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(2007年11月21日の記事です)

応援団 NO.33・怒ることと叱ること


<怒ることと叱ること>
よく言いますよね、「怒ることと叱ることは違う」って。

私も教師になってから、そのことは何度も考えたり悩んだりしました。
「あの子にとってあれでよかったのかな~?」って・・・。
「怒ること」は、こちらが感情的になってしまって、つい出てしまう言葉だと思います。

「叱ること」は、その子にとって、「今していること」を指摘しなければ、のちのち大きく育っていかないという見通しをもった言葉だと思います。
先日も息子にいらいらしながら、えらい勢いで声をあげてしまいました。

時間が経つにつれて、
「ひょっとしたら私の思い違いだったかも・・・。」
と思って反省し、機会をみつけて、
「さっきは言いすぎた。ごめんな。」
と言いました。
そしたら息子から返ってきた言葉が、
「おとうさん、怒った後にあやまらんといてよ。僕はどうしたらええんかわからんやん。」
と・・・。
「やられた!」と思いましたね。
「こいつも大人になったなあ。」
と思いました。
子どもにとっては、「怒る」も「叱る」もきっといっしょなんじゃないかなと思うのですが、どう思います?

上のうちの息子の例でも、「親父のいうことは聞いとかなあかん。」というのが前提にありますよね。
「また言うとんがや。」とか思いながらでも、「今度からは、しやんとこ。」と思っていますよね。
・・・と、言うことは、です!
「怒っても」、「叱っても」、子どもにとってはいっしょ。

つまり何が言いたいかというと、「叱った」ときは、ある程度冷静で見通しをもって話せるからいいですが、こちらがつい感情的になって「怒った」とき、この時も子どもは、その親の言葉の勢いと感情的な表情と逃げ道のない言葉の暴力とも言える場面をまともに受け止めているんだということだと思うんです。
大人だって人間です。

他でいろいろあって、ストレスもたまれば、よけいに子どもの許せないところが見えたりするものです。そして、「いけない」と思いつつ、また今日も言ってしまう・・・。
そして、そのくりかえし・・・。
親子だと余計にそうなのかもしれませんよね!

だから、学校の先生がいてくれるのかな?

塾や習い事の先生やいろんな場所での第三者の大人が必要なのかもしれませんね。
できれば、私たち大人は、子どもに接する時くらいは、笑顔で、そして「怒る」んではなく、「叱れる」大人でありたいですね。
気をつけたいものです。


<跳ぶ前に一回しゃがむ!>

100題をずーっとやっていると感じます。

その題数をみていると、 「あともう少しで100題!」
という、70~80題くらいの日がしばらく続きます。
「もうひといきなのに!」
と、こっちは思いますが、よくよく様子をみていると、その期間が
どの子にも、どんなときにも一回やってくるのです。
不思議です。
誰だったかな?歌の歌詞の中にも聞いたことがあります。

「跳ぶ前には一度しゃがんで」準備をする、
「深く深く沈んだほうがより遠くへ跳べる」といった歌の一節が頭の隅っこに・・・。
それが詩の中だけじゃなく、目の前で100題に取り組んでいる「がんばる子」たちにも見られるのです。これだから子どもたちの可能性というものにはいつも驚かされます。

初めは珍しさも手伝って100題に取り組み始めます。
30題、40題とあがっていきます。
うれしさと自信に支えられ、70題から80題と伸びていきます。
それが、ここのあたりにくるとなかなか、今までのようにぐんぐんのびるというわけにいかなくなるのです。
増えたり、減ったり・・・。
このあたりをいったりきたりというのがしばらく続くんです。

野球選手でいうと「スランプ」というやつでしょうか。
いつもそういう時は、
「こういう時もあるよ」
「次がんばろうね!」
「必ず100題いける時がくるからね。」
と。
この時期が、子どもも、そして応援するこちらも一番つらいときです。
きっとこの時期が、「いったん、しゃがんで」の時期なんでしょうね。
そうこうしているうちに、1ヶ月、2ヶ月といった大きなスパンでぐんと伸びる時期がやってくるのです。「ある時期」の「スランプ」をがんばった子だけにやってくるのです。

不思議です。
そして、その時はあっという間に100題までいっちゃうんですよね~!
70~80題の時期はいったいなんだったんだろう?くらいの勢いで、「その日」はある日突然やってきます。
びっくりです!
きっと70~80題の時にふんばって、我慢して、あきらめずにがんばった「ごほうび」に一気に100題のプレゼントをもらえるのかもしれませんね。
だから、70~80題で、なかなか伸び悩んでいる子は、「今のこの時期が大切なんだ!」と思って、一回一回の100題をあきらめずにがんばろうね!

きっと、きっと、「あ!」って、するすると100題いけちゃう時がくるからね、必ず!
おうちの方もそういう長い目で見守ってあげてください。

「もうひといきだね!」って。
その期間が長くなるかもしれないけど、その期間の小さな小さな我慢と努力の結果が、あるとき突然の100題達成につながっていくことを信じながら……。
子どもたちも私も、その日の100題に向かうときそんなことを思いながら、

「今日こそは!」と、
プリントに向かっていることをお伝えしたいと思い書きました。
きっと「100題めざして!」の気持ちは、子ども自身のほうが強いことでしょう。
ということは、100題いけなかったときの悔しさも一番感じていることでしょう。
そんなときは、
「おしかったね!」
「この次は、いけそうだね!がんばって!」
の一言を、背中を押してあげるような声かけをして応援してあげてください。
きっと!・・・その日は来るのですから・・・!


★「きっと、その日は来る!」……その言葉の意味を、今もしっかりと胸に刻んで、「今日」もまた、一日をがんばっていきたいと、しみじみ思います。
子どもたちといっしょに……。
応援団長より



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信じるということは、

とてもむつかしいことです。

「信じてる」という言葉を口にすると

それだけで信じているということにはならない

と、まで言われます。


子どもたちを信じるということも同じです。

その子が、どれだけの力をもっていて、

どれだけの心の持ち主なのか、

しっかりと見守っていないと

簡単には信じることはできません。


ということは、

ひとを信じるということは、

自分を信じることと同じことではないかと

思うのです。



自分の心のあり方を

いつもきちんと見つめて

静かに

ゆっくり

じっくり

ひとを信じていきたいと思います。



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