<K先生の一日・・・。>
小学校の先生の一日を想像することができます?
新聞や雑誌、テレビドラマなどで出てくる先生の様子がすべてではありません。
私達のまわりにいる先生達たちは、いろいろなところからのバッシングとあらゆるストレスに耐えながら、一生懸命子供達のために日夜戦っています。ある意味自分の家庭も犠牲にしながら・・・。
県や市によってその業務や待遇も違いますし、また、学校や担当する学年によっても違ってきますが。
ということで、今日は、そんな先生達のある一日を、2年生だったときのK先生の場合を見てみましょう。
K先生は、6時頃に起きています。子どもは、中学生と小学生。まず、小学生の娘が家を出ます。次に中学生の息子。そして、奥さん、Kさんと家をでます。ごみの日だとKさんが担当。家中のゴミ箱を集めてまわります。そして、出勤。
だいたい8時頃には学校に着くようにがんばりました。遠い学校のときも、始業30分前には着くようにがんばりました。障害児学級を担任しているときは、この始業前の30分のうちに宿題の丸付けをしてしまいます。結婚して子どもができるまではそんな始業前でしたが、家族ができ、家の仕事を分担するようになってからはなかなかそこまでの余裕がなくなってしまいました。
8時から8時半までに毎日教室へ行って、少しでも宿題の丸付けを済ませておくとそれだけで一日がずいぶん違うのですが、年とともに職員室で書類に目を通したり、今日の学校・学年の行事の確認や簡単な打ち合わせをしたり、電話にでたり、・・・あっという間に始業のチャイムが鳴ってしまいます。
一番最近勤めていた学校は、全学年全クラス「○○タイム」というのが、8時25分から10分間設けられていました。「朝読書」のような時間帯です。 その時間には、漢字を主に取り組んでいました。漢字ドリルの新出漢字を進めたり、用意しておいた漢字テストを係りの子が時間をはかって取り組んだりしていました。
新出漢字の時は、「こう書いて・・・。」とやっていましたので、宿題をみることはできませんでしたが、テストのときなどはその間に宿題のチェックを始めていました。
それよりもまず教室へ行くと「連絡帳」が届いていないかどうかを見ます。あれば、さっと目を通して返事をどう書くか考えながら丸付けをどんどんすすめます。
「本読みカード」にサインとひとこと、「漢字ドリル10題」「計算ドリル10題」のノートに丸付けをして日付けとサインをすべての子のノートにします。
ここまでしたら、出してない子の確認です。「出てないぞ~」とみんなの前でいうまでには半年かかります。子どもたちとの人間関係ができるまでは、こそっと知らせなくてはいけません。
ここまでの作業を1限目が始まるまでに済ませておくと、すいぶんと気楽になれるのですが、「連絡帳」がひとつふたつあったりすると、新出漢字の時にはすることができません。
そんなときは、1限目終わってからの休み時間にダーッとやってしまいます。
2限目終わってからの20分休みまでかかったり、給食前の準備の時間や食べ終わってからの昼休みまでこれらの作業に追われることがほとんどです。
授業中にもちょっとした隙間をぬうようにして丸付けしたこともありました。
それ以上に1限、1限の授業がありますからね!これが一番大事だし、大変!!
またさらに、そのあいだに、放課後の会議の準備や教材のプリントの印刷、学級通信や学年だよりを作ったり、学年の先生や係りの先生との打ち合わせなどが次から次へと入ってきます。どれもおろそかにできないことなので優先順位をつけながら手早くすすめなくてはなりません。
年配になってきたK先生は、子どもと遊ぶことなんてしている暇はありませんでした。本当は、それが一番したいことなのに・・・。でも、そんなことはいってられません。
子どもが帰るまでに毎日のチェックだけは終わらせなければ、宿題ができないのですから。おうちの人からの「おたより」にもその日のうちに帰すことは当然と思っていましたから。
給食の時間が一番好きでした。子ども達が楽しそうにおしゃべりしたり、おかわりの順番でもめたり・・・。授業中とはまた違った子どもの表情が見れましたから。みんなでひとつの話題で笑いあう時は楽しくてしかたがありませんでした。
さて、下校時は、子どもを通学路にわかれて、学年の先生で一斉に送っていました。最近の子どもの危険な事件のことを思うとこれも大切な仕事になってきました。地元の町、ここらへんでは「みまもり隊」の人がいてくれるのでいいですよね。地区としての、とっても素敵な、学校としてもありがたい取り組みだと思います。
その後の放課後は、毎日のように会議です。学年会、指導部会、研修会、職員会議、などなど自分が所属している関係会議にはすべて出席しなくてはなりません。自分が係りだったりすると何日から前から提案書類をつくっておかなくてはなりません。
そんなこんなしているうちに業務終了の5時15分なんて、あっというまに過ぎていってしまいます。
会議が終わってから、やっと自分の仕事です。テストの丸付けや明日からの授業の準備、教材研究、係りの仕事のやりのこしたもの、・・・。
6時半まではあっという間です。よっぽど自分で「今日は用事があるから早く帰らなくては。」と言い聞かせていないと、うっかりしていると7時になってしまいます。
家庭の事情で会議さえも早く帰らないといけない日も少なくありません。そんな時は、仕事を家に持って帰って、夜の仕事になります。またそれがたまってきたりすると、その日を越えて夜遅くまでやらなければならないことも多いのです。K先生は、そんな時は、あきらめてサッと早く寝て、3時4時に起きて仕事をする日々もありました。
家に帰ると実家であずかってもらっている子どもを連れて帰ります。奥さんは夕食の準備。子どもは、宿題と用意。みんなで夕食。テレビ、雑談。残った仕事があれば夕食後に始めます。早く寝たいですから。できあがって、やっとお風呂、そして就寝・・・。そして、また明日が・・・。
先生の一日…。こんな感じでしょうか?
特に大きな行事が無い時で、こんな具合でしょうか。
とっても大変!もっともっと大変な先生方もたくさんみえます。
子ども達のために、時間をけずり、心身をけずり努力をしているたくさんの先生方に、尊敬と感謝と敬意の気持ちをこめてエールを送りたいと思います。
がんばれ!先生たち!!!
★ 自分自身のことを中心に書いてみました。自分が教師だった時まわりにこういうふうに励ましてくれる方々がたくさんみえました。そんな方々への感謝の気持ちと、今現在いろいろ騒がれることの多い教育界でもこんなに頑張っている先生はたくさんいるんだということを声を大にして伝えたかった。その役目は今の私が、ちょうどいいのかなって。そんな気持ちが書かせた「応援団」のひとつでした。
★ 教師をやめて、一番感じたことは、「その、負わされている責任の重さ」です。ひょっとしたら私は、この「重さ」に押しつぶされてしまったのではないか、耐えられなくなってしまったのではないか、と、ときどき思います。
「俺ってすごいことをしていたんだなぁ」と他人事のように思ったりします。
でもそれは、「今のような生活」をしているから言えることであって、教師をやっているときには、そんなこと(っていうと軽く感じますがそうではなく)を考えている暇もない、長距離をダッシュで走り続けるような、息ができないような、そんな毎日であったように感じます。またそれが、あたりまえのことのようでした。
退職の時、同じような年代の先生が転勤してきました。若いピチピチの元気そうな男の先生も変わってきました。
その先生達に私は、心のなかで、「僕の分まで、僕以上に、がんばってください。」と思わずにはいられませんでした。素直に応援したい、「応援しています。」と言いたいです。
その気持ちは、今でもかわることはありません。
もちろん、他の先生方にも。日本中の先生方にも。
そんな気持ちが書かせた「応援団」でした。
応援団長より
自分の現役時代の日々を思い出しながら書きました。
先生たちの苦労というか、日常って、
なかなか子どもたちからの伝言では
伝わらないものですよね。
先生、公務員バッシングが叫ばれ始めて長いです・・・。
その言い分もわからないではありませんが、
それ以上に、先生達は、毎日時間と子ども達と
「こんなにもがんばっているんだから、
少しはわかってあげましょうよ!」
「先生の味方になるのは、PTAの方だけなんだぜ!」
と、声を大にして言いたい気持ちで書いていました・・・。
(2007年10月18日の記事です)
応援団 NO.13・K先生の一日
今でも、最後に勤めていた小学校から、
卒業証書の浄書を頼まれます。
でき不出来は別として、
そうして少しでも
何かのお手伝いができるということが、
今の私にとってはとてもありがたいことだと思っています。
「私にできることなら!」の気持ちとつながりは
これからも大切にしていきたいと思っています。
今年の卒業生は、
2年生のときに、私が担任した子達です。
心を込めて、証書の名前を書いてあげたいなと思います。
また、泣いちゃうかも・・・。
卒業式、行きたいな~・・・。
(o^-')b