浅野 啓司 | ☆大 辞 典☆

浅野 啓司

浅野 啓司(あさの けいし、1949年2月22日 - )は、元プロ野球選手、投手コーチ、野球解説者、大学野球指導者。ポジションは投手。右投げ右打ち。広島県福山市草戸町出身。 →

来歴・人物
1965年夏、創部わずか3年目の福山電波工業高校2年生エースとして広島県予選で快進撃。低めに球を集める抜群の制球力で、伊原春樹のいた北川工業、山本和行・三村敏之のいた広島商業高校を撃破、50イニング・失点1と決勝まで勝ち上がったが広陵高校に大敗した。3年の時、別の選手を見に来ていたサンケイアトムズのスカウトの目に留まり、1966年のドラフトでサンケイから9位指名され、1967年入団。高卒ルーキーながら、いきなり50試合に登板し8勝をあげた。

以来18年間、第一線で活躍。美しいフォームから抜群の制球力で、松岡弘や安田猛らとともに、主力投手としてヤクルト不遇の時代を支えた。チーム合計で33勝だった1970年には前半だけで6勝をあげた。8年間で66勝を上げたが腰を痛めた。広岡達朗監督の指導法も合わず1977年には巨人へ移籍。この移籍は浅野の対巨人戦成績がよかったために巨人好きと言われた松園尚巳オーナーからのプレゼントとも言われた。同年9勝4敗1セーブをあげ、カムバック賞を受賞する。1984年、引退。実働18年間で542試合、86勝116敗10セーブ。

その後、アール・エフ・ラジオ日本・テレビ朝日の解説者を経て、1990年ヤクルト投手コーチ、1998年日本ハム投手コーチ、2000年二軍投手コーチを歴任し正田樹らを育てた。2003年から2005年まで台湾・中信鯨(中信ホエールズ)投手コーチ。2006年より元阪神、ロッテの藤倉一雅らとともに、元プロ野球選手としては初めて、大学野球部の指導者になることに決まった。2007年、正式に関甲新学生野球連盟の白鴎大学監督に就任するが、2007年度限りで退任した。現在、同じ元プロ野球選手の古葉竹識監督の下、東京国際大学野球部のコーチに就任予定。 →


エピソード
阪急・オリックスの中軸だった藤井康雄は同じ町内出身。福山電波工高(現近大福山高)では村田兆治は1学年下。
1971年5月25日の巨人戦で長嶋茂雄に2000本安打を打たれた。
1977年9月3日、王貞治が756号本塁打を放った巨人-ヤクルト戦で完投勝利している。


背番号
36 (1967年)
19 (1968年~1976年)
17 (1977年~1984年)
86 (1990年~1996年)
75 (1998年~2002年)

タイトル・表彰
オールスターゲーム出場(1974年)
カムバック賞(1977年)


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 →


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