今後も福沢先生をよろしく | 朝倉新哉の研究室

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全ては日本を強くするために…

http://japanese.china.org.cn/life/2013-09/15/content_30033081.htm

に、『日本紙幣に居座り続ける古顔、福沢諭吉』

と題する記事がありました。

以下に、抜粋して引用します。

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一つの国の世界観や価値観は各国の紙幣、特に最高額紙幣の上に浮かび上がる。

2001年に欧州通貨単位のユーロ紙幣がドイツの紙幣に制定される以前、
ドイツの最高額紙幣、1000マルク紙幣に印刷されている人物像は、
現代ドイツ語辞典を編纂したグリム兄弟だった。
現在、日本の最高額紙幣1万円札に印刷されているのは福沢諭吉だ。

福沢諭吉(1835-1901年)は江戸時代末期に下級藩士の家に生まれた。
日米修好通商条約に伴い派遣された咸臨丸の艦長の従者として渡米したり、
欧州各国の使節団に同行するなど、西洋の学問に心酔し、
明治時代における「文明開化」に尽力した人物だ。
また、福沢諭吉は日本の近代思想史において、
最も早くに「Civilization」を「文明」と翻訳し、
「文明」の概念を導入すると同時に、文明の優劣を説いた。

福沢諭吉はかの有名な「脱亜論」という文明の優劣による評価を導入した。
これにより、近代日本人は、
西洋文明の風が国境を越えてアジアに流れ込めば、
古いしきたりに囚われた清国や朝鮮は国家滅亡の運命から逃れられないと見て、
清国・朝鮮との間に明確な境界線を引き、
2カ国の滅亡の巻き添いになることを避けなければならない
というアジア観の基礎を打ち立てた。

福沢諭吉が1万円札の上に刷られているのは決して偶然ではない。
日本が歴史問題を認めないのも偶然ではない。
この二つの事柄はすべて同じ歴史的根源から来ている。

現在、500ユーロ紙幣にはグリム兄弟に代わって抽象的な現代建築が印刷されている。
欧州憲法の制定や欧州通貨単位ユーロの発行に伴い、
第2次世界大戦後の古い体制のままだった欧州は
今や、一つの新しい欧州に向け体裁を整え始めている。
しかし、福沢諭吉は今もなお1万円札に印刷されており、
一代、また一代と日本人の成長と衰退を見つめ続けている。
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中国は、脱亜論を唱え、中国を見下していたかのような福沢が、

最高額紙幣の肖像になっていることが気に入らないようです。

だからこそ、今後も1万円札の顔は福沢にすべきです。

福沢の肖像を使い続けることは、

「日中友好が必要」

「日中友好は重要」

という前提には立たない
、というメッセージになります。

中国や韓国との友好が必要だとか、重要だという前提に立つと

とんでもないことになるのです。

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呉  韓国人は親しい人や仲良くしたい人にモノを借りて「有難う」を言わない。
   カムサハムニダ(ありがとう)という言葉はありますが、
   深く感謝するとき、あるいは形式的な場面で使うので、日常の場面で使うと
   胡散臭く思われます。

加瀬 妹が兄にコーヒーを淹れたら、ありがとうと言わない?

呉  言わないです。
   奥さんがご主人にお茶を淹れたとき、
   ありがとうと言うと韓国では離婚沙汰です(笑)。
   中国人や韓国人が日本人と仲良くなれないと思うのはその点ですね。

   アメリカは文化も人種も違いますから、はっきり他人として見ることができますが、
   日本は同じ儒教文化圏、漢字圏だと思っていますし、
   人の顔もそっくりですから、無意識のうちに身内感覚が働くんです。

   日本は韓国と仲良くしようと言うが、
   それならなんで兄弟姉妹のようにしてくれないのと
   韓国人は日本人に不信感をもつわけです。
   経済的に成功した兄弟姉妹は成功していない兄弟姉妹を助ける、
   親族全部を食べさせる伝統があるんですね。
   友だちでも自他の別なく付き合って、分けてあげなければ、と思う。

   東アジア共同体と日本が言っても信用しないのは、
   経済が優位なら半分くれよという気持ちがあるからです。
   領土だって、日本は余裕があって島が多いでしょ、
   竹島くらいくれてもいいでしょう、と(爆笑)。   
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『歴史通』2012年3月号から引用。

1万円札の顔を、福沢から別の人物に変えて、中国に”配慮”したら、

”尖閣くらいくれてもいいでしょう”

ということになりかねないわけです。

『歴史通』201年 3月号には、

「日韓歴史共同研究」に参加した

筑波大学大学院の古田博司教授のインタビュー記事もあります。

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日本人は嘘はつかない。でも不正直なのです。
韓国人はその逆で、嘘つきだけど、正直なのです。

中国人もそうだと思います。
嘘という概念が我々と違い、彼らにとっては嘘というのは
「さらに多くの利益を確保するための虚偽の申告」
(坂東忠信『通訳捜査官』経済界、2008年)
に過ぎないのです。
嘘だという自覚がない。
だから嘘なんかいくらだってつくわけですよ。

不正直だけど嘘はつかない我々と、
正直だけど嘘をつく韓国人や中国人とは絶対に合わないのですね。
朝鮮民族とつき合う方法という題ですけど、
つき合いたい人だけつき合えばいいと僕は思います。
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1万円札の顔には、福沢を使い続けるべきだと思います。

「お前らに配慮なんかしないぞ」
「お前らと仲良くしなくたっていいんだぞ」

というメッセージになるからです。

$国家戦略研究





























http://yohkan.iza.ne.jp/blog/entry/3116592/より転載


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