「ラブズ・アンド・ピース」その1 | 消えかかる記憶の寝言

「ラブズ・アンド・ピース」その1

一章「和也」


浮気した。
和也は頭の中でこの衝撃的な言葉を繰り返す。
浮気した。
浮気した。
浮気した。

昨夜のことである。期の変わり目にあたって人事異動があり、事業部主催で歓送迎会が催
された。
和也は入社以来の配属先であるシステム開発一部から変更はなかったが、幾人かの異動が
決定されていた。
その中にリョウコがいた。

小島リョウコは隣のシステム開発二部で和也の二期下である。美形の彼女に言い寄る男は
多かったが、大学時代から付き合っている彼氏がいることは和也の耳にも届いていた。教
えてくれたのは総務部の美和だった。美和はリョウコの同期であり、そして和也の恋人で
もあった。

偶然リョウコの隣に座った和也は、酒を煽りながら日々のくだらない雑談に興じた。当た
り障り無い上司の悪口や、プロジェクトの苦労話。やがて酒が進むにつれ、話題はリョウ
コの恋愛相談へと移行していく。
彼氏が勝手すぎる、約束もすっぽかされる、どこで遊んでいるのかもわからない、等々。

「小島みたいな美人でも男に苦労するのか。へぇー」
「当たり前じゃないですか。あ、美人の部分じゃなくて苦労の方、ですよ? 男なんてほ
んと勝手なのばっかなんだから」
「俺は彼女がいたってそんな冷たいことしないけどな」
「和也さん、まだフリーなんですか」

下の名前で呼ばれてドキリとした。美和との関係は、社内恋愛と言うこともあって秘密に
していた。美和の入社以来の付き合いであるからもう三年になるけれども、管理部門と開
発部、ビルのフロアも異なるお陰で、どうやら秘密は守り続けられていた。もっとも社内
恋愛が禁止されていると言うことではない。むしろ社内結婚の多いこの会社の風土がある
ので、美和もそろそろ結婚を意識しだしている気配があった。

(結婚なんて……まだちょっと考えられないよなぁ)
二十九歳。十分適齢期であることは意識していたし、最近は同期の結婚も相次いでいた。
三十路前の駆け込み婚というヤツだ。だが元々幼いところが残っている和也にとって、結
婚、家庭などというキーワードは、水平線の彼方のように遠い、朧気な単語に思われた。
あるいは一生独身のままの方が気楽じゃないか、美和の気持ちに反発するように、そんな
ことさえ思うようになっていた。

「最近じゃ、独り身の方が気楽でいいんじゃないかって思うよ」
「えー。さみしいですよ独りは。結婚とか考えてないんですか?」
「それそれ。同期もやたらと結婚してってるんだけどさ、そいつらが同期会で愚痴るんだ
よ。使える金が減った、飲んで帰ると不機嫌だ、家事も結局分担してる、とかさ」
「ふふ。女って結婚すると変わるらしいですもんね」
「小島は家事とかしなさそうだから、変わらないって言えるかもな」
「あ、ひどーい。あたしこう見えても結構家庭的なんですよ」

リョウコに肩をこづかれて和也は何かドギマギした。顔がにやけてしまうのが自分でもわ
かって、思わず酒のピッチがあがった。
「和也さん、結構飲むんですね」
そういうリョウコも、和也につられて追加をオーダーした。


二軒目はこっそり二人で店を探した。和也さんともう少し飲みたい、などと甘い声をだす
リョウコに、鼻の下を伸ばして和也は応じた。
照明を落とした雰囲気の良いバーでカクテルとテキーラで乾杯した。話の続きはやはりリョ
ウコの彼氏の愚痴だったが、調子のいい相槌を入れる和也に
「和也さんは優しすぎますよ」
「和也さんの恋人は幸せだろうな」
と艶っぽい返答が相次いだ。

三軒目は人目を忍んでホテル街であった。休みの前日で満室のホテルを点々としながら、
和也の脈拍は頂点を刻んでいた。


(つづく)

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