coffee 日和 -3ページ目

タバコ。

一応、周りの人からは、私は禁煙に成功した人間という話になっているが、

実は、たまに吸うこともある。減塩ならぬ、減煙といったほうが正しいと思う。

昔、とくに大学生時代は、一日3箱、しかもハイライトという生活だったのに、

たまに吸うとはいえ、1箱買えば1か月くらいはもつこともしばしば。

そして、その1箱が終われば、また何か月か、もしくは半年以上、

買うこともない。だから、禁煙失敗者というわけではない。

そんなに吸わないのであれば、完全にやめれるのでは、

と人によく言われるが、自分でもそう思う。

しかし、である。

たとえば、音楽フェス、ライブハウス。

音楽を聴きにいくときは、どうしても、

タバコを吸う人がうまく見えるのです。

あー、タバコ吸ったら何倍も音楽もよく聴こえそうだなぁ、とか。

そうしているうちに、友人が僕の気持ちを察して、

「どう?吸う?」なんて聞いてくれるもんだから、

つい、誘いを断るのも悪いという、最高の言い訳をもとに、

一本、二本と吸ってしまうわけである。

これが、実にうまい。

禁煙なんてどうだっていい。むしろ、この音楽のとき限定でもいいから、

吸うのは人生最後までやめたくないと思う。

煙りゆく向こう側に何が見えるのか。

それはわからないが、ただ煙の行方を見つめるにすぎないのだが。

という文学めいたことを考え、しばし音楽を、

酔いしれる自分のBGMとしながら、吸う一服は

何にも代えがたい価値がある。そこに、ビール。

なんか、ただの趣味趣向の話で終わりそうだけど、

タバコは、禁煙・喫煙の間にも楽しむべき余地があるという話。

前。

桂三枝が文枝を襲名するという頃だから、
ちょっと前の話になるけど、

「前」という言葉について、文枝が語っていたのを見て、

そういえばそうだなと思った話がある。


過去のことを「前にあった」とか話すのにもかかわらず、

これから「前へ進んでいく」という未来のときにも使う「前」

という言葉は、不思議なもんでんなぁ。

と、確か安藤忠雄さんと対談していたときに

文枝が話していたと思う。

これはこれで話が終わったので、
安藤さんの「前」に対する持論は拝見できなかったが、

そういえば、そういう言葉って、日本独特のものだなぁと感心した。

この曖昧さが、世界的にはどういう解釈のされ方をしているのか

わかりませんが、「言わずもがな」という美徳が日本にはあると思う。


「アイラブユー」なんて言葉を使わなくったって、「スキ」という気持ちは伝えられる。

ビューティフルという言葉を使わなくたって「美しさ」を表現する言葉は数多くある。

暗黙の了解というか、言わずともわかる美しい心が、

日本にはあるような気がしてならない。

言葉の表現性において、長けた民族だからこその美徳が、

この「前」という言葉にも、矛盾しているような気もするが、そうではなく、現れている。

声をかけるときに、すみませんとなぜ謝るのかというひともいるが、

「ちょっと、他のこと今取りかかられているかとおもいますが、ちょとよろしいですか

という相手を慮る部分を込めて、すみませんと言っているんだ。

けしてただ謝っているわけではない。

そうえば、慮るという言葉も日本独自のものだと小山薫堂さんが言っていたな。

言葉の美しさ、それをさかのぼると、やまとことばに行きつくのかもしれないが、
今回75歳で受賞された芥川賞の「abさんご」は、まさに言葉の根源へと
向かった作品だなと読んで思いました。
わかりすぎたり、なんでもわかろうとするこの現代に、
あえて、わかりにくくする文体で挑戦されているのがとても趣深く感じました。


本を読む。

今年から新たにはじめたこと。

それは、読んだ本を数えること。

よく考えると、今まで1年にどれくらい読んでいるのか

さっぱり自分自身でも理解していない。

それに、わりと読んでいるつもりだが、

数字的にわからないので、読書家だ!とも言いにくい。


なので、ちゃんと書き綴っていこうと想った。

1月になって書き始めてわかったこと。

けっこうカテゴリーが偏っていること。

ほぼ、料理人のエッセイとか、料理にまつわるエッセイとか、
どこかの社長の人生啓蒙本だった。
1月途中から路線変更し、ベストセラーとか、
本屋大賞とかちょっと意識するようになった。

調べた結果、1月は11冊読んでいた。

けっこう、読んでいるもんだな、と感心しながらも、

振り返ると、ほとんど内容を覚えていない。

え、ちゃんと本当に読んだんだろうか。

買っただけで、読んだつもりになっていたんじゃないか。

あせって、思わず書棚から、1月に読んだ本を並べ、

片っ端から、もう一度読んでみる。

すると、あ、これ読んだな。とかほぼ思い出す。

思い出すってまだ1月に読んだんだから当たり前だけど。

読んだのに印象に残っていないというのは

もしかすると僕の感受性の問題なのか、不安になってくる

それぞれわりと売れている本なのに、心に何も残らないって

どういうことだ。ちょっと落胆しながらも、

ふと昔、おやじがいってくれた言葉を思い出す。


「本なんて面白くなかったら途中でやめたらいい。
それと、1行でも影響うけること書いてあったら、
それは買った価値があったってことやで」

今さらながら、いいこというなあ親父。
と励まされた。

あ、ちなみに親父が生前最後のほうに熱心に読んでいたのは
失楽園でしたけど。

しかし、我に返ると、1行もおぼえていない自分がいる。

これはお金の無駄だったのか。それとも自分が駄目なのか。

このジャッジには時間を要しそうなので

とりあえず2月は20冊くらい読んでみようかと想う。