赤堀元之 | ☆大 辞 典☆

赤堀元之

赤堀 元之(あかほり もとゆき、1970年4月7日- )は、元プロ野球選手(投手)。静岡県藤枝市出身。

現在オリックス・バファローズの投手コーチを務めている。現役時代は大阪近鉄バファローズの守護神としてチームを支えた。武器は140キロ台後半の快速球と、切れのいいスライダー。 →


来歴
1987年 静岡高校2年生の時、夏の甲子園に出場。継投で試合に出ている。
1989年 ドラフト4位で近鉄に入団。入団当時の背番号は40だった。
1992年 背番号を19に変更。この年、11勝4敗22セーブ、防御率1.80の成績で最多セーブ投手と最優秀防御率のタイトルを獲得。そこからパを代表するストッパーに君臨した。
1994年 西武との開幕戦で伊東勤に史上初の開幕戦逆転サヨナラ満塁ホームランを打たれるも、その後好調を維持。21試合連続セーブポイントの日本新記録(当時)を樹立するなど安定感のある投球を見せ、1992年から3年連続となる最優秀救援投手に輝いた(当時のパリーグ新記録)。
1997年 この年、開幕戦でオープンした大阪ドーム初のセーブを記録。またダブルヘッダーで両方セーブを挙げる日本タイ記録も樹立している。
1999年 4月に右ひじ関節炎を患い、7月に右ひじ靱帯の再腱手術を受ける。この年以降、不振が続いた。
2004年 近鉄の終幕とともに球団から戦力外通告を受け、現役引退。9月24日の大阪ドーム最終戦において引退登板をする。オリックス・バファローズの投手コーチに就任した。


タイトル・表彰
初登板 1989年5月3日ロッテ戦(藤井寺)12-2 9回より登板、1回無失点
初勝利 1990年8月26日オリックス戦(西宮)9-6 2番手として2回2死より登板、4回1/3無失点
初セーブ 1990年9月8日日本ハム戦(水戸)7-4 2番手として6回より登板、4回無失点
初完投・初完封 1992年10月5日ダイエー戦(藤井寺)3-0 被安打3 奪三振4 四死球3
最多セーブ投手 1992年~1994年
最優秀防御率 1992年
オールスターゲーム選出 1992年~1994年


エピソード
赤堀が高卒新人だった89年、01年の2度に渡り近鉄はリーグ優勝果たしたが、赤堀自身は日本シリーズ未登板のまま現役引退
1991年5月29日の対オリックス戦(日生球場)延長11回、ドン・シュルジーにパ・リーグでDH制を採用してからは初となる投手本塁打を浴び、これが決勝点となり敗戦投手となる。
赤堀は抑え投手として活躍したが、抑えをやっていたのはあくまで球団の方針であって本人はずっと先発投手としてやっていきたがっていた(大塚晶文の台頭によりその希望が叶って1998年に先発転向したがその後故障)。
上記の1994年のサヨナラ満塁ホームランを浴びたのは、3点差リードの場面であり、いわゆる「お釣なしのサヨナラ満塁ホームラン」は漫画の世界だけだと思っていて、まさか自分が体験することになるとは夢にも思わなかったという。
大のギャンブル好きである。池添謙一騎手の結婚式に招待されたことから、競馬サークルの面々と親しいと思われる。明るい性格で、とんねるずからは「ポリ」「ポリちゃん」と呼ばれていた。
元日本ハムの片岡選手が後に述懐して曰く、松坂投手のスライダーを見たとき、こんなに切れるスライダーは赤堀投手以外に見たことがなかったと語った。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 →


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