動物たちが支えてくれる心

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寒くなってきましたね。

 

いつもこんな寒かったでしたっけ?

 

もっとも、寒さは個人的には嫌いではありません。

 

なんか身が引き締まる思いがしませんか?

 

それに、食べ物もおいしいし(笑)

 

 

スクーリングで来る生徒たちと個別の授業などでゆっくり話す機会があり、毎回楽しみにしています。

 

先日お話を聞いた生徒さん。

 

お父様は努力家のサラリーマン。

 

お母様はちょっと主体性のない感じの人。

 

小さい頃はお父様が教育熱心過ぎて勉強に厳しく大変だったそうです。

 

お母様は旦那さんのグチばかり子どもに聞かせる。

 

受験勉強がんばって高校に入るも、夏前にモチベーションがどんどん下がり登校不能に。

 

お母様大パニック。

 

生徒さんは留学して親と距離を取ることを選択。

 

適度にクールダウンして今は冷静に両親のことを見ていました。

 

家にいるときは偏頭痛に悩まされたそうですが、留学して解消。

 

帰国して家に戻ったらまた頭痛が復活したそうです(笑)

 

来年は3年生になるので、進路としては、日本の地方の大学に行くことを考えていました。

 

留学していろんな人と出会って、世界が広がったようです。

 

文化やコミュニティの違いについて興味を持ち、大学ではそういうことを勉強したいなって言ってました。

 

前回のこのブログの話につながりますが、もしかしてだけど、子どもが親を選んでくる、という説があってね、と。

 

大事なことは、もし親を選んで生まれてきたとして、だけど、そこにどんな意味や目的があったんだろう?と考えてみること。

 

親御さんのいろんな性格や夫婦関係なども織り込み済みで、そこで苦労することもわかっていて、なぜ生まれてきたのか?

 

生徒さんと一緒に考えました。

 

世間の価値観に流されないこと。

 

メンタルの強さ。

 

自分の人生を生きること。

 

それらは、つらい思いをして得た気づきであり、磨かれたものであり、発見したものでした。

 

じゃあ今度は、これらの新しく身につけた力を、どう生かしていこうか?

 

なにが向いていると思いますか?と生徒さん。

 

人と接する仕事。

 

子どもたちになにか教えたりアドバイスしたりする仕事が向いてそうな気がする、と答えました。

 

生徒さんには、留学先でペルー人の友達ができたそうです。

 

その方と、将来一緒に仕事する約束したそうです。

 

その方は、ペルーで学校を作りたい、という夢があるということでした。

 

もしかしたら、生徒さんも将来一緒にそのお仕事をするのかもしれませんね。

 

 

今回は、動物の力について書こうと思います。

 

動物の持つ力は素晴らしいですね。

 

人間は、どれほど多くの助けを動物たちから得ていることでしょうか。

 

学校に行けず苦しんでいる子たちも、動物が支えてくれたという話には枚挙に暇ありません。

 

私自身、若い頃に北海道の牧場で半年働かせてもらっていたことがありまして、牛たちにとても支えられました。

 

ホースセラピーというのはありますが、牛セラピーもできるのではないかと思います(笑)

 

ともあれ都会では犬や猫などのペットに励ましてもらった話はよく聞きます。

 

なぜ動物たちは傷つき疲れた人間たちの心を癒し、多くの人たちの心の支えになることができるのでしょうか。

 

 

動物たちは、「心の目」を持っていますね。

 

素朴で、飾り気がなく、まっすぐで純朴。

 

無私の、無償の愛を持っています。

 

私たちは、この自然の奥深い心に癒されるのではないでしょうか。

 

金持ちであるとかないとか、イケメンであるとかブサイクであるとか、肩書きが立派であるとかないとか、そんな人間界の価値観におかまいなく、動物たちはまっすぐ私たちの心をとらえ、そして愛してくれますね。

 

イノセント、というのでしょうか。

 

この動物たちの愛情表現は、私たちに深いレベルでの自信を与えてくれますね。

 

 

悲しいかな、人間界では、大人になるにつれて、この心をなくして行ってしまいます。

 

子どもは多分にもっていますね。

 

子どもは肌の色にも障害があるとかないとかにもおかまいなく一緒に遊ぼうとします。

 

子どもたちの目の中に、無償の愛を見ます。

 

純粋な光を宿していますね。

 

 

でも、大人になっても、実は失われることはないんじゃないか。

 

心の深くに留まり続けている。

 

動物や子どもたちは、関わりを通して、その純粋な心を呼び覚ましてくれるのでしょう。

 

人間がこの目を持って生まれてくる以上、人間は信頼に足る存在だと思います。

 

子どもたちには、この純粋な心を大切にして大きくなって行ってほしいですね。

 

もちろん、傷つくことも苦労することも多く、生きていくのは大変です。

 

そんなとき、動物たちが助けてくれるのではないでしょうか。

 

そして、人間同士、その心をお互いに安心して出し合っていけるようになったとき、そこに本当の信頼感が宿るのではないでしょうか。

 

 



 先日、鳥羽水族館に行ったときのものです。


ちょうど朝ごはんのときだったみたいで、カピバラさん、ニラですかね、めっちゃ食べてました(笑)

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子どもの存在の大きさ

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いろいろと調べて、考えてきて、「子どもが親を選んで生まれてくる」というのは、本当なのだろうな、と思っています。

 

「かみさまとのやくそく」は、わかりやすいドキュメント映画でした。

 

この映画に出演されている産婦人科医の池川先生の著書にもたくさんの事例がありましたが、ワイス博士による退行催眠による過去世研究などでの多くの事例でも、「子どもが親を選んで生まれてくる」ということがよくわかります。

 

なぜこの親を選んで来るのか?というのがまた深いのですが、池川先生の話では、意外と多いパターンは、「お母さんが好きだったから」とか、「お母さんに幸せになってもらいたかったから」という答えなんだそうです。

 

残念ながら、「お父さんが…」というのはあまり聞かない(笑)

 

そのことから、池川先生は、「子どもは10歳までは親のために生きる」と仰るのですが、子どもというのは、本当に大きな存在だと思います。

 

ちなみに、障害や病気などを背負って生まれてくる子どもさんは、本人もそのことを分かっていて、面倒見てくれそうな優しい親を選んで生まれてくる、ということなのだそうですが、大変な子どもというのは、心の深いところで、親子ともどもなにかしらの「合意」ができているのではないか、と考えています。

 

心の深いところの話ですから、もちろん、生活している意識のレベルでは、「なんでこの親だったんだろう」とか「どうしてこんな子に…」なんて思ってしまうことが日常なんだと思いますけどね。

 

そこには深い理由と命の神秘があって、親子の縁は結ばれるんだろうと思います。

 

ともあれ、子どもの存在というのは親にとって大きい。

 

それによって親自身の人生が変わりますからね。

 

とくに女性は母親になることで変化が大きいなあと感じています。

 

自分の存在感の希薄さや不安定さで悩んでいた人も、赤ちゃんが生まれて絶対的に必要とされることで、大きな意味や存在感、安定感を与えてくれる。

 

当然、命を削って出産して子育てするわけで、かなりしんどい作業になることでもあるのですが。

 

心身ともに疲弊してしまうこともありますしね。

 

子どもはそれだけ大きな存在ですから、与えてくれる自信も大きくなりますが、その分皮肉なことに子どもの調子が悪いと、反動が来て、親自身もダメージが来てしまいますね。

 

お母さんの話を聞いていると、いろんなプレッシャーの中で必死に子育てしていることがわかります。

 

いっぱいいっぱいなんですよね。

 

誰かを、自分を責めることも、しないでいい。

 

自分にできることを精一杯できる範囲でやっていれば、それでOK!

 

完璧じゃなくてもいいし減点する必要もない。

 

子どもは子どもで自分の運命を背負って生まれてくる。

 

子どもとのおつきあいを通して、自分自身を見つめる。

 

究極を言えば、それだけでいいのだと思います。

 

 

先のワイス博士の過去世研究を読んでいて思うことは、人は、どんな人生を歩んでいても、そこから経験すること、学ぶこと、成長することがあって、そのことこそが人生の宝なのだということです。

 

そして、相手のことを考えたり気遣ったり思いを込めておつきあいしたことは、時を越えて相手の心に刻まれて残り続ける。

 

もちろん、幸せな記憶として、です。

 

ためらわずに愛を与え続けることが大事なんだ、ということがわかります。

 

疲れたときは当然サボる(笑)

 

自分のペースでいいのだと思います。

 

 

亀井勝一郎さんの古い本を読んでいて、なるほどなあと思った二節をご紹介します。

 

亀井さんが太宰治の『惜別』という小説から引用した一節。

 

「人間の生活の苦しみは、愛の表現の困難に尽きるといってよいと思う。この表現のつたなさが、人間の不幸の源泉なのではあるまいか」

 

なるほどなあと思いましたよ。

 

さらに、亀井さんの『愛と孤独』というエッセイになるのかな、文章の中の一節、

 

「孤独を恐れるな。愛の深さはそれによって保たれるのだから」

 

いい言葉だな、と思いました。

 

 

愛の表現、うまくなりたいですね(笑)




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すっかり秋になってきましたねー

 

お日様が出ていると暖かくて気持ちいいです。

 

 

昨日、みえ不登校ネットワークさん主催の、年一回の定例の勉強会がありまして、行ってきました。

 

不登校だったあるお子さんが、アルバイトをきっかけにして自信がついた、と言っていて、改めてそうだようなあと思いました。

 

これには、「必要とされる」という面と、一生懸命がんばって働いてお給料がもらえる、という面とがあると思います。

 

「必要とされる」って大きいですよね。

 

逆に言うと、「誰からも必要とされない」という孤独や悲しみははかりしれない。

 

自分には何もできない、って思っていたとしても、この世の中、なんかしらの助けや求めはたくさん転がっていますね。

 

自分に足りないものを数えるよりも、自分にできることを数えてみる。

 

できるかどうかわからないけどとりあえずやってみる。

 

責任取れない、と重荷に感じることは無理にやらなくても、これくらいならできそうかな、ということだけでもやってみる。

 

人間、なにかを与えるためにこの世に生まれてきたのだと思います。

 

相手のために、と考えなくても、基本は自己満足のために、なにかをしてあげる、ということでもいいのではないかと思います。

 

関わっていく中で、相手にとっても良いことを考えながらやっていけば、相手の人からも迷惑に思われなくなってくるのではないでしょうか。

 

人は、「誰かの役に立っている」「世の中の役に立っている」「子孫のために役に立っている」などと思えるとき、生きてていいんだ、あるいは生きててよかった、と感じるものですよね。

 

そんなに大したことじゃくなていいと思うんです。

 

一つ一つ、それを積み重ねていく生き方が、自分の自信につながっていく気がします。

 



ここ、盾ヶ崎っていうところです。

熊野にあります。

高所恐怖症の私には迫力満点のところでした(笑)

 

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