後悔ばかりが待っている。だけど逃げ出したいよ。
ウソコク【29】
もう遅い。そんなこと知ったってしょうがない。嘘の告白と嘘のキスにどれほどの意味があるだろう。溢れる涙をぬぐいながら、 「意味ならあるよ」 と内側の私が呟いて、否定はできずに 「そうだね」 と弱く認めた。
意味ならある。二度と嘘なんてつけないように、上谷君越しに神様が警告しているのかもしれない。今までの私、嘘ばかりの私に。
……だから上谷君の優しいは痛いんだ。
「小波……」
「やめて!」
優しく響く彼の声を聞きたくなくて、飛び出た言葉は悲鳴のように耳に響いた。
「上谷君、酷いよ。こんなのないよ」
震えるのは声だけじゃない。体中が怯えを表しているみたいに揺れていた。
「じゃあ、どうすればいいんだよ。兄貴の代わりなんて、俺」
「やめればいいじゃない! 圭吾さんに言ってよ。私はもう……一人で平気なんだって!」
そうだよ。もう平気なのに。平気だったのに。丸まった手のひらが震える。
「何言って……」
伸ばされた上谷君の手を拒むように体を引いた。これ以上、その体温に惑わされたくなかった。
「もういいんだよ、圭吾さんのことなんて」
圭吾さんと上谷君の思惑通り、私は大丈夫になったんだ。――だけど。
「私……なんなんだろう。もう嫌。圭吾さんも、上谷君も最悪だよ」
「な、最悪って。兄貴は……でも、俺」
彼の挑むようだった顔が強張っている。どこか悲しげに見えた。それだけで、もういいよと言いたかった。だけど、それでも私にとどめを刺したのは上谷君だ。
「そうだね。上谷君は優しいね。だって多分、上谷君がいたから。私、大丈夫になれたんだと思う。でも、だけど、一番酷いよ。私、そんなに可哀想だった? 上谷君から見て可哀想だった? だからって、そんなことまでしなくて良かったのに」
黙った上谷君を見上げる。その顔が小さく歪んでいた。
「私ね、圭吾さん……お兄さんと付き合って、すごくね、嘘つきになったの。奈央や美弥にも何も言わなかった。家族にだって平気で隠してた。嘘をつくなんて簡単だったよ」
だけど、どこかに膿がたまっていくのを感じていた。知らないふりを決め込んでも、半透明の淀みが重なって重なって光を遮っていく。いつかこんな私のこと、圭吾さんは嫌いになるって分かってた。圭吾さんのことが好きだって理由で嘘を重ねる私の側から、いつか居なくなるんだろうって怖かった。
「嘘はね、簡単……だったけど、でも辛かったよ」
上谷君だってきっとそうだ。つかなくていい嘘をついて、知らなくていいことを知って、ずっとずっと黙っていて。
「だから、上谷君も……もう嘘はつかなくていいんだよ」
出来る限り微笑んだ。無理に押し込んだ感情がひりひりと心臓を焦がしているみたい。内側で痛いと泣いている弱い私が、それでも声を殺している。
だから痛みを伏せて笑った。上谷君が安心して私をおいていけるように。もう嘘なんてつかなくていいように。
「嘘なんてつくことばかりだったから、つかれることがあるって忘れてた」
もう流れるなって祈りながら、手の甲で涙を拭う。そうしたら、広い空が少しだけちゃんと見えた。酷く青くて目にしみる。
「うん。上谷君が悪いんじゃない」
上谷君だってこんな役回り嫌だったよね。小さく笑って立ち上がった。風が吹いて髪が顔に目隠しをした。
「でも……でもね、圭吾さんなんて嫌い。……上谷君なんて嫌い」
言葉を口にして、内側でため息が零れた。私はなにも成長していない。圭吾さんと同じ。圭吾さんのときと同じ。嘘をついて逃げている。逃げ出したって結局、変わりはしないと知っているのに。後悔ばかりが待っていると全部わかっているのに。それでも逃げたいだなんて、私はなんて弱いんだろう。
不意に手を引かれた。手のひらを繋ぐ先の温もりが私を引っ張っている。
「こっち……向いて」
首を振ることしか出来なくて、揺れる髪に顔を隠した。
「小波、こっち向けって」
「と、とっくに授業始まってるんだよ。早く……」
震えそうになる声はちゃんと誤魔化せているだろうか。手を握ったまま身軽に立ち上がった上谷君がこちらを窺っているのを俯いた先にある彼の影が教える。
「何かさ、全然わかんないんだけど」
急にワントーン落ちたような、丸みを帯びた声色で上谷君は私の手のひらをぎゅっとした。
「兄貴と別れたんだよね」
今更の確認にため息が出そうになった。別れたし、もう大丈夫だと言ったじゃないか。わざわざ確認なんて必要ない。
「じゃあさ」
小さく深呼吸したのをすぐ傍で感じて、髪で隠れたままの頬が熱を持った。
「なんで二人で会ったりするの?」
唐突に告げられた言葉に目線を上げると、細められた目がこちらを窺っていた。
「図書館で会ってるって?」
小さく口を開けたものの言葉が出てこない。口の開け閉めを馬鹿みたいに繰り返した私をじっと見ていた上谷君は何故か満足気ににっと笑った。だけど、すぐさま大げさなため息を添えて肩を落とす。
「マジかよ……。片原のやつ」
その名前に小さく肩が震えた。そうだ彼女は上谷君に告白したんだ。もう関係ないと、上谷君は関係ないと決めたのにどうして私の心は勝手にびくついてしまうのだろう。彼はひとしきり悪態をついた後、あの図書館のある駅名を告げた。
「知ってる? あそこに図書館があるんだよ。割と古い建物なんだけど。俺は子供の頃、行ったきりなんだけどさ。兄貴はよく行ってるんだ」
知ってる。 「多分、今でも」 と付け足した言葉に思わず頷くと上谷君の眉が上がった。
「そこに小波とさ、彼氏が一緒にいたって。小波には大人の彼が似合ってたとか何とか……兄貴だって思った」
続けて、 「でまかよ。だよな……考えたら片原だって兄貴のこと知ってるもんな」 と独り言のように呟くと、いきなり大声で 「あー!」 と長々と叫んだ。
上谷君は急に黙って、びくつく私の顔を見つめた。真直ぐに、だけど睨んでるわけじゃない。
「なんか、俺、馬鹿みたい」
一人でしゃべり続けていた上谷君は私の前でくるくると表情を変える。むすっとしたり照れてみたり、落ち込んでみたり。だけど最後に大きめの口の両端をくいっと上げた。
「じゃあ、もう小波は俺んのだ」
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