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(2008年6月5日の記事です)



<日記をどう書く?どう書かせる?(その3)>

 今回は、もう少し具体的に、ひとつの作文の例をあげて考えていきましょう。
次のような作文から、その子(太郎くん)の思いがどれだけ読み取ることができるでしょう?
一度読んで、その読み取り方の工夫を考えてみましょう。

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   かかりかえ    山田 太郎(仮名)           
 
 今日、学活の時間に、かかりかえをしました。
 かかりかえは、しかくい形の物をくばって、先生が黒板にかかりを全部書いて、しかくいのをはってきめます。
 ぼくは、図書がかりにしました。
 次郎くんもおなじでした。
 そして、学習がかりとワゴンがかりが多かったのでじゃんけんをしました。
 三郎くんがまけて、あと四郎くんと五郎くんとがまけて、かったのが六郎くんと七郎くんでした。
 三郎くんが、
「3回しょうぶにしよう。」
と言ってまたやりました。
 けっきょくおなじで、六郎くんと七郎くんがかちました。
 まだ三郎くんがやりたかったので、もう一回やりました。
 そしてまた、おなじふたりがかちました。
 ぼくは、図書がかりになってうれしいです。    (おわり)

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いかがでしたか?
「ただ図書がかりになったことが書きたかったんだね?」くらいでは、ちょっとさびしいですよね。

ここからは、この子のことを知っている私の見方ですので参考にしてください。

① まず、太郎くんは、毎日のできごとを毎日先生に日記を書いて、週に一回提出していま す。ということは、太郎くんにとって、この日の「最大のできごと」は、「先生に伝えるんだったら」、「かかりかえのこと」だということです。
 つまり、その日に心に残ったこと、がんばり塾へ行って「何を書くか考えてくる」という約束を覚えていて、「そしたら、かかりかえのことにしよう」と自分で選んだということです。

 まずは、そこのところから受け取ってあげたいなと思います。友達と遊んだことよりも、先生の授業中のお話よりも、「かかりかえ」がその日の太郎くんにとっては、一番「書きたい」と思ったことだということを認めてあげたいなと思います。


② 太郎くんは、書く前に私に「今日は、何を書くの?」と聞かれ、「かかりかえのこと」と答えました。
 ちゃんと先週の約束を覚えてくれていました。
 「どうやって決めたの?」とたずねると、先の文章をほとんど「おしゃべり」で最初から最後までダーッと話しました。
 私に伝えたいという気持ちいっぱいで・・・!

 「今しゃべったことをそのまんま書けばいいんだよ。」と私は言いました。
 太郎くんは、どんどん書いていきました。
 題名の書く場所、名前の書く場所、最初の文のひとマスちゃんと空けて・・・。

 「まず、どうやってかかりかえをしたの?」で最初の文が生まれました。
 そしてその後は、「おしゃべり」したとおりどんどん書いていきました。

 改行と会話文のところは声をかけてなおしました。
 そして、最後に、悩んでいたので「図書がかりになってどうやったん?」と聞いて、結びの文になりました。


③ さて、できあがった文をみて、「どう読み取るか!」です。

 太郎くんは、どうも三郎くんのことがとても気になっているのがわかりますね。
 三郎くんはどうしても学習がかりかワゴンがかりになりたかったんだなという、太郎くんの三郎くんに対する気持ちが読み取れますよね。
 
 また、その三郎くんの「3回しょうぶにしよう。」といったこと、そしてまた負けたのにもう一回やってまた負けたという三郎くんのなりゆきに、太郎くんは「こっけいさ」も感じているようです。
 それが、「そしてまた同じふたりがなりました」という文に表れていると思うのです。

 そのことを太郎くん自身は、ひょっとしたら感じていなかったかもしれません。

 でも、「したこと」「見たこと」からの羅列からでも、十分にその子の想いや感じ方、見方を十分に読み取ることはできる、ということを読み手の方は気をつけて見てあげたいなと思うのです。

 それが、実際に太郎くんが「したこと」「見たこと」であり、
 それを文に取り上げて書いたのは太郎くん自身だからです。
 そのことを読み手はきちんと読み取り、できあがりの文章に声をかけてあげたいと思うのです。


④ では、この日記の読後、太郎くんにどんな声かけができるかです。
 これは大変難しいことです。

 私だったら・・・
 「三郎くんは、よっぽどそのかかりになりたかったんだね。」
 「そんな三郎くんのことを太郎くんはじーっと、ようく見ていたんだね。」
 「何度も負けた三郎くんになんて言ってあげるといいかな?」
 「太郎くんが三郎くんだったらどうしたかな?」

・・・でしょうか。

 書き上げた作文を直すのではなく、その文章からわかる太郎くんの気持ちの動きをいっしょにおしゃべりをすることで、その時の太郎くんの気持ちに寄り添い共感することになり、「そしたら今度はそんなふうに書いてみよう!」と意欲にもつながるのではないかと、私は思います。


★作文の意義は、「書くこと」ももちろんですが、「事実をみつめる目」を養い、「いっぱいおしゃべりできる」ということも大切なことだと思うのです。
できあがった文章を書き直すことは、子どもにとっては非常に苦痛なことです。
そうすることより、出来上がった文章から読み取れる「その場面」を想像し、聞き出してあげること、しゃべらせてあげることが、ひょっとしたら「書くこと」よりも、「書けること」よりも大切なのではないかとさえ思います。
「おしゃべり」を通じて、子どもとの関係をより深める、そういう手段として考えることもありかなと・・・ふと思いました。

また、ご意見、感想などお寄せください。


応援団長より




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今日、中学校の進路説明会のあと、

PTA主催の講演会がありました。

「親と子どもが豊かに生き合うために」

という演題でのお話でしたが、

その講師の先生も

同じようなことを言ってみえました。


・・・共感し合うことのうれしさ、楽しさ、優しさが

親と子どもを結び合う働きになるんだ!みたいな・・・。


うまく書くこと、

上手に書くことも大事だけど、

その土台には、

親子の、

豊かな心を持った関係が大事なのでしょうね~♪



聞いたばかりで、

応援団読み直したら、同じようなこと書いてて・・・。


ちょっと,感動・・・♪




自画自賛?(笑)



えへべーっだ!






(o^-')b