どうして私なんかが好きなんだろう。
ウソコク【7】
息、苦しい。……もう、いやだ。
とにかく逃げたくて全速力で走った。体育でだってこんなに本気で走ったことないんじゃないだろうかというくらいだ。とにかく逃げたかった。
図書室のある本館から下級生の廊下を馬鹿みたいに突っ切ってまっすぐに走った。周りから奇異の視線をひしひしと感じる。
私の馬鹿。
後ろからの足音にびくついた。幾ら本気で走ったってかなうわけないのだ。元々、体育なんて平均点だし、特別足が速いわけじゃない。それでも追いついてこないのは上谷君がわざとそうしてるんだろう。
逃げたい。隠れたい。
たどり着いた階段の手すりに手をかけ遠心力をそのままにぐるんと体をひねった。二段飛ばしで駆け上がる。上谷君の足音が薄れて、涙を拭う余裕もできた。
なんでこんな時に追いかけっこなんてしているの。
自分自身に悪態をつきながら、更に階段に足を伸ばした。登り終えて今度は音楽室前の静かな渡り廊下を突っ切っる。そして、また体を階段に向けた。
駆け上がりながら、もう逃げ場は無いと気づいた。だけど、ここまで来るだろうか。もう昼休みだって終わるのだ。
彼の足音を失ってから、それでもでたらめに走り抜けて最上階の隅まで来てしまった。その先は屋上だけど、向かう扉には鍵が掛かって封鎖されている。
扉の左右には去年のものではないだろう、随分と古い文化祭の立看板や、良く分からない繰り抜きのあるダンボールの箱やらが積み重なっている。誰も来ない二畳程度の踊り場はていのいい物置になっていた。
そこに小さくうずくまった。少し埃っぽくて咳き込みそうになるのを押さえ込む。急に動かなくなったから、心臓だけがどくどくいって痛かった。だけどそれ以上に体の中心が苦しい。ぎゅっと押さえ込むように拳で胸を押さえながら小さく静かに息を吐いた。
薄暗くって埃っぽくって湿っぽい――こんな場所で丸まって、私、何してるんだろう。
急に惨めになった。
嘘ばっかりついて隠しごとばっかりして、私、何してるんだろう。
下級生の声が遠くで響いた。小さなどよめきと笑い声。そんな世界から一人だけ弾き出された気分だ。でも、そんなことは随分と前から感じていたことだ。私が選択した世界だった。
ばたっと急に足音がして肩が小さくびくついた。上谷君のことなんて、これっぽっちも知らなかったのに足音は覚えてしまったらしい。それはすぐ下の階で止まる。辺りを窺うような間に目を瞑って祈った。
なのに祈りは届かずに、止まっていた彼の足音が近づいてくる。上ってくる。
どうしよう、どうしよう。
心臓はリズムを失ったみたいに不規則に音を立てて呼吸もできない。
痛い。痛いよ。苦しいよ。
拭っていた目から染み出るように涙が出てきた。
「みつけた」
掠れた声が私の上に降ってきた。座り込んだまま膝に顔を埋め、私は何も言わなかった。
「まじで走った。というか、もう恥ずかしい。後輩に笑われた」
大きく息を吸うのが分かる。そのまま彼は私の横に座りこんだ。肩がほんの少し触れた気がした。違うかもしれない。ただ彼の体温が、この薄暗くて埃っぽい場所に嘘みたいに浸透していくのを感じた。
「『先輩、ストーカーは犯罪ですよ』 だってさ。誰がストーカーだよ。まじであいつら、腹抱えて笑いやがって」
上谷君は野球部だ。圭吾さんがそう言ってた。圭吾さんも高校時代、野球部だったって教えてくれた。
「絶対、後でシメる」
決意を表すように拳を握り締めている。私はそんな姿を覗き見てしまった。彼は私を見ていなかった。目の前の犬なのか狸なのか意味の分からないキャラクタの描かれたベニヤ板に向かってしゃべっている。
どうして、彼はここにいるのだろう。
どうして、追いかけてきたんだろう。
どうして、私なんかを好きなんだろう。
どちらかと言えば無口なイメージの上谷君が延々とわけの分からないことを狸に向かってしゃべっている。
それは誰の為? 私の為?
にじみ出ていた涙をこっそり拭って、小さく深呼吸をした。
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