ポニーキャニオン
永遠のマリア・カラス

監督おしゃれですね!


フランコ・ゼフィレッリ監督作品。

上のお写真の方ですね。

なんともイタリアの伊達男風です。マフラーは中尾彬っぽいけど・・・


当然マリア・カラスが主役なんですが、冒頭ギンギンのロックではじまるところが面白い。

ラリー・ケリー(ジェレミー・アイアンズ)は音楽プロデューサー。音譜

以前はかのマリア・カラスと組んでたこともある。

今は「バッド・ドリームス」というロックバンドが流行る時代。

長髪を後ろでひとくくりにしてるジェレミー・アイアンズ、

似合いません(汗)とても時代遅れな感じです(笑)


そしてマリア・カラスと再び組むという時に出会った補聴器の

ハンサムな青年との出会い。

ラリーは彼と愛し合うようになります。

ラリーからみたマリア・カラス、青年からみたマリア・カラスも

絡み合いながら物語は進んでいきます。


他には音楽評論家であるサラ(ジョーン・プロウライト)

がカラスのよきアドバイザーとして登場します。


パリ、16区ジョルジュ・マンデル通り。

かつて歌姫だったマリア・カラスはこの地でひっそりと暮らしていた。


そんな折、ラリーはある企画を持ってふらりと訪ねる。

全盛期のマリア・カラスを取り戻さないか、

画期的な録音方法と映像技術でそれが可能になるんだ、と。


ジェレミー・アイアンズ&ファニー・アルダン


わたしは実際のカラスはもちろん知りませんが、

カラスを演じるファニー・アルダンが素晴らしい。

さすが、女優です。

最近観た「クィーン」でのヘレン・ミレンにも圧倒されましたが、

ここでもたっぷりの存在感は観るものを圧倒します。


声が出なくなったカラス、日本公演を最後に誰にも会わず、家に閉じこもってる。


最愛の人だった船舶王オナシスをジャクリーンに奪われた彼女は発声練習もせず、

祖国ギリシャも母国語も失った。


ギリシャ移民の子としてニューヨークで生まれた

カラスにとって、20年住んだパリも終の棲家ではない。



実際のマリア・カラスとオナシス


自身の「蝶々夫人」のレコードに合わせて歌うカラス。

道化は嫌、わたしはすでに過去の人だと言いながら、やはり心底歌いたいその切なさ。

ひざまずきながら、ひどい声で全盛期のレコードにあわせて歌い涙するカラス。

その演技は神々しいまでに高まってますね。


最初は難色を示すカラスだが、「カルメン」なら演じてみたいと申し出る。

カルメンで復活


潔い美しさ

前編シャネルという衣装も見目麗しく、

ためいきものです。キスマーク



フランコ・ゼフィレッリ監督は実際にマリア・カラスの舞台を演出してた人物で友人でもあった。

誰よりもマリア・カラスをよく知る監督だからこそ、

思い入れたっぷりに描いてます。カチンコ


そういう映画はより心を動かす力を持ってますね。


わたしは先にアルバムを聴いてました。

カルメンは1曲目に入ってます。

その歌声は情熱的で蠱惑的というより、

気高い毅然としたものを感じるカルメンでした。

絶頂期のマリア・カラスを演じるマリア・カラス、そしてそれを演じるファニー・アルダンが素晴らしい。

ぐいぐいと引き込まれていきます。

徐々にプロ根性をみせるマリア・カラスはカルメンになりきり、

監督やラリーに食ってかかる。


劇中劇の形をとっていて入れ子式にたくさんのマリア・カラスが

万華鏡のようにちりばめられてます。


ホセを演じた俳優マルコにも思わずキスをしてしまうカラス。

自分がいったい何者なのか・・・・

楽屋での何枚もの鏡にうつるマリア・カラスはそのどれもが自分であって自分でない。


鏡や昔の声でしか、もう本物の自分と出会えないことを知ったカラス。

歌姫=ディーヴァと呼ばれた最初のひと。

でもそこにかける情熱はまぎれもない真実だった。


友人として


渾身の力をこめて演じたカルメンをお蔵入りさせて欲しいと頼むカラス。

あれは本当のわたしじゃなかったんだと。

今のわたしが本物なんだと。


全財産をなげうってカラスの再起のため力を尽くしたラリーだったが、

パートナーとして、友としてカラスの申し出を受ける。


ラリーの青年との激しい愛もまたカラスを訪ねた時に始まり、

カラスが花開いた時に終わってしまった。


ラリー演じるジェレミー・アイアンズも抑えた演技で

とても印象深い役どころでした。



映画を監督する、架空の人物になりきる、表現すること、

歌うことの本質にも迫ってると思いました。





ギリシャ彫刻のように美しい!

マリア・カラス、

その美しさ、その歌声は永遠に。