本能寺の変の真実!? | レキシストかつふみのブログ

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勝手に歴史について調べている「かつふみ」のブログです。

 「本能寺の変」について、くわしく勉強中です。

その過程で、面白い本に出会いました。
「本能寺の変 427年目の真実」というものです。

なんと、著者は、明智憲三郎さん。明智光秀の子孫です。

 

この本では、
本能寺の変の前後の、さまざまな人物の動きを解説し、
新たな説をぶち上げています。

おおまかに言うと、
★信長の真の狙いは、光秀を使って家康を殺すことだった。
★家康も、そのことに気づいていた。しかも、光秀の謀反の計画も知っていた。
★秀吉も、光秀の謀反の計画をしっていた。
というものです。

あまり書きすぎると、
もしこれからこの本を読もうとしている方に迷惑になるため、このへんにしておきます。

しかし、どの新説も、一定程度、真実味があります。

織田信長と徳川家康は、
東への勢力拡大を徳川、西への勢力拡大を織田、と役割分担していましたが、
武田家が滅亡したことで、織田家にとって、徳川家との同盟の意味も薄れていました。

秀吉も、中国大返しの鮮やかさは、急きょ対応したとは思えないものがあります。
 

本には、ほかの、細川藤孝や、長宗我部元親、斎藤利三についても、
いろんな推理がめぐらされています。

そして、読み終わると、すべてがつながる仕組み。





読み終わった私の感想としては、
「いろんな人物の思惑が交差する中、本能寺の変を迎えたのだな」ということ。

秀吉が、信長の死後、信長の息子たちに不義を働いたのは明らかで、
そういう意味では、野心があったのは確実だと思います。

家康も、信長にとって利用価値がなくなったと感じていたでしょうし、
伊賀忍者や茶屋四郎次郎というパイプがあったので、
織田家中の情報は、かなり把握していたと思います。

明智光秀にも、公家たちにも、本願寺にも、毛利家にも、いろんな思惑があって、
信長は、かなり多くの勢力に命を狙われていたと考えていいと思います。

いろんなエネルギーが、各方面にむけられていて、
6月2日、京都・本能寺で、ひとつにつながった。

「○○黒幕説」などと、誰かを首謀者にして単純なストーリーを描くのは、ナンセンスなことかもしれない。
そう感じました。