私は、普段はめったにフィクションの小説を読んだり、ドラマをテレビで観ることはない。昔から目が悪いこともあり、映画を見ることもあまりない。


1週間ぐらい前に次女の旦那さんから、下記のメールが入った。



『またしても惹きこまれる素晴らしい本に巡り合いました。もしご興味ありましたら、週明けに柏まで持参します。私の実家にも関係深い「グリコ森永事件」に基づく小説です。著者は私と同じ尼崎出身の塩田さん!』



「またしても・・・」というのは、以前このブログでも取り上げた、森健さんのノンフィクション『小倉昌男・祈りと経営~ヤマト「宅急便の父」が闘っていたもの』に続き・・・という意味である。


次女が長男を連れて帰省した時に、持参してきたそのお薦め本が、塩田武士「罪の声」(講談社)、8月2日発刊。409ページの長編である。


 








オリンピックと高校野球が終わってから読もうと机の上に置いていたが、台風9号のおかげで外出する計画もなくなり、22日(月)から読み始め、翌23日には一気に読み終わってしまった。



フィクションとはいっても、好きなノンフィクションを読んでいるように引き込まれてしまった。



作者の塩田さんは1979年生れだから、まだ36、7歳という若い方であるが、この取材力、調査力、構想力、そして文章力に舌を巻いた。




1984年(昭和59年)に関西で起き、未解決事件として知られる、実際にあった有名な事件に巻き込まれてしまった「二人の子供」の、その後に焦点を当てたフィクションである.



その根底に流れるのは、作者と同じ世代と思われ、30年経過した現在も、日本あるいは外国のどこかで暮らしておられるであろう、「大人たちによって、事件に利用された二人の子供」への深い思いである。




この「罪の声」の書評は、発刊間もないのですが既に多く出されています。一つだけご紹介しておきます。


「現代ビジネス」グリコ森永事件の「真犯人」を追い続けた作家が辿り着いた、ひとつの「答え」


http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49408




さて、このフィクションの原題材は「グリコ森永事件」だが、この事件は1984年から翌年にかけて、関西を舞台に、数社の食品会社をターゲットにして誘拐、恐喝が続けられた事件である。



この時期、私はある都市銀行の銀座支店で、企業相手の営業部門を率いていた。バブルに突入する直前で、自分のサラリーマン人生の中でも、まさに中間管理職として、仕事は最も忙しく、最も厳しい時期だった覚えがある。



目の前の仕事に追われていたのか、馴染みのある関西での企業恐喝事件だったにも関わらず、細かいことはあまり覚えていない。ただ、あの有名な「キツネ目の男」の似顔絵と、監視カメラが捉えた、コンビニで青酸ソーダ入りのお菓子を置こうとしている男の写真は覚えていた。



しかし、「罪の声」を読み進めているうちに、京都、堺、西宮、奈良・・・と若い頃、住まいを構えたり、よく休日に行った街が、話の舞台として出てくることから、ますますフィクションの世界ではなく、ノンフィクションの世界へ引き込まれるような錯覚にいつの間にか陥っていた。




犯人の一人であり、今や年老いた一人の男が逃れた英国の田舎町で、恐喝の録音テープの声に利用した甥っ子を、「昔、阪神パークに連れて行ったことがある」という思い出話をする場面がある。



この「阪神パーク」・・・私にも懐かしい響きであった。


甲子園球場の真ん前にある阪神電鉄が経営していた遊園地、動物園だ。隣は確か「阪神タイガース」の虎風荘という選手寮だった。



近くに勤務していた銀行の独身寮があり、1971年~1972年まで住んだ。「阪神パーク」に隣接したボーリング場で、200点を越える生涯最高のスコアを出したのを覚えている。時々通った近くの寿司屋で、当時流れていた歌謡曲は「天地真理」だった。


「阪神パーク」は2003年に閉園となったそうである。




最後にもう一度、話を「罪の声」に戻そう。






作者の塩田さんは、脅迫の録音テープに自分の声を利用された二人の子供は、加害者でもあり被害者でもあると指摘したうえで、子供を利用し巻きこみ、死者は出なかったものの青酸ソーダ入りのお菓子を店に置いた、いわば子供を人質にした「大人の卑劣な犯罪」への憤りを静かに文章にしている。



本の中では、二人の子供のうち、一人は30年経過して、偶然その事実を知って悩み、もう一人は事件中から母親たちと逃亡せざるを得ない状況に追い込まれ、帯に書かれているように30年間、「逃げることが人生だった」という。



この二人の子供、現在は40歳前後になっておられるはずだが、彼らの現実の30年間はどうだったのだろうかと考えずにはおられない。




この本を教えてくれた次女の旦那さんも、事件当時は7、8才であり、この子供たちとまさに同世代である。


ちなみに彼のお父さんは、当時恐喝された大手食品会社にお勤めだった。おそらくご両親の心配される様子を、家で見ていた幼い彼も不安になったに違いない。そういう意味で彼もまたこの事件の被害者だったのかもしれない。