる子のノートに、おうちの人のお悩みが書かれていました。
「簡単な漢字もひらがなで書いてあるのですが、自分で気をつけて漢字を使うことを意識しないと、と思うのですが・・・」というお便りが。
これは、どの学年にもいえることだと思います。「こんな簡単な字は、漢字で書いたら」とついつい言いたくなりますよね。その気持ち、とってもよくわかります!習った字を漢字で書いてくれるほうがいいに決まっています。先生の印象もありますからね。
ただ、このことは、この日記の宿題を担任の先生が、どんな目的で週に一回、出しているのか、ということをとらえることも大事だと思います。
たとえば、帰ってきたそのノートが、内容についてのお返事・赤ペンが多い場合は、その日記を使って、「その子のことをもっと知りたい」「日記でつながっていたい」という気持ちが強いといえるでしょう。その場合は、先生も漢字や文章のきまりについて指導しようということより、日記に書かれたその子の文章から、教室にいる時のお子さんの内面や感じ方についてもっと知りたいということだと思うのです。
また、反対に帰ってきた返事や赤ペンが、漢字を使うように直してあったり、改行について指示してあったりすると、その先生は、内容をみることより文章の決まりや作文の書き方の指導をしていきたいということの表れではないかと思うのです。この場合は、もう先生にお任せしましょう!「漢字で書きなさい」とうちの人にまで言われたら、もう書くのがいやになってしまいます。その役割は先生にお任せして、内容について引き出してあげるように声かけをしましょう。
先生も内容重視の場合は、内容について、子どもが「何を選んで書いたか」「どの部分に気持ちの表れがあるか」といったところを読み取ってあげましょう。一回書いて、もう一度書くことは、子どもにとってはとても面倒なことです。だいたい子どもは、初めから順序よく事柄を書きたがります。その気持ちを後で書き入れるとなると後ろの部分を消さなくてはならなくなり、それは作文嫌いになってしまうことになったりします。
では、どうするか!
「週に一回、日記の宿題がある」とわかっていれば、一週間のなかでいっしょに過ごした時間や、特別な出来事がなかったかどうか、その都度子どもに声かけしていって、「そのことを作文に書いたら」と機会をみて誘ってやることです。
一週間のなかで、どれだけ子どもの様子を見て、聞いて知っているか、ということもおうちの人が問われるわけですから大変ですが、週に一回の宿題なら、この繰り返しで、3ヶ月も続ければ、後は自分で書けるようになってくるでしょう。低学年の子のほうが反対に効果は大きいと思います。高学年だと、その作文が通信に載ったり、みんなの前で紹介されるという方針の先生だと、書く内容も限られてきますので、反対に難しいかもしれませんね。
でも、その日記のノートが返ってきたら、やっぱり見てあげましょう。ひょっとしたら書く前よりこの書いたあとの「会話」「おしゃべり」が大事かもしれません!
漢字が使われてなくても、少々見逃してあげて、「このことを書いたんだぁ」「こんなことを思っていたんだね!」「お母さんも同じように思ったよ」などなど、その返ってきた先生の赤ペンの文も見ながら、「ほら、先生もいっしょのこと思ってるやん」みたいに。ここで、めいっぱい内容について聞いてたずねて、たっぷり引き出してあげたあとに、「この字は漢字で書けるね」とひと言くらいつけたして。この「会話」が次の日記、次の週の日記につながっていくと思うのです。
「日記」も「作文」も、やっぱり「誰に読んでもらうように書くのか」・・・この目標、めあてがはっきりしていないと子どもも書くことが難しくなってしまいます。大人だってそうですよね。自分のために書く「日記」なのか、担任の先生に読んでもらうための「日記」なのか、おうちの人に読んでもらうための「日記」なのか。ここの部分をはっきりさせてあげることは、担任の先生や保護者の方の役割だと思うのです。
日記の宿題を使って、親子の会話をふくらませ、お互いを深く知り合うことの材料に使っていいと思うのです。それは、もちろん、子どもと先生との関係にも表れてくるでしょうし、おうちの人と担任の先生を子どもの日記がつないでくれる、ということにもなるのではないかなと思うのです。
中味がふくらんでこれば、子どもも日記を書くことが好きになります。そうするとまたおうちの人との会話も弾む、先生へもその効果が伝わる、ほめてもらえる・・・という良いサイクルが生まれてくるのではないでしょうか。
なかなか「言うは易し、行なうは難し」ではありますが、せっかくある「日記の宿題」も、子どももおうちの人も「楽しんで」書いたり、読んだりしたいものです。漢字の直しは、それからでもけっして遅くはないと思いますが、いかがでしょう。
また、いっしょに「日記(作文)」について考えていきましょう。ご意見お待ちしています。
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理想論かもしれません。
しかし、それを言うなら習った漢字をきちんと使って書く作文(日記)も理想論では?
どちらも一朝一夕にはいかないものであることは確かです。
ただ、その日記や作文を使って、
親子の会話のきっかけにできる、ということは大事だと思います。
なかなか学校で作文指導まで手が回らないのというところも正直あると思います。
そんななかで、週一回の宿題というのは、
きっと子どもにとっては、つらいもの?かもしれません。
それならば、どうせやるなら、少なくともおうちでは、
日記や作文で楽しく会話ができる関係でいたいと思うのですが…。
その後の様子もたずねながら、
相談にのっていきたいと思います。
(o^-')b