そう、今日3/1から私は正式に100%カウンセラーになりましたー!
写メはメキシコの南にあるユカタン半島から西へ向かったところにあるマヤ人のリゾート地Xel-Ha(チェルハ)からさらに西に進んでどこでもない現地人の秘密の聖地(名前知らず)
電気も水道もないところでしたがロウソクで一夜を過ごし、朝目覚めると素晴らしい光景が時間ともに変化していく場所でした。
素晴らし夜明けだったので、この絵(左)を素晴らしい始まりとして名刺に印刷してみたら、思ったより濃く印刷されて、文字が読みにくい(笑)
次回からシンプルにするか明暗を調整して印刷したいと思います
さて
しあわせになるというトリック ←前回の記事はこちら
をテーマに前回書きましたが、今回第二段。
折角正式なスタートを切ったので私個人のことを書きたいと思います。
私は経済的に問題もなく、両親も揃っていて優秀な姉もいる家族4人でごく普通に育ちました。
でも残念ながら誰かの怒鳴り声や泣き喚く声がいつも聞こえてきて実家に居るのが嫌でした。
そんな時はずっと自分の部屋に閉じこもり、色々な事を考えて過ごしていました。
『しあわせ』についても随分考えたことがあります。
私にとってのしあわせってなんだろう
漫画や映画の世界でのしあわせっていうのはわかるけど、あれは作り物の世界。
愛なんて曖昧なものも作り物の世界だから完全で美しいもの。
物語を通じて以外「しあわせ」そしてそれにきっと関係する「愛」を感じたことがあまりないかもしれない、と思いました。
きっと映画の中で主人公がハッピーエンドになったりするのを見て、高揚する気持ち、あれがしあわせな気分かな?なんて考え始めました。
じゃあ私のしあわせは誰かがしあわせになること?
と、いう方向に勘違いしていきます。
さらにいつも地球やら宇宙やら壮大なことばかり考えて、自分は塵みたいなものだから何やっても大丈夫、みたいなよくわからない持論も持っていたので、(このお話はまたいつか)
じゃあどこまでの人がしあわせになれば私は「しあわせになる」んだろう
と、とんでもなく雄大な勘違いに向かっていきます。
あー今は愛おしく感じるリトルかのんよ、戻ってこーい(笑)
その時はアフリカの飢餓に苦しみワクチンも足りていない子供たちを救え!的なCMが沢山流れていた時代というもあり
戦争をしている悲しくてつらい思いをしている人達が沢山映画にもなっており
飢餓や病気、戦争や死がなくならない限り
私のしあわせってこないんじゃないかな
なんてスケールのでかさだけは全米No.1にも負けない、全俺が泣いた感じに出来上がっていきました。
うん、なかなかこじらせたな、インナーチャイルドtheリトルかのんよ
そんな幼少期でしたが、これってつまり
絶対しあわせにならないぞ!(神が光臨して奇跡でも起きない限り!)
って決めちゃってるんですよね
この自分でかけた呪いは成長していく私がしあわせになりそうな出来事があるたびにインナーチャイルドとして現れます。「飢餓や病気や戦争や死がなくなってないんだからコレはしあわせじゃないまやかし!信じたら裏切られるよ!」なんて守ってくれちゃいます。
そんな頑な扉をこじ開けて光を射しいれたのはまず知識としてお勉強していただけだったはずの聖書でした(宗教の勧誘ではないのでご安心を(笑))
もうこれは真理でパッカーンして祈りから神を体感した人じゃないとわからない領域ですが、端的に書くと
両親から貰えなかった絶対的な愛
でも実はさらに素晴らしい親がいてずっと愛してくれていたことを実感した
ことにより世界が愛で出来ていたことを思い知ったためです。
それは私の心の天岩戸も開きますよね
でもそこは神の愛を感じて世界が変わっても、頑ななインナーチャイルドはさらに頑張ってしまうわけです。ただし劣勢。ここから引き戻されたり愛を感じたり、と行ったり来たりを繰り返します。
世界は一転し、愛される感覚がわかり、
しあわせを感じるようになり、世界を変えなくても大丈夫にはなりました
こんなチリみたいな私がこんなにしあわせを感じちゃっていいのかしら!!
とウキウキしていた私に一石を投じたのが私の心理カウンセラーの先生です(笑)
インナーチャイルドを癒していったらさらに扉を閉じようとしていた子がいなくなり
扉がパッカーンと戸隠山まで飛んでいった感じです。
数値でたとえるなら
ほぼゼロに近い幸福度だったので少しでも感じるようになっただけでも驚きで
もうアップアップ幸福度90%くらい!と言っていたら
実は10%くらいしかまだ感じていないのでは?と愕然とした状態です(笑)
どこまでしあわせになるの!?
ってくらいふきだしています
より神の愛を感じ、世界から愛されてる~、とさらに感じる毎日です
別のインナーチャイルドは沢山控えているし、私のインナーチャイルドはさらにトリックを使っていたりするのでカウンセラーをやりながらもずっと癒し続けていくことになるなぁと実感しています。
それでは終わりに、当時衝撃を受けた聖書からの聖句を1つ(笑)
愛さない者は神を知るようになっていません。神は愛だからです。
-ヨハネ第一の手紙 4章8節-
今では大好きな聖句の1つとなりました