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<ブログ年賀状>

新年あけまして

おめでとうございます!

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

応援団長

2009年

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「がんばり塾」を始めた頃に書いていたブログです。

ただいま、アメーバへ引越し中です。

古い記事ですが、

とっても長くてくどいですが、

熱く語っております。

どうぞ、お付き合いのほど・・・。


(2007年10月11日の記事です)

応援団 NO.10・がんばり塾がめざすもの


<がんばり塾がめざすもの>
 子どもたちはいったい何のために毎日学校へ行き、勉強するのでしょう。

 よい学校に入る受験のために勉強するのでしょうか。
 学校の成績をあげるために勉強するのでしょうか。
 将来のために勉強するのでしょうか。
 誰かと比べ、優越感を得るために勉強するのでしょうか。
 おうちの人のために勉強するのでしょうか。
 ・・・。

  正直「これ」といった答えを出せる大人がどのくらいいるでしょう。私もそのうちの一人かもしれません。これが20年教師をやってきたものの回答かと思うと自分でも情けない限りです。
 
 ただ、答えではないかもしれませんが、自分で「こうありたい」という理想はもっていたことを覚えています。その理想は、実践することは難しく、なかなか「これだ!」と答えが目にみえて確かめられるものではありませんでしたが・・・。
 
 その「理想」というものは、「意欲と思いやりを育てる。」という言葉でした。道に迷ったとき、自分がどうすればよいのかわからなくなったとき、いつもこの言葉を思い出しては歩んできたように感じています。
 「意欲」という言葉は、子どもの「やる気」だと思います。
 子どもが「やる気」を持つとき、笑顔になり、目が輝き、自分からすすんでやろうとする前向きな姿。これだと思います。子どもが、そういう姿になるように導いてやることができれば、これ以上の喜びはないと思ってきました。
 「思いやり」という言葉は、そのとおり、「自分の周りの人への心遣い、思いやり」だと思います。
 子どもが友達や自分より小さい子に対して優しくのぞきこんでいる視線は、これ以上に優しいものはないと思います。そういう子どもが私と接することで、ひとりでも増えていってくれたらと思います。これは、少し傲慢にもきこえます。反対に、大人である私たちが、子どもから優しさを学ぶべきなのかもしれません。そんなふうにも思います。

 事情あって、20余年の教職を退き、今回『がんばり塾』を始めました。

 めあてとあげている「元気に明るく楽しくがんばる子」という目標は、私がいつも教室の前に掲げて、子どもたちに目指すよう語り継いできました。学校や学年といった枠のなかで部分的に変えることはあっても、教室での話や学級通信などで語り続けてきました。
 この目標は、私が障害児学級を担任したとき相担(あいたん・・・同じ学年やグループでいっしょに仕事をした先生)した先生といっしょに考えたもので、とても気に入ったのでそれ以後ずっと使うようになりました。
「元気に」・・・これが一番大事であると。元気な体でないと明るくも楽しくもがんばることもできないと。
「明るく」・・・明るく、笑顔で、前向きに、屈せず、精一杯、すすんで、快く、心明るく・・・。
「楽しく」・・・自分も楽しく、友達と楽しく、いやがらず、あじわって、本気で・・・。
「がんばる子」・・・最後まで、あきらめず、根気よく、一生懸命、がむしゃらに、・・・。

 あらためて今、見直してみると、本当は、子供というものは「元気」だし、「明るい」し、「楽しい」ことが大好きだし、「がんばる」ことができる「子」たちばかりではないのかと思うのです。

 ひょっとしたら、「子どもらしくない」なと思う子は、何かの原因があって、元気がなかったり、暗くなったり、つまらなさそうにしてたり、やる気のない気持ちになってしまっているのではないかと。
 そしたら、その原因をさぐり取り除き、もとの「子どもらしい姿」にもどしてやることが大事だということになります。それが、「教育」であり、「育てる」ということであり、われわれ大人の大事な仕事だと思うのです。私はそういう考えのもと、これまでも、そしてこれからも子どもたちに接していきたいと思っています。
 ですから、「もともと子どもは、子どもらしいものである」という立場に立たないとむつかしいことなのかもしれません。これがなかなかそうはいかないのも現実です。
 現実の波に負けそうになったとき、私はいつも「元気に明るく楽しくがんばる子」を思い出し、初心を忘れないようにしていきたいとあらためて今も思っています。

 もうひとつ、私の座右の銘で、「教えるとは、希望を語ること。学ぶとは、誠実を胸に刻むこと」という、詩人アラゴンの言葉があります。
 これは、私が教職を離れて、いったんは捨ててしまおう、関係ないやと思って処分してしまおうと書類を整理していたとき、なぜかどうしても捨てれなかった、広告の裏の紙に書いてあったものです。確かラジオ番組で本の紹介をしている時に聞き、走り書きでメモしたものです。著書は読んだことはありません。今思えばこのメモを捨てなかったことが、今のこの通信やがんばり塾につながっているようで不思議です。人生そんなものかもしれないなと。
 「希望を語る」のは、教える方が学ぶ方に語るということです。今の子どもたちに「希望」を語れる大人でありたいなと思います。
 「誠実を胸に刻む」ことができる子どもたちに育てることができれば、そのお手伝いが少しでもできれば・・・!そんなふうに思いながら子どもたちをみつめるとき、どの子も「子どもらしい」「その子らしい」子ども達にみえてくるのです。そういう気持ちで、そういう子どもとおなじような心持ちでその一歩前の道を少し照らしてあげたい、自分の力で歩いていけるように背中を押してあげたい、そう思います。

 なんだか、今回は自分の文章に酔ってしまいました。
 (あ、いつもか・・・?)(はぁ~=3)


★ 「大きく構えて書けたものだ」とちょっとはずかしい気もします。でも、「がんばり塾」を始めて、「こうあるべきだ!」「こうありたい!」という気持ちがあふれてきて、自己紹介にも書いたので説明しておきたいなという気持ちだったことを思い出します。

★ 自分の思っていることややっていることを言葉にして表現し、人に伝えることは大変むつかしいです。それは、教師をしているときに発行していた通信も、自分の授業を校内や校外の先生方に見てもらうときに書く「指導案」(授業のめあてや子どもの様子、その1時間の授業の流れなどを前もって書いて用意しておくもの)を作るときにも、よく感じました。
 結局は、自分のひとりよがりな文章になってしまったり、遠まわしに書いてしまったり、自分の想いとはちがってつたわってしまったり・・・。

 ですから、この「応援団」も「大応援団」も、正直どのように伝わっているのかとても心配です。「これでいいのか?」とついつい読み返し(これは大事なことですが)、「こうのがいいか」「ああがいいか」といつも迷いながら書いています。
 学校での通信であれば、学年の先生や管理職(校長、教頭)の先生に検閲してもらってOKが出て発行していますから、その点は安心と言えば安心です。
 「応援団」も塾に来ている子の保護者と特定されますので、ある意味で「気楽に」書くことができます。
自分の思ったように書けるので、楽しみでもあります。そのかわり、印刷してから誤字・脱字に気がついてもう一度書き直してもう一度印刷しなおし、ということが結構あります。そういうときは、ガッカリです。

 しかし、このブログ「大応援団」は、ちがいます。非常に神経を使います。「誰が読んでくれているのか、こちらにはわからない!」からです。これは、痛いほど思い知らされました!
 どんな反応なのか、読んだ人はどう思ったのか、それが誰なのかさえ・・・なにもわからない!

 こわいです。

 正直、「これでいいのか?」といつも思います。誰もチェックしてくれませんから。自分だけ・・・!
 でも、最後は「ま、いいか」と思って、「投稿」のボタンをクリックしていますけどね。「後で直せるし!」とか自分で自分を思いっきり納得させたりして・・・。なんと楽観的なのでしょう。ちょっとおバカさん?

 ですから、一番大きな味方は、「コメント」です。このブログのルール上、私には「その投稿された方」が、どなたかわかっていますのでとてもうれしいです。
 ひょっとしたら、読んでいる方のほうは、「誰これ?」みたいな思いがあるかもしれませんが。それでも、そのうえでも「コメントを書いて送ってくださる」という行為は、私にだけ向かってきている気持ちの矢印だと思うのです。それだからこそ、うれしいのです。(きっと、さびしがりやなんだろうな・・・と思います。)

 しかし、それが反対に「利用されたり」「悪用されたり」「情報垂れ流し」・・・などなど、そうならないように気をつけていますが、そうなる可能性もないとはいいきれません。こわいです。
 この「大応援団」に移転した時がそうでした。弟にあきれられ、叱られました。「おいおい、あんたの個人情報が出すぎやん!あぶないで!」と・・・。やっぱり、そうか!
 今や情報世界はそこまで育っているのかと、「おまえ年いくつやねん」みたいな、あまりにも世間知らずな自分にあきれてしまいました。そして、とってもへこみました。

 でも、そんな私の気持ちをつなげてくれたのは、やっぱり「コメント」でした。
 「見てくれている人がいる!」、ひとりでもふたりでも・・・!
 「応援します。」「つきあっていきます。」と言ってくださる人がいる!
 そう思っただけで、「大応援団」への移転も思い切ることができたと思っています。

 本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

 「コメント」をくださった方、読んでくれてあたたかく見守ってくれている方々、本当にありがとうございます。  これからも、何かおかしいところや気づいたことなどありましたら、遠慮なく教えてください。

 また、今後ともよろしくお願いいたします。


★ え~と、・・・。
 「自分を伝えるのはむつかしい」という話はどこへいってしまった?・・・。(笑)
 ・・・よくあるんです、書きたいことがそれていってしまうことが。笑って許してやってください。


応援団長より



※ ブログをやり始めたとき、自分の個人情報をばらまいてしまって、

  あわてたことも、今は懐かしく思えます。

  このブログという世界の楽しさとこわさを知った瞬間でした。

  それでもこうして続けてこれたのは、

  やっぱり、読んでくれている人がいるってこと。

  そして、いろんな意見や感想がいただけること。

  その快感は、いまだに続いている・・・。

  そういう「つながり」をこれからも大切にしていきたいです。


※ 今年もよろしく

   お願いしま~す♪





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