嘘恋シイ【1】 | 虹色金魚熱中症

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虹色金魚の管理人カラムが詩とお話をおいています。

拙いコトバたちですが読んでいただければ幸いです。

これは恋なのだろうか



嘘恋シイ【1

 

 

 わかっていた。風船みたいに膨れ上がってくる気持ちに妙に納得する。そうだ。本当はわかっていたんだ。
 オレンジジュースをぶちまけたような放課後の教室で、目の前の女子は状況を理解できずに視線を泳がせている。だけど、ほんの数秒前までその目には確かに自分が映っていた。自分だけが映っていたはずだ。真っ直ぐにしっかりと。

 
 「え、っと……あの」
 

 なのに今となってはそんなこと、遠い昔のおとぎ話と大差がない。現実味の無い、夢だけが詰まったご都合主義の物語。
 だって彼女は俺を見つめてたんじゃない。驚いていただけだ。黒目がちのそこに俺を映していたのは、ただ俺の言動に驚いて思考が停止していただけ。それどころか、本当のところ俺を見ていたのかも疑わしい。
 

 最悪、俺を見ていたんじゃなくて――。

 
 「駄目かな」
 

 むくむくと湧いてきた薄暗い感情を押しのけて彼女の目を覗き込んだ。その目に自分が映っているのを確認して安堵した。そうだ。ちゃんと俺を映して。
 

 困惑。そんな感情を顔に貼り付けた彼女は小さく息を吸い込んだ。そのまま声をなくしたかのように口を開いては閉じるを繰り返している。

 
 さぁ、俺になんて言う?
 

 目の前の彼女のことなら知っている。彼女が俺を知っているより何倍も。だからどうしても確かめたかった。俺の気持ちと、彼女の気持ちを。彼女、小波優貴を黙って見続けていると、観念したようにちゃんと俺を見返した。

 
 「駄目って、そんなこと。……だって」
 

 観念はしても困ることに変わりないらしい。彼女の指先が縮むように丸まっている。たぶん足の指まで丸まっていると思う。縮こまったって消えるなんて無理だし、俺は逃がしてなんてやらないのに。ふと沸いた意地悪な感情に蓋をした。押して駄目なら引いてみろ。そういうわけじゃないけど、一旦視線をはがして頭を掻いた。

 
 「俺さ、本気なんだけど」
 

 もう一度、念を押すように彼女を伺う。自分を映した瞳は潤んで見えた。夜空みたいに自分を吸いこむその目をこのまま見ていたい気もする。その反面、やけにうるさい自分の鼓動から解放されたくて、この場から一目散に逃げ出したい。相反する思いと内側で戦っていると、唐突に小さな口が開いた。

 まるでしゃべることで自分を守れるかのように彼女は早口だった。彼女も逃げ出したいのかもしれない。

 
 「あの、上谷君。やっぱりわかんない。何で、私……? わ、私、上谷君と話したこと……ほとんど無いよね」
 

 ああ、そんなこと。
 

 ようやく発した彼女の言葉を呑み込んで、思わず自分を罵る。本当にその通りだからだ。こんなことになる前にちゃんと手順を踏むべきだった。もっと仲良くなっておくべきだったんだ。その為の時間ならあったはずだ。同じクラスになって、俺は今まで一体何をしていたんだろう。だけど、それを今、この時に指摘しなくてもと、自分勝手な言い訳までが浮かんで逆に情けなくなる。
 言い訳の代わりに自分から漏れ出た唸り声に思わず頭を抱えそうになった。それをなんとか堪えて、もう一度強く頭を掻いた。

 
 「何でって言われても」
 

 そもそも、そんなことわかっていたら苦労なんてしない。それは彼女だってそうだろう。
 

 「超、好み。それじゃ駄目かな」
 

 とっさに搾り出した回答に彼女は長い睫を瞬いた。驚いているのは君よりも俺だ。なんて間抜けな台詞。もっと何かあったはずだ。だけど俺も想像以上に緊張しているらしい。握った手のひらがじっとりとした。
 

 「超って……あの、駄目って」
 

 形のいい眉が考えるように拠る。唇が何か言葉をかたどって、だけどそれは音を成さなかった。

 
 「付き合ってる奴がいるの?」
 

 何で俺はそんなことを聞くんだろう。馬鹿げていると思いながらも 「じゃあ、好きな奴がいるの?」 と畳み掛けた。彼女が答えるわけが無い。自分の中で呪文のように唱えた言葉に苛々した。全部が全部、俺はわかっているくせに。

 
 「え、あ、あの、ね」
 

 まごまごと口を動かした彼女はそれでも意味のある台詞を紡ききれないでいた。
 

 「じゃあ、とりあえず。うん。立候補ということで」
 

 本当に俺は間抜けだ。口から出た瞬間、後悔を孕んでいた恥ずかしい台詞に小波は大きな瞳をいっそう広げて俺を見た。小さく開かれた唇から、今にも溜息が生み出されそう見えて焦った。だけど、こうなったらもう仕方ない。自分を落ち着かせるために大きく深呼吸した。
 

 そうだ。間違ってなんてない。

 
 生まれてしまった感情は猛烈な勢いで加速して、俺の内側から出たがっている。それがほんの少し表に出て、気がつくと俺は笑っていた。
 

 「これから、ガンガン行くから、よろしくな」

 
 差し出した手に予想外にも彼女は触れた。思わずといった感じの、いわゆる条件反射だろうけど。触れた冷たい指先が俺の熱を吸い取っていく。
 

 ――逃がすもんか。

 
 しまったという顔の彼女の手をぐっと握りしめた。 「じゃあ」 とやけにそっけなく返しながら、机の上におきっ放しの鞄に手を伸ばして乱暴に引き寄せた。がたんと音を立てて机がずれたけど、そんなこと気にしていられない。傍には手を離した彼女が黙って立ち尽くしている。彼女の視線を背中に感じながら、俺は駆け足で教室を後にした。

 
 体がエンジンを噴いて、自分のものじゃないように勝手に足が回る。走ることでこの鼓動を上書きしたい気持ちもあった。校舎はグラウンドまでもやけに静かで、まるで誰ひとりいないような錯覚を起こさせる。そんな静かな校舎を急いで飛び出した。走れば走るほど、鼓動は大きくなる。どんどん大きくなっている。
 校舎が見えなくなるまで走って、ようやく足が止まった。体を折って一息つくと、耳の内側から迫ってくる音に思わず笑えた。

 
 「――参った」
 

 耳が熱い。小波に告白したときはもう少しましだったはずなのに教室を去った瞬間、鼓動はどんどん加速し、頬や耳は痛いくらいに熱を持った。
 

 はっきりした。……はっきりしてしまった。 「俺は馬鹿か」 呟きにまた笑いが零れる。わからないから 「好きだ」  と言った。ただ気になるだけなのか、それとも本当に特別な感情なのか。こんな簡単なことがわからなかったなんて。

 違う。わからなかったんじゃない。知りたくなかった。勘違いならそれがよかった。だって、小波は――。

 

 「兄貴の彼女だ」  呟きは簡単に夕暮れに消えていった。なのにその事実だけは動かしようもなく、俺と彼女の真ん中に厚い壁のようにそびえていた。


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