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(2007年11月22日の記事です)



応援団 NO.34・怒ることと叱ること(その2)



<怒ることと叱ること その2 >
「親子だとなかなか冷静にみれない」
「だからこそ第三者の大人の力が必要なのでは」
・・・みたいなことを前号でお話しました。

それを強く感じたのは、うちの子どもたちがまだ小学生だった頃、妻と二人で教師という仕事をしていたときに、よく感じました。
今でこそ私が家にいて「おかえり」を言ってあげることができますが、その頃は、子どもたちはおばあちゃんちに帰っていました。
そして、6時・7時に迎えにいっては、夕食・・・という生活をしていました。
教師という仕事をしていると、(私だけかもしれませんが)自分が持っている担任のクラスの子どものことで、ある意味精一杯で、自分の子どものことまで手が回りません。

よく言われたのが、
「先生の子どもやといつでも教えれるでいいね~」
なんて言われましたが、少なくともうちは(私は?)違いました。
「宿題をさせる」「明日の用意をさせる」・・・それぐらいが精一杯でした。
「何とか毎日元気に学校へいってくれれば、それが何より!」状態でした。
もし熱でもだそうものなら、妻と交代で休みをとりながら看病することになるからです。

クラスを自習にさせて休むということは、きちんと権利として認められてはいますが、他の先生に空き時間をさいて代わりに入ってもらうことになるし、翌日いったときに山積みになっているノートやプリントの丸付けを思うと正直げっそりです。
それくらい担任の先生が休みをとるということは大変なことなのです。
相手が子供という人間だからこそ、なかなか割り切れない部分がありましたね、私は。

ですから、自分の子どもたちは、もう「担任の先生におまかせするしかない」と思いました。
家庭訪問ではいつも「先生におまかせします。」といってお願いしていました。
「いつもほったらかしなもんで・・・。」と言いながら。
同じ教師どうしという意味ではそこら辺の事情がわかってもらえるのでかえってよいのかもしれませんが、それは大人同士の話であって、子どもはたまったものではありませんよね。
両親に会うのが、朝の1時間と夜の3~4時間。
夕食の話題もよっぽどのことがない限り自分の話はきいてもらえない。
本読みの印をかいてもらうことくらいしか・・・。
7時8時になっても帰ってこず、おばあちゃんちで過ごす。

・・・改めて子どもたちに聞いたことはありませんが、きっと不安な気持ちがどこかにあったのではないかなあと今になって思います。
うちはまだ、おばあちゃんちがあったからよかったというのも強く思います。

ご主人の帰りが遅く、さらにお仕事をしながら、実家が遠いなんていう主婦の方は本当に大変だと思います。
同居でおじいちゃん、おばあちゃんがいてくれるだけでずいぶん助かりますよね。
でも実家でない場合は、大きな(小さな?)「遠慮」もあったりして・・・。
それは、以前の妻を見ていてよく思いました。
あいだにいる私がなんとかじょうずに「橋渡し」できるといいのですが・・・。
反省しきりです。

どこのご家庭にも様々な事情がおありだと思います。
それでも子どもは学校へ行く。
行かせなければならない。
日常の生活と教育と仕事のストレスとを思うと、そういう主婦の方は尊敬します、ホント!
怒られるかもしれませんが、男には(私だけかも)それだけのものを抱えて仕事をするなんてことはできない・・・と、私はよく女の先生を見ていて思いました。尊敬します。
本題からずいぶんそれてしまいました。

このへんにしておきましょう。

子どもが初めて出会う「社会」が「家庭」だといわれます。
それは小学校に上がる頃になって「家庭」から「学校」へと移っていきます。
この「学校」というのも、まずは「担任の先生」です。
家庭でつちかわれた力をもって、新しい「学校」という世界へ羽ばたきます。
そこで出会う、家庭以外で多くの時間をいっしょに過ごすことになる「先生」の存在です。

だから「担任の先生がどんな人なのか、親としてはすごく気になりますよね。
「友達」という芽も出てきますが、これは高学年になってからでしょう。
「あの先生はこんな人」って自分で見れるようになるのは、高学年から中学校くらいでしょうね。
「友達」の存在のが「学校」「先生」より大きくなってくる頃はもう少し大きくなってからでしょうね。
そう考えると、「先生」との出会いというものは、「第三者の大人」という意味で非常に長いあいだ子どもの学校生活に影響を与えるものだということになりますよね。

いろんな先生がいますよね。
その先生と親がどういう関係でいられるかということが結構子どもに影響を与えることも事実です。
「子どもがそうやって言っているってことは、親が家で普段からいっているんだろうな。」
ということ、子どもが小さければ小さいほどよくわかるものです。
それは逆もいえることでしょうけどね。

みんな人間です。
よいところもあれば気になるところもある。
しかし、小中学校のあいだは、家庭のほうで学校も担任も選ぶことはできません。
ある意味「めぐりあわせ」という言葉で片付けなければならないこともあるでしょう。
でも私は、それならそれで、その出会いを大切にして、先生におまかせしよう、甘えてみようという場所に立つことにしました。(以前はそうせざるを得ませんでしたから)
だから、私の前で、わが子を叱る先生の姿も見ました。
それは、学校での子どもの過ごし方に対して先生が「叱ってくれている」というふうに素直に受け取ることができましたね。
「ありがたいな」と思いました。
また、そうでなくちゃいかんとも思いました。
そこは「学校」だから。
帰ってきても、
「それはお前が悪い」
と言えましたね。
よく
「なんでうちの子だけ」なんて言葉をききますが、それは子どもの立場に立っているようで実は子どもと先生の世界をくずしにかかっているのではないかなと思います。
もちろん理解に苦しむことやわからないことはどんどん聞きに行くことが大事です。
ほっておいてぐちぐちいうことのほうがおそろしい。
会って聞くことで理解もできるでしょうし、その先生との関係もよくわかって、とてもいいことだと思います。

すべては、子どものため・・・ですよね。
応援しています。
いっしょにがんばりましょう!

★ 結局言いたかったことは、先生も人間、親も人間。子どもをまんなかにして、いっしょに見守っていくということを、大事にしていきましょうよ、ってことかな。
学校へ対してのバッシングも、その言葉自体「死語」になりつつあるくらい、保護者とPTAで学校に対して要求、批難、批判を未だに聞きます。常識を超えた要望もあるとか聞きますね。
そうなる前に、お互いになんとかできなかったのかなぁと思うのは、私の理想でしょうか。
子どもをまんなかにして考えれば、もう少しなんとかなったんじゃないかなと憂いたりすることが多いです。
そのたびに、学校が受身で、なんとかしようと右往左往する……。
それで、本当に目指す教育ができていくのでしょうか。
それに対応することに追われて、本当に大事な「授業」がどこかにいってしまってはいないだろうか。
もう少し、お互いに寄り添って、頭つき合わせて話をすれば、よい方法がうまれてくるんじゃないかなあと私は思います。というか、よく思いました。
決して学校は、地域や保護者に対して「大きな態度」で対応していることはないと思うのです。
決して保護者は、学校や担任に対して「批判的な目」で見ているとは思いません。
どこかに、その両者の接点はあると思っています。
そうでなくちゃ、結局は、全部「子ども」へ返っていくことなのですから……。
それを忘れた話し合いなどはしないほうがよいと思います。
そうでなくちゃ、結局は、全部「子ども」へ返っていくことなのですから……。

我々大人は、そのことだけは、忘れてはならないと思います。
すべて、「子ども」へ返っていくということを……。

みんな、いっしょに手をつないで、がんばりましょうよ!

先生!お父さん!お母さん!保護者の皆さん!地域の方々!

いっしょにがんばりましょう!


未来ある、子どもたちのために……!


応援団長より


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偶然、いや、なぜか、

今年度、中学校のPTAの副会長を

させていただくことになりました。



自分で、実際その立場に立って思うことは、


やっぱり、「PTA」という組織は、


P(ペアレント・親)と


T(ティーチャー・先生)が、


力をあわせて、


子どもを見守っていく組織(アソシエイション)なのだ、


ということを思います。



おかげさまで、わが娘の通う中学校は、


息子のときからお世話になっていて、


結局3年目のお付き合いになります。


その頃からの校長先生、教頭先生と


同じ顔ぶれだし、


学級担任も3年続けて学年もちあがり体制なので


先生方ともとっても話がしやすいのです。



役員になって思うのは、


その「つながり」ですね♪


「この先生になら相談してみようかな」


という先生がいっぱい!


それが、何よりありがたいなと思っています。



一番大事な下地みたいなものが、


子どもを通じて築くことができてきた・・・


これが、いろんな活動をするにしても


一番大切なことだろうと思います。


なんにしてもいっしょですが、


そこが「お互いさま」の、


持ちつ持たれつ・・・の、


よりよい関係作りなんだろうなと思います。



家庭と学校というと


何か敵対するもののように


お考えの方もあるようですが、


私は、それは違うと思います。



自分が教師をやってきたこともあって、


「お互い人間同士」の精神で、


そして、一番大事なことは、


「子どもを真ん中に置いていっしょに見守っていく」


PTAの目標に、これ以外何があるというのでしょう・・・?



先生を選ぶことはできませんが、


少なくとも1年間、中学校なら3年間、


お世話になるわけですから、


その先生のよさや魅力を知る努力を


我々保護者は、


もっとしなければいけないのではと思います。



そうなんです!


その先生の背中を支えてあげることが


我々保護者・PTAの大きな仕事ではないかとも思います。




・・・・・・・。



明日、会議があるでか、


ついつい「熱く」なってしまいました・・・。



明日までに頭冷ますことにしましょう・・・。



失礼しました・・・。




ほ。。。










(o^-')b