ユネスコ事務局長は親中派 それも筋金入りの | 朝倉新哉の研究室

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ユネスコの世界記憶遺産に、
いわゆる南京大虐殺に関する資料が登録されましたが、
それについて、菅官房長官がこんなことを言っています。

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<菅官房長官>ユネスコ分担金、停止・削減を「検討」

毎日新聞 10月12日(月)23時45分配信

菅義偉官房長官は13日午前の記者会見で、
国連教育科学文化機関(ユネスコ)が
世界記憶遺産に中国が申請した「南京大虐殺」に関する資料を登録したことと関連し、
日本がユネスコに拠出する分担金の停止・削減を「検討する」と述べた。

菅氏は
「(日中両政府の)意見が全く違う中で登録され、
 公正であるべき国際機関として問題だ。
 政治的に利用されることがないよう、制度の透明性を強く求めたい」
と述べ、
ユネスコに運営の見直しを求める考えを示した。
南京事件に関しては
「非戦闘員の殺害、略奪行為があったことは否定できないが
 (犠牲者)数の断定は困難との立場だ」
と語った。
【高本耕太】
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151012-00000038-mai-polから引用。

分担金の停止、削減を検討する、
などというのは、ちょっと前の日本なら考えられない強硬姿勢です。
それはいいんですが、
”非戦闘員の殺害、略奪行為があったことは否定できない”
と言ってしまっているのは、いけませんね。
そんな行為はありません。
あったとしても、便衣兵(ゲリラ)と間違えて民間人を殺してしまった程度でしょう。
中国が主張するような30万人の虐殺など絶対ありえません。
当時の中国軍(国民党軍)は、
制服(軍服)を脱いで民間人に偽装して戦闘行為を行っていました。
そういう兵士を中国語で、便衣兵と言います。
これは完全に、戦時国際法違反です。
便衣兵は、戦時国際法上のゲリラにあたります。
ゲリラは、戦時国際法上、その場で処刑してもよいことになっています。
南京大虐殺について語り出すと、長くなってしまうので、これ以上は述べません。

ユネスコの事務局長は、イリナ・ボコバという人物ですが、
この人がとんでもない人物であることがわかりました。

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2015.10.11 07:00
【世界記憶遺産】日本は無効狙い反論へ 
政治利用許したずさんなユネスコ…門外漢の委員、抗日行事参加の親中の事務局長

登録を最終的に決定したのはボコバ事務局長だ。
日中双方から働きかけを受けており、自身の判断がもたらす影響をわかっていたはず。
日本政府関係者は
「保留することもできたが、結局は自身の判断で登録が決まった」
と語り、
ボコバ氏の了承もまた、政治判断だったとの認識を示した。



ボコバ氏はブルガリアの元外相。
中国と良好な関係にあることは国連関係者の間では有名だ。
9月には北京での抗日戦争勝利記念行事にも出席した。


その際には、習近平国家主席夫人と会談し、
中国がアフリカなどでの女子教育普及を積極的に支援していることに謝意を伝えた。
国際機関の資金繰りが厳しい状況で、中国は貴重な存在だ。
次期国連事務総長の有力候補でもあり、
国連安保理常任理事国の中国の支持が不可欠なことは言うまでもない


ユネスコに詳しい関係者は
「ボコバ氏は共産圏で育った人物。
 日本側はボコバ氏が自分たちと同じ価値観を持つと思って働きかけていたが、
 それは間違いだった」
とも語る。

ある外務省幹部はこう漏らす。

「ユネスコ事務局長には最後のキャリアとして仕事をしてほしい。
 事務局長が国連事務総長ポストを狙うと
 ユネスコが出世のための踏み台として政治利用されてしまうことになる」
(田北真樹子、佐々木正明)
>>>

http://www.sankei.com/politics/print/151011/plt1510110005-c.htmlから抜粋して引用。
(赤字強調はブログ主による)


↑   抗日戦争勝利記念行事に出席したボコバ事務局長(向かって左)
↑   右は中国国家主席 習金平
http://dogma.at.webry.info/201510/article_2.htmlより転載

あの国際的にほとんど相手にされなかった
抗日記念行事に参加していたのですから、
これは相当な親中派です。
この事実を世界に大いに宣伝すべきです。(←ボコバ追い落とし工作)
そして、登録を撤回させるべきです。

ところで、習金平くん、
アンタの大先輩、毛沢東は、南京大虐殺についてなんと言ってたか、
知ってるかね?

>>>
毛沢東は「南京大虐殺」を避けてきた

2015年10月13日(火)17時30分

遠藤 誉(東京福祉大学国際交流センター長)

ユネスコが「南京大虐殺」資料を世界記憶遺産に登録することを決めた。
中国の歴史問題への逆走が止まらない。
実は建国の父、毛沢東は
「南京大虐殺」を教科書で教えることも、口にすることも嫌がった。なぜか―?

なぜ毛沢東は「南京大虐殺」に触れたくなかったのか?

毛沢東は生きている間、
「南京大虐殺」に触れることを嫌がったし、教科書にも載せようとしなかった。
(日本語では「南京事件」と称するが、
 ここではユネスコで登録されたことと、
 毛沢東の「南京大虐殺」に関する見方を考察するので、
 中国流の「南京大虐殺」という文言を用いる)

なぜなら、「南京大虐殺」が起きた1937年12月13日前後、
毛沢東ら中国共産党軍は、
国民党軍も日本軍も攻撃にこれらないほどの山奥に逃げていた
からだ。
そこは陝西省延安の山岳地帯。
南京の最前線で戦っていたのは蒋介石率いる国民党軍だった。

毛沢東らはそもそも、
1937年7月7日に起きた盧溝橋事件(日中戦争が本格化した事件)の
第一報を受けると
「これで国民党軍の力が弱まる」と喜んだと、
1938年年4月4日まで延安にいた(共産党軍の)紅第四方面軍の
軍事委員会主席・張国トウ(トウ:壽の下に点4つ)が
『我的回憶(我が回想)』で記録している。

中共中央文献研究室が編纂した『毛沢東年譜』を見ても、
この日付の欄には、ただひとこと
「南京失陥」(南京陥落)という4文字があるだけだ。
その前後は1ページを割いて
1937年12月9日から12月14日まで開催していた
中共中央政治局拡大会議のことが書いてあり、
13日に4文字あったあと、14日からはまた雑務がたくさん書いてある。

「南京大虐殺」に関しては「ひとことも!」触れていない。

『毛沢東年譜』は
毛沢東の全生涯にわたって全巻で9冊あり、各冊およそ700頁ほどなので、
合計では6000頁以上にわたる膨大な資料だが、
この全体を通して、「南京大虐殺」という文字は出てこない

1937年12月13日の欄に、わずか「南京失陥」という4文字があるのみである。

翌年も、翌翌年も、そして他界するまで、
ただの一度も「1937年12月13日」の出来事に触れたことはなく、
この「南京陥落」という4文字さえ、その後、二度と出て来ない。

 毛沢東は完全に「南京大虐殺」を無視したのだ。

そこに触れれば、
中国共産党軍が日本軍とは、まともには戦わなかった事実が
ばれてしまうことを、恐れた
からだろう。
そして国民党軍の奮闘と犠牲が強調されるのを避けたかったからにちがいない。

中国大陸のネット空間では

いまごろになって、中国大陸のネット空間には、
「なぜ毛沢東は南京大虐殺を教えたがらなかったのだろうか?」
とか
「なぜ毛沢東は南京大虐殺を隠したがったのだろうか?」
といった項目が数多く出てくるようになった。

たとえば大陸の百度(baidu)で検索した場合、
「毛沢東 南京大虐殺」と入れると、
日によって異なるが200万項目ほどヒットする。
そのほとんどは、この疑問への投げかけだ。

中にはきちんと中国建国以来、
いつまで南京大虐殺を隠し続けたかを調べた人もいる。
この種の記事は多いが、信じていただくために一つだけ具体例を挙げよう。

2014年12月31日付の
西陸網(www.xilu.com)(中国軍事第一ポータルサイト)で
「毛沢東時代はなぜ南京大虐殺に触れなかったのか――恐るべき真相)」
というタイトルで陳中禹(う)という人がブログを書いている。 

彼は
1958年版の『中学歴史教師指導要領』の中の
「中学歴史大事年表」の1937年の欄には、
ただ単に
「日本軍が南京を占領し、国民政府が重慶に遷都した」
とあるのみで、
一文字たりとも「南京大虐殺」の文字はない
と書いている。
この状況は1975年版の教科書『新編中国史』の「歴史年表」まで続くという。

ちなみに、毛沢東が逝去したのは1976年。
陳氏によれば、
1979年になって、ようやく中学の歴史教科書に
「南京大虐殺」という文字が初めて出てくる
とのことだ。

他の情報によれば
「1957年の中学教科書にはあったが、60年版では削除されていた」
とのこと。
実際、確認してみたが、たしかにその時期、
南京大虐殺を書いた教科書が江蘇人民出版社から出たことがある。
しかし、その後消えてしまっている。

200万項目ほどヒットする関連情報の中に、
「1980年代に入ると
 日本の歴史教科書改ざん(美化)問題があったため、
 中国の一般人民は初めて
 南京で日本人による大虐殺があったことを広く認識し始めた」
というのが多い。

それによれば人民日報が初めて
「南京大虐殺」に関して詳細に解説したのは1982年8月で、
その書き出しは
「日本の文部省の歴史教科書改ざん問題」から始まっている
とのこと。

そのため大陸の多くのネットユーザーは、
「中国人民は日本の右翼に感謝しないとねぇ。
 なんたって、彼らがこうやって歴史歪曲を始めようとしなかったら、
 中国人民は永遠に南京大虐殺のことを知らないまま、生きていたのかもしれないんだから」
と、皮肉を込めて書いている。

ちなみに、
「南京大虐殺記念館(中国名:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館)」は、
日中戦争勝利40周年記念に当たる1985年8月15日になって、ようやく建立された


なお、靖国神社参拝批判が80年代半ばから盛んになった背景にも、
こういった毛沢東の「抗日戦争(日中戦争)観」が関わっている。

習近平政権になってから異常に加速する「歴史カード」

今年8月25日付けの本コラムで
毛沢東は抗日戦勝記念を祝ったことがない
と書いたが、
習近平国家主席は、
9月3日の抗日戦争勝利70周年記念日に
中国建国後初めて軍事パレードを挙行しただけでなく、
「南京大虐殺」に関してもユネスコが世界記憶遺産に登録認定するところまで漕ぎ着けた。

習近平政権になってから、
中国共産党による日中戦争時の歴史改ざんは加速するばかりである。
言葉では「世界平和のため」と言っているが、
その実、「日本の戦争犯罪を世界共通の認識」へと持っていき、
反日意識を全世界に広げる効果をもくろんでいる


なぜなら日米が中心となってTPPなどの手段で
「普遍的価値観」を世界的に普及させ
中国包囲網が思想的に出来上がっていくのを切り崩したいからだ。
そのためには「日本の歴史認識カード」は都合の良い切り札になるのである。

その証拠に10月10日、
中国外交部の華春瑩・副報道局長は
「南京大虐殺は国際社会が公認する歴史事実となった」
と述べた
ことに注目しなければならない。

中国に関する日本人の「歴史認識」の危なさ

問題はわれわれ日本人が、
どれだけ正しい中国に関する「歴史認識」を持っているかだ。

今年8月10日付の本コラム
「戦後70年有識者報告書、中国関係部分は認識不足」
に書いたように、
日本の「有識者」は
「1950年代半ばに共産党一党独裁が確立され、
 共産党は日本に厳しい歴史教育、いわゆる抗日教育を行うようになった」
と書いている。

日本の政治を動かす、安倍総理のための「有識者」は、
こんな程度の「中国に関する歴史認識」しか持っていない。
これが日本国民にどれだけの不利をもたらしていることか――。
このような状態では日本を守る外交戦略さえ立てることができない。

中国のこの、政治利用とも言える
「歴史認識カード」を跳ねのけることができる唯一の道は、
日中戦争時代および中国建国後の毛沢東を徹底して研究することである。
それ以外に道はない。

それにより中国共産党の真相を
正しく客観的に見抜く視点を養えば、
ユネスコを説得する力をも持ち得ると固く信じる。

札束と、中共に都合よく歪曲された歴史を世界の共通認識とさせてはならない

日本の「有識者」が
潜在的に中共のプロパガンダに洗脳されていることに
気づかない日本政府の怠慢でもある。

なお、本日のコラムに書いた内容は、
来月半ばに出版する『毛沢東――日本軍と共謀した男』(新潮新書)で詳述している。
出版前に企業秘密のような内容を開示してしまうのはルール違反だが、
ユネスコの世界記憶遺産発表を受け、真実を明らかにせずにはいられなく、
出版社の許可を得て一部を事前に公開した次第である。

[執筆者]
遠藤 誉
1941年中国生まれ。
中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。
東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士。
中国社会科学院社会科学研究所客員研究員・教授などを歴任。
『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』
『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など著書多数
>>>

http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2015/10/post-3985.phpから引用。
(青字、赤字による強調はブログ主による)

毛沢東が触れなかったのは、当たり前です。
そもそもなかったんですから。
それに、毛沢東は、「皇軍(日本軍)に感謝する」と言ったことがあります。

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毛沢東が
日本の「中国侵略」に感謝の発言を行ったことは有名だ。
中国外交部と中共中央文献研究室が
九四年に編纂した『毛沢東外交文選』(中央文献出版社)にも
次のような発言が収録されていると言う。

―――日本の皇軍が過去において中国の大半を占領したため、
中国人民は教育を受けることができた。
もし日本の侵略がなければ、
我々は今でも山の中にいて、北京で京劇を観ることもできなかっただろう。
日本の皇軍が中国の大半を占領したからこそ、
我々はたくさんの抗日根拠地を作り、
その後の解放戦争における勝利の条件を作り出すことができたのだ。
日本による資本の壟断と軍閥は我々に対して「好いこと」をしたのだ。
もし感謝が必要なら、むしろ我々が日本皇軍の侵略に感謝したいと思う。
(一九六一年一月二十四日、日本社会党議員黒田寿男らに会見した際の談話)

―――あなたたちは我々の先生だ。
我々はあなたたちに感謝しなければならない。
あなたたちがあの戦争をし、中国人民を教育してくれたため、
撒かれた砂のような中国人民は団結をすることができたのだ。
だから我々はあなたたちに感謝しなければならない。
(訪中した日本の元陸軍中将、遠藤三郎との談話。
 同年、接見した日中輸出入組合理事長、南郷三郎にも同じような話をしている)
>>>

http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-624.htmlから抜粋して引用。

日本は侵略なんかしてませんけどね。
支那事変(日中戦争)は、
通州事件などの日本人殺傷事件の報復という意味合いがあったのですから、
侵略ではありません。
先に手を出したのは、中国なのです。

わかったかね、習金平くん。
君も、毛沢東に倣って、日本に感謝したまえ。
もっとも、それをやったら、共産党崩壊だろうけど。


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