<私の経験から…(その1)>
 私は、学生時代から体だけはじょうぶでした。今はそのことを両親に感謝しています。そういう健康な体を授けてくれて、ありがとう・・・って。でも、私は病気になりました。この病気、「うつ」は、心の病気でした。いまだ脳医学のなかでも「たぶん、こうだから、こうなったんだろう」という程度しか、この医学が進んだ日本でも原因やその病気のしくみについては、はっきりとわかっていないといわれています。どの本を読んでも「~といわれています」という表現で終わっています。それでも最近になって薬だけは、副作用の少ないものは開発されてきたようで、「これこれを、すすめます」という書き方で見つけることはできます。そういう病気です。そのことを私自身、病気になってすぐに本を読んだりしましたが、そのことの本当の意味をわかるようになったのは、つい最近のことです。塾をやりだして、元気もでてきてからのことです。そういう病気です。
 
私がこうして自分の病気のことについて語るのは、もしも身近に「うつ」の人がいたら少しでもわかってあげたい、「私もいっしょですよ」って言って、「自分だけが変だ!」と考えがちなこの病気の人に「あなただけじゃないよ!」って言いたいからです。『自分を「うつ」と言いたがる人』という精神科医の先生の本も読みました。私は、そうして宣言して楽になりたいと思っているのかと・・・そう思ったからです。そう思った時期も正直ありました。でも、それは、違いました。
私の場合「うつ状態」になると、なんにも意欲がなくなりました。この「私の場合」というのも大切なことだと思っています。人によってその症状や様子、重さはちがうと思うからです。私の場合は、病院へ行く車の運転さえ自分でしたくない・・・そういう状態でした。

私は、すぐに仕事のせいにしました。確かに忙しかった。つらいことが多すぎた。だから、こんなふうになってしまったんだと思いました。それもあったかもしれませんが、今から思うと、ずーっと自分を責め続けていた・・・これはあったと思います。全部自分のせい、こうなってしまったのは全部自分が悪いからだ、と・・・。そのくりかえし、その思い込みが自分自身を失いかけてきていることに、自分でも気がつきませんでした。そのことが大きかった・・・。
誰でも忙しいときややりたくないときやいやになるときありますよね。泣きたいくらいに・・・。
でも、そんなときに、「その原因はすべて自分にあるんだ。自分が変わらなければ・・・」と思いつめることが、私をどんどん追い込んでいったんだと思います。もちろんこれは今だから言えることです。「その頃」の私は、何もかも自分を追い込み、全部かかえこみ、そして耐えようとふんばっていました・・・。そりゃ、ポキンと折れますよね。
今思えば、「こうしていればよかったのかも」と思うことは、いっぱいあります。でも、その時はいろんなことが多すぎて、自分でかかえきれないまま、じょうずに切り替えできないまま、走り続けてしまったんだと思います。「そのとき、そのとき精一杯!」って子どもたちに言ってきたぶん、自分でも「そうでなくちゃ!」と思って当然でしたからね・・・。
しかし、この病気は、それだけじゃなかった・・・私の場合。
1年7ヶ月もの間、復帰できて過ごしていた冬休み明けの一週間過ごした土曜日に、またやってきました・・・。
このときは、自分で自分の病気がわからなくなりました。あれほど気をつけて、楽しく過ごしてきたのに・・・。
私は、このとき初めてこの病気のおそろしさを知りました・・・。
(このあたりは、「迷路脱出!」にくわしく書いてあるので読んでいただければわかると思いますが)
なんの重荷もプレッシャーもない、冬休み明け一週間子どもたちと過ごした、ホッとした休日、土曜日の朝に、突然またやってきました。

そうなんです。この病気は「再発」するんです。いつなんどきかわからない・・・。私は、何がなんだかわからなくなりました。再発しないように気をつけて過ごしてきていたのに、また再発?
私は、わが身を恨みました。・・・親には聞かせられない言葉です。でも、「運命」とか「さだめ」とかがあるのなら、「その運命さえ信じるものか!」とさえ思ってしまっていました。それほど、この病気は、私の心を巣食ってはびこってしまっていたのでした・・・。
そうなんです。この病気は、もうおわかりと思いますが、体の症状が出た後その症状に対して自分自身を自分で傷つけていく病気です。私の場合は、まだ家族がいてくれましたから、「なんとか家族の前では元気な姿でいたい!」「これ以上心配かけたくない!」と思えましたので。愛する子どもも二人いましたので、自分の命を粗末にするようなことは思いとどまることができました。そういう感覚です。・・・そういう病気です。・・・そういう病気なんです。

私の命を救ってくれたのは、初任校で亡くなった二人の先輩先生の命でもありました。
その二人の先生の死が、私を自分で自分を生かしてくれたことはまちがいありません。
「その先生たちの分まで、俺は教師を続けるぞ!」と誓うように思ったことは、今でも忘れてはいません・・・。この胸のなかで・・・。

このことについては、拙著「迷路脱出!」にも書いていないので、次号へ送ることにします。


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いつまで

私は、「このこと」を

語るのだろう…?


やっぱり、

今でも忘れられない

出来事だったから…?


今の自分を

見つめることを

忘れないでいたいからか…。


思い出なのか、

心の傷なのか、

…どちらともいえるのか?



みんなが、

笑顔でいてほしいから…。


そのことは変わらない…。










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