EFTタッピングを通じて、
自分の視点が
外側から内側へと変わった時に
気づいたことがありました。

それは、目の前の誰かと、
やり取りをしているはずなのに


実際には、いつも、

自分の内側(の感覚や感情や思考)としか

付き合っていないということ。

誰かとの会話を通じて、外側から受ける刺激と
「自分はどうしたいのか」欲の積み重ねによる内側の歴史とが
ぶつかり合って生じた反応を

私は「人とのやり取り」として、扱っているのかと思った時に、

自分の内側を、一歩引いて捉えるという感覚が、生まれました。

目の前で出来事が起こる時や、
誰かと話をしている時
私の中で、何かしらの感覚が生まれます。

EFTを始めた頃、
私は、この感覚に合う言葉を選んで
セットアップフレーズ・リマインダーと呼ばれる
EFTで使う言葉を作っていました。

初めて受けたEFTのセッションで

自分の感覚と放つ言葉が感覚と言葉が連動していると

気づいたからです。

感覚を言葉に変えると、自分を理解しやすくなります。
自分が求めているものが、わかるので、得やすくもなります。
あと、頭と感覚を合致させた状態で、動けるというメリットもあります。
 

今も、フレーズの作り方は変わりません。
 

いつも、ぴったりのフレーズができる訳ではなく
だいたい合っているなと思う位で、
言葉を口に出しながら
少しずつ調整しています。

時折、ものすごくしっくりするフレーズが出来上がる時、
そうそう、これこれという、歓喜を覚えます。

何年も、同じEFTをしていて
「またこれか」と思う時があります。


こういう場合、私は、良い内容に置き換えることはせずに、
そのままあると認めていきます。

 

経験上、どこまでもありのまま認めていったら、
いつかどこかに出るだろうという楽観があります。
 

あとは、自分のことでもあるし
仕事として提供しているのもあるので、
時間がかかろうが
やる義務も、知る義務もあると思っています。

 

なので、「またこれか」が出てくる度に、
感覚に合う言葉を確かめながら
同じようなEFTをし続けます。

「またこれか」という取り組みが、
ずいぶん後に、驚きと納得の伴った場所へと、
自分を連れて行ってくれることが何度もありました。

とはいえ、渦中は、
 

過去の自分の動きに悔やんだり
ノスタルジックな気分になったり
取返しのつかないことに
どうしようもない思いを抱いたり
あーーもったいない

などの思いが、延々と続くのですが


変わり映えのないようなフレーズも、
少しずつ、奥へ奥へと掘り下がっていきます。

腹の奥底の、

誰も触れることのない場所を
言葉で表すことができた時

いきなり、目的地に到着してびっくりしたことがありました。
 

「あーーーそういうことだったのか」
と全てがつながった感覚が生まれて、
しつこくやってよかったと思うのです。

目的地に到着したらしたで、
「またこれか」のEFTに登場していた人物が、
 

先の見えない目的地まで、
私が諦めすにたどり着けるよう
伴走してくれたような気になったり

行く道を、応援してくれているような気になったり
 

実際に接している訳でもないのに、
不思議な気持ちになるのです。

EFTのセッションや講座などは、

とっかかりに過ぎず

「どうしたらいいのかわからない悩み」に

手をかけることの方が圧倒的に多いのですが

 

それだけではなく
自分で取り組みを積み重ねることでしか
行けない場所、得られない面白さがあることを
お伝えできたら幸いだと思っています。