サンキューミッキー!くそったれ!90'S!!!!


アカデミー賞でにぎわっていた頃からこの作品が一番観たかった。
なんせ、主演がミッキー・ロークだもの。

レスラーというタイトルどおり、主役は落ちぶれてはいるものの、
現役のプロレスラーだ。

しかしレスラーとしての全盛期がすぎたランディは
地方巡業をし、それでも喰えなくて、スーパーでアルバイトをしている。


愛情いっぱい!家族ブロ!

耳は遠く、補聴器をつけていて、痛みを止めるために鎮痛剤を大量に買っている。
その影響で体もあちこちぼろぼろ。
その日暮らしでは家賃も払えない。

試合のあと、家に帰っても、家賃滞納で鍵が変えられて、自宅にも入れない。
しかたなく、車の中で一夜を過ごす。

背中が哀愁をかもし出す。

愛情いっぱい!家族ブロ!


愛情いっぱい!家族ブロ!

地方巡業の際、仲間とともに試合のだんどりを入念に行う。

舞台裏でのそのやりとりがドキュメンタリータッチで、
ハードな世界に生きるレスラーたちなのに、どこか微笑ましい。
長く続けていけるように、怪我のないようにお互いをいたわりながら
リハを行っているような雰囲気。
ホームセンターにまで小道具を買いに行くあたりがまた笑える。
痛いか、痛くないか試したりして・・・

よくコントでも派手な音のわりに痛くない材料を使ったりするが、
あれと共通する。(例:ハリセンチョップ(笑)、たらい(笑))

「お前らは全体でひとつのチームなんだ」トレイナーたちは言う。
つまり擬似家族なんだね。

最近ではプロレスの世界もシリアスかつ、シビアになってきていて、
昔ながらの興行よりもレベルアップされてると聞く。
観客たちのもっともっとという声もエスカレートし、現実にもきつい技を編み出しては
それを成功させんがために、命を落とすレスラーもいるという。
そんな折に日本でもプロレスラーの三沢がリング上で亡くなったりしてなんか切なさが倍増した。

孤独な白いジャングル。
リングの上では壮絶な戦いが待ってる。もう若くないランディは体を酷使し、
体を痛めつけてリングに上がり続ける。
過去にはチャンピオンになった男はいまだに過去の栄光にすがりついてるのだろうか?
それとも熱狂するファンの歓声だけが生きている実感を味わえる瞬間なのだろうか?

落ちぶれたランディだったが、チャンピオンとしてタイトルとってから20周年を
記念して、もう一度タイトルマッチを組まないか?と持ちかけられる。
相手はアラブのヒール、アヤットーラだ。
アヤットーラは現在は中古車のディーラーとして大儲けしていると噂に聞いた。

ランディはもう一度体力づくりを始める。
しかし、有刺鉄線デスマッチの後、心臓の痛みで倒れ、バイパス手術を受けることに・・・
一命はとりとめたが、レスラーとしての生命を絶たれる。
それは己の半生を振り返る機会でもある。

ランディは離婚し、一人娘がいるが、妻とも娘とも疎遠だった。
レスラーとして、戦い続けた結果がそれだ。

愛情いっぱい!家族ブロ!


なじみのストリッパーキャシディにつきそわれて、
娘のために服を買い、今まで疎遠だったことをわびに行く。

しかし娘のステファニーには病気だと分かった途端にやってくるなんて・・・
今度は頼る気なんだとつっぱねられてしまう。
それでも和解し、つかの間の娘との再び穏やかな幸せなひととき・・・・

コニーアイランドと思われるウッドデッキ。
もちろんミッキー・ロークが「ナインハーフ」でキム・ベイシンガーと闊歩した場所。
ステファニーには「サーティンあの頃欲しかった愛のこと」エヴァン・レイチェル・ウッドが演じ、
このツーショットはミッキーの往年のプレイボーイぶりをほうふつとさせる場面となってる。
とても娘と父には見えないゾ(爆)
女性の前で涙を流す、これこそ、ミッキー・ロークがもっとも得意とする演技で見せ所。
斜め45度のアップはかつてのハンサムな面影が一番出てた。

愛情いっぱい!家族ブロ!

キャシディとランディ、二人は客とストリッパーという立場から1線を越えられない。
ことにキャシディは子どももいるからランディが気になってるものの
もう1歩踏み込むことができない。

ミッキー・ロークもいいけれど、マリサ・トメイが素晴らしかった。
彼女もストリッパーとしてはとうが立ちすぎていて、
どことなく場違いなところに身をおいている。
彼女はリング以外のところでもまた傷ついてゆくランディを励ましながら、
自分自身の行く末も探していたのだろう。

愛情いっぱい!家族ブロ!

二人がビールを飲むシーン。
「お気楽だった80年が懐かしい。90年は嫌いだ。ニルヴァーナが出てきてから」なんて
言う台詞が面白い。


愛情いっぱい!家族ブロ!

あまり映画と関連づけたくはなないのだが、
先月にはマイケル・ジャクソンの突然の訃報が・・・なんだか急に80年代が強く意識されたな。


これは一人のレスラーの物語ではあるが、
あらすじを追うと、やはりアメリカ全体のイメージとも重なるのだった。

痛みを忘れる方向に流されて、お気楽な時代を経て、
ドラッグや金や住宅や、あらゆる自国の中での問題には
まるで無頓着で、ただ外の世界と戦ってきたアメリカ、
いきなりガツーンと痛みを思い知らされた9.11・・・そんなことも連想できる。

心臓(ハート)が壊れてしまったランディは
同じように裸で勝負するストリッパーに後押しされて、
もう一度いわゆるささやかな幸せってやつに身をおこうとするのだったが・・・
娘との約束を守れず、父親失格の烙印を押されてしまうランディ。
なんて厳しい娘!しかし現実はそうなんだろうね。

一旦レスラー生命を奪われたランディがスーパーのシフトを増やして
惣菜部門で働くシーンが可笑しかった。
なんか無駄に長い(笑)
でもそのうち、だんだんやる気出して、客の前でパフォーマンスを見せる
ランディ、彼は根っからのエンターティナーであることが示され、それが悲しみを誘った。

自分は娘とでもなく、キャシディとでもなく、ましてや、惣菜ブースでもなく、(笑)
リングの上でしか生きられないと悟ったランディ。
俺は他の何者でもなく、ランディで、レスラーである。
それは現実の痛みを知って受け止めて、初めて分かったことなのかもしれない。

これを自殺行為と見るのか、否か。。。
ランディの得意技、ラムジャムを決めるその瞬間空中ダイブでブツっと切れるラスト、
それをどう見るかで変ってくると思う。

わたしには完全な復活に思えた。その先はあえて描かない辺りがいいと思った。
リングサイドの柱に夢中でよじ登るランディの顔、その表情は無心だったね。
そんなミッキー・ロークの表情が見たかったんだ。
無心無垢邪気のないあの表情。それは孤高とひきかえの境地。
これからは彼次第。良くも悪くも彼は飛び続けるしかないのだ。

彼にはそっと去っていったキャシディの姿さえも見えないのではないか?

ラストに流れるブルース・スプリングスティーンの曲。
これはミッキーと交友のあるブルースが一も二もなく、提供してくれたのだそうだ。
一番歌詞をしみじみとかみ締めているのはミッキー・ローク自身だろうと思う。

過去のミッキーの映画についてはここではあまり語りたくないな。

だってこの作品で完全に新しいミッキー・ロークとして生まれ変わったみたいだったから・・・

・・・・そう願う・・