本日の記事は、恥ずかしながら、失敗談。
1月30日(日)の話。
ミスタードーナッツのチラシを見た次女が
どうしても食べに行きたいというので、
昼少し前に、二人でバスに乗って駅前に行く。
バスに乗っているとき、ふと、
乗客のみなさんに幸せを祈りたくなったので、
心の中で、自分なりに祈りを唱えた。
こんな風に祈れる自分が嬉しいなあと思った。
が、バスを下りた時点で急に気分が悪くなってきて、
すぐさま帰りたくなった。
しかし、バスは一時間に1本しかないので、
目的地で時間を潰して帰ろう、と思う。
ミスドに行くのは、10年ぶりくらいだ。
次女に食べたいものを選ばせて精算し、
店内のテーブルにセルフで運ぶ。
私も自分用に2つのドーナッツと
ホットコーヒーを注文したのだが、
どれも味が今ひとつ、よくわからない。
頭が重く、メガネを外して、目頭を揉む。
不審がる次女を席に残して、
店内のトイレに行ってみた。
一人で静かにしてみると、
自分の視界が回っていることに気づいた。
真上から右横、また真上に戻って、右横。
というような中途半端な右回りをする眼球。
思わず心の中で、
「これはいったいどういうことか?」と尋ねたら、
「次元上昇のプロセスです」みたいな返事があり、
「ほー。そうか、じゃ、しょうがないよな~。
・・・ってか、外出中には止めてくれよ!」
みたいに、自分でノリツッコミする余裕はあったが、
めまいは一向に治る気配がないし、
『次元上昇』などという言葉も、不安を静めるために
私自身が勝手につくりだした妄想かもしれない。
とにかく、席にいる次女の所に戻らねば、と
フラフラしながらトイレから出た。
次女は、いつものごとく、ゆっくりほおばっている。
ポットを片手に、ミスドのお姉さんが来て、
コーヒーのおかわりをテーブルで注いで下さった。
大好きなコーヒーのお代わりがタダと知り、
ものすごく嬉しかったのだけど、今日ばかりは
コーヒーの味がわからず、悲しい。
次女は食べ終わると、ファンシーショップを見たい
と言い出したので、「はいはい。」と連れて行く。
立っているのがやっとな私は、
次女に「これ、かわいいね」と商品を見せられても
生返事しかできない。
いつもなら、「おお、このサンキャッチャーきれい!
衝動買いしたくなるわー♪」と思うところなのに、
ちっとも、サンキャッチャーが美しく見えない。
まだバスの時間には間があるので、
すぐそばの図書館に行く。
次女に本を選ばせている間に、
私は図書館のトイレにこもって、胃を空にした。
大好きな図書館で、1冊も本を見なかった。
帰りのバスが来て、やっと乗り込んだ。
家に辿り着き、あとは家族に任せて、蒲団に倒れる。
少しでも体を起こそうものなら、めまいに襲われた。
好きなもの(コーヒー、きらきら、本)の全てを、
今日は無視していた。
何よりも体が大事なんだと、改めてしみじみした。
本当に大切なものに気づいたから、
ある意味「次元上昇」ではあるかもしれぬ。
あと、行きのバス内での祈りが、まずかった気がする。
私が祈らずとも、他の人々は既に守られているのだ。
なのに、かなりでしゃばりな内容の祈りをした。
それが失敗だったのだろう。
今回のめまいでわかったのは、
1、自分の体を維持するためにきちんとご飯を食べ
(食欲が湧かないとすぐ1~2食、抜いてしまいがち)、
体を愛することを忘れないようにすること
2、他人のことより、自分へのフォーカスが大切
という2点を学んだ。
夕方になったので、気力を振り絞って起きあがり、
具だくさんの味噌汁を作った。
(他のおかずは、家族が総菜を買ってくれてあった)
家族のため、というより、自分のために味噌汁を作る。
時間をかけて食事したら、やっとめまいが治まり元気になった。
これからの私は、
自分の幸せに積極的に焦点を当てることにする。
幸せには、コーヒーも本も、さほど意味はないんだ。
健康な体あってのことなんだ、と強く感じた。