嘘恋シイ【5】 | 虹色金魚熱中症

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虹色金魚の管理人カラムが詩とお話をおいています。

拙いコトバたちですが読んでいただければ幸いです。

はじまる、ゆっくり。 だけど、はっきり。

 

 

嘘恋シイ【5

 

 

 「お前さぁ、大変なことになってるよ」
 

 なんとか遅刻を回避して教室に滑り込むと、大きく息を吐いて席に着いた。その傍から背中をシャーペンで突かれた。一限目の英語を前に単語訳の写し合いで教室内は大忙しだ。それを横目に椅子を傾けると、後ろに座る岩井遼平に顔を向けた。

 
 「なんだよ」
 

 わざとらしく、よしよしと慎吾の頭を撫でてくる厚く太い手のひらが鬱陶しい。片手で払いながら岩井を睨むと、柔道でならせたいかつい肩を竦めて見せた。芝居がかっていて、尚のこと鬱陶しい。

 
 「昨日さ、小金沢にチョコやったろ、お前」
 「あー……」
 

 濁した答えに岩井がにやっと笑う。彫りも深くパーツのでかい顔は笑っているのに鬼みたいに見えなくもない。ただ人柄のせいか怖くはない。陽気な鬼だ。
 

 「いいよな。もてる男は。でもその分、災難も多し」
 

 もてる云々は置いといて、確かにそうだ。昨日の下駄箱チョコレートだって災難といえば災難だ。岩井の含みのある言い方と表情に苛々しながら鞄からノートを取り出した。俺も英単語訳を写したい。
 

 「言いたいことがあるなら言えよ。あ、俺にも見せて」
 

 昨日は宿題なんてする気になれなかったし、予習なんてもちろんやっていないかった。日の暮れた公園から、もやもやと晴れない気分を持ち帰り、理由を考えるのも億劫ですぐに寝た。
 

 「だからさ。小金沢にやったチョコだよ。なんかさ、そのチョコの子、女友達引き連れて朝からお前、探してたぞ」
 

 隣から調達したノートから和訳を掬い取っていると、急に落とされた岩井の言葉にシャーペンの芯が小さく折れ飛んだ。
 

 「はぁ?」
 

 見上げると、これ見よがしのにやついた顔が俺を見ていた。間違いなく、岩井はこの頭を抱えたくなるような俺の状況を楽しんでいる。友達甲斐がないことこの上ない。俺は友達に恵まれてないのだろうか。
 

 「ま、今日は最悪な日になると思うよ、俺は」
 

 岩井の不吉な言葉が俺に重くのしかかってきた。そうして、こういった予言だけは大当たりするものだ。どうして彼女らはこうも集団行動が好きなのだろうと、目の前の状況に目を細めた。

 
 「桜井さんに謝りなさいよ」
 

 腰に手を当てた女子が鋭い視線で俺の息の根を止めようと挑んでくる。どこまでも高い青い空が俺を見下ろしている。こんなによい天気にも関わらず、俺の頭上だけ落雷注意報がけたたましく鳴り響いていた。
 

 ――雷のほうがましだ。
 

 その感想だけはなんとか胸に収めて慎重に彼女らを見渡した。当事者であるはずの桜井さんとやらは、集団の一番後ろに隠れて時折俺を覗き見ている。
 授業合間の休み時間は男子トイレという名の最後の楽園に身を潜めていたものの、昼休みの始まりのチャイムが鳴り終わる前に岩井の予知した災厄に捕まった。逃げ出すこともできず、中庭を見渡せる渡り廊下に立っていた。四方を囲む狼の群れが今にも飛びかかってきそうで怖い。
 

 「何とか言ったら!」
 

 何を言えというのだろう。答えがあるなら教えて欲しい。望むとおりに答えてやる。だけど俺には最善の答えがわからない。流石に馬鹿ではないから、思っていることを口にしたら状況が悪化するだけだということわかっていた。だから黙るしかない。

 大体、さっきから吼えてるあんたは誰だよ。

 
 バレンタインのチョコを他人に譲った俺の行為は決して褒められたことじゃないけれど、当人に言われるならともかく、目の前のえらく甲高い声の女子に威嚇される云われはない。
 

 だけども逃げ場もないんだよな……。

 

 自分を囲う全員が非難の目でこっちを見ていた。そんな中、当事者である桜井さんだけは非難というよりは、今にも泣き出しそうに傍の友人の腕を掴んでいる。
 

 うんざりだ。きゃんきゃんと喚く女子も、ただ黙って泣きそうな女子も。

 
 「何とかって言われても……。だから、ごめんって」
 

 確かに誠意のない言い方だった。態度が悪かったことは認める。でも言わせて貰えば、こんなに鼻息の荒い女子を前にして誠意なんてもの、とっくに逃げ出してしまっている。
 

 「何それ! 馬鹿にしてるの!」
 

 馬鹿にしてるんじゃなくて、うんざりなんだよ。

 

 それも何とか飲み込んだ。でも、そこまで大人じゃないから我慢の限界はぎしぎしと音を立てて迫っている。一人が 「桜井さんが可哀相」 と舞台役者顔負けの発声で言い放って、つられるように俺の限界がパツンと切れた。
 

 「あのさ。じゃあ聞くけど、普通、食い物を下駄箱なんかに入れる? それを食べたいって思う? 残念だけど俺は食べたいとは思わないね」
 

 言葉は残酷なほどゆっくりと丁寧に、水面に弧が描かれるように広がっていった。そして桜井さんは小さく嗚咽を漏らした。

 
 「だ、だって、上谷君……チョコ、貰ってくれない、から」
 

 蚊の鳴くような声ってこういうのだろうか。小さく震える声は、だけどその場に居た全員に聞こえた。間違いなく俺は悪者決定だ。

 
 「そうだよ。だから下駄箱に入れたって? そんなことされても困るよ。確かに小金沢に渡したのは悪かったって思う。それは謝るけど、もし小金沢に渡さなくても俺、食べなかったし。結局、受け取らないよ」
 

 ついにというか、当然というか、俺の台詞に重なるように桜井さんは泣き出してしまった。さっきまでのか細い声とは一転して、きんきんと耳に響く。
 

 「最低!」
 

 それが合図となったように、女子が競うように吼え始めた。多分これから本格的に俺は罵られるんだろう。そう覚悟したときだった。響くそれは本当に澄んだ声だった。
 

 「都ちゃん」
 

 状況を把握してないような声はあどけなく、今まで散々聞いていたものと同じ生物のものとは思えない。攻撃態勢だった女子の視線がそちらに向く。俺もその声に誘われた。
 

 「都ちゃんたちのクラスって、次体育でしょう。もう、四組の子、着替えてたよ」
 

 小波優貴だった。職員室帰りなのか、プリントの束を胸にしっかりと抱いている。この場を目にしているにも関わらず、全く状況を理解したようにも見えず、きょとんとした顔で首を傾げた。

 
 

 「災難だったね。大丈夫?」
 

 小動物を思わせる黒くて丸い目が自分を見ていた。覗き込んできた小さな顔がやけに近く感じて、体の中央がむずむずとする。
 

 「あ……ぁ、有難う」
 「ううん。下駄箱に食べ物入れるのは、私も如何なものかと思うしね」
 

 上ずってしまった声が自分のものじゃないみたいに耳に入った。だからなのかは分からないけど、小波さんはほんの少し笑った。その横顔を盗み見て、何故か急に恥ずかしくなった。
 

 「チョコ貰わないんだね、上谷君」
 「え、あー……うん」
 「ふぅん。本命からしか貰わないとか?」
 

 答えに戸惑った。そんな自分にわけも分からず、妙な焦りを感じた。俺は答えを必死に探していて、だけど彼女はそれを待たずにこっちを向いた。
 

 「いいと思う。その方がね。きっと上谷君の彼女さんは幸せだね」
 

 答えを待たなかった彼女は零れ落ちた髪を流れるように耳にかけながら、柔らかな声で微笑んだ。
 

 「でもね、あんまり意地悪しちゃ駄目だよ。女の子って傷つきやすいし、根にもつから。断り方もいろいろあると思うし……それに優しい男子のほうが格好いいよ」

 
 俺はなんと答えただろう。彼女の言葉に何か答えられただろうか。記憶が馬鹿みたいに曖昧で、だから多分、何も言えないまま彼女の後姿を見送ったんだと思う。アホな俺への助け舟なのか、昼休み終了を告げるチャイムがゆったりと響いて、 「じゃあね」 と去った彼女の後姿だけ、それだけが脳裏に焼きつき残ってしまった。



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