【薄桜】午後から始まる | 椋風花

椋風花

夢小説を書いています。
長編はオリジナルキャラクターが主人公で、本家と設定が違う点もございますのでご注意を。

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 夏も近づく六月中旬。

 梅雨時にもかかわらずカラッとした真夏日を迎えたこの日に、体育祭は行われた。

 日本の夏は、温度よりも湿度が厄介だ。風が吹いても飛ばない熱気に、じわりじわりと汗が滲む。

 

 来年から、空調の利いた体育館で開催すればいいのに。

 情緒のない願望を抱きながら、背後から聞こえる音楽をBGMに仕事をこなす。

 

 今年も首尾よく、応援ダンスのタイミングに受付の仕事を入れられた。

 だからダンス練習にも参加しないで済んだし、こうやってテントの下で、同級生たちが踊っているのを傍観していられる。

 

 かわりといってはなんだが、旗の色塗りには協力した。

 カラー別に巨大な旗を作って、ダンスの際に周りではためかせるのだ。

 体育祭が終わったら細かく切って記念に配るそうだが、そんな布切れをもらっても処理に困るだけである。

 

 体育祭も残すは後半戦だけ。杞穂の参加競技はすでに終わっている。

 大縄跳びも引っかからずに済んだし、短距離走は安定の最下位だ。

 残された仕事は今行っている保護者の受付と、閉会式でトロフィーを渡す役割のみである。

 絶対に俺がトロフィーを受け取るからなと平助が宣言していたけれど、そこは三年生に譲るべきではないだろうか。

 

「もう少しで交代だね」

 

 隣の千鶴が汗をぬぐう。

 クラスが違うからチームカラーも違うけれど、勝ち負けには興味がない。

 

「持ってきた水筒、空になりそうよ」

「私も。今日は自販機、売り切ればかりになっちゃいそうだね」

 

 保護者には解放されていないものの、校舎の鍵は開いている。

 一階の自販機は去年も売り切れが続いていたし、こっそりと外に飲み物を買い出しに行こうとする素行不良な生徒も、後を絶たない。

 もちろん、教師に見つかったら、炎天下の下、反省文を書かされるわけだが。

 

 暑さに耐えながら仕事をしていると、校舎側から来た生徒が、机を挟んで二人の前に立った。

 

(交代か)

 

 先に顔を上げた千鶴が一歩下がった。

 何事かと顔を上げた杞穂は、すぐに瞼を落として半眼で相手をねめつけた。

 

「なにしに来たんですか」

 

 声を出したのは杞穂が先だ。

 しかし、千鶴もきっと同じことを千景に問いかけたかっただろう。

 

「なにしに来た、とは随分な言い方だな。

 ここが校内である以上、俺が来てはいけない理由はないはずだが」

「体育祭の間は無用に校庭から出ないようにと、一番初めに壇上で口にしていたのは風間先輩だったと思いますが」

「俺の言葉ではない。生徒会長の言葉だ」

「また屁理屈を……」

 

 そこにいられると邪魔だと手で追いやるが、千景はへこたれない。

 無駄に高い身長に理不尽な殺意が芽生える程度には、暑い。

 

 じっとりと睨み付ける杞穂にかまわず、千景は千鶴を見つめていた。

 まあ、最初から目的は千鶴だと察していたが。

 

「……な、なにかご用ですか?」

 

 完全に無言の圧力で言わされている。

 

「それは俺の台詞だ。なにか俺に言いたいことはないか?」

「いえ、なにも――」

「恥ずかしがらなくてもいい。伝えたいことがあるだろう」

「先輩に用がないなら、こっちは仕事中なのでお引き取りください。

 応援合戦終わったばかりでしょう」

「それだ」

 

 追い払おうとした杞穂の言葉尻を捉え、千景は千鶴を見下ろした。

 

「たったいま終わらせてきた。お前の感想を聞こうと思ってな。

 見ていただろう? 当然」

「……」

 

 困り切った顔の千鶴に目を合わせられたが、手遅れとしか診断できない。

 

「あの、ずっとここで受付をしてましたので……」

「……そうだったな。仕事があったのなら、仕方がないが……」

 

(いや、なんで残念そうなのよ)

 

 余程ダンスに自信があったのだろうか。

 能だの舞だのはお家柄、得意だろうが、それをここで活かしては名が泣くだろうに。

 

「しかし、お前たちはここにいてよかったのか?

 保護者の受付など、この時間なら一人いれば十分だろう」

「私はあえてこの時間を選びました」

「昼過ぎても来られる方は多いんですよ。卒業生だと、大学の用事がある方々もいらっしゃいますから」

「なるほど?」

「あ、ほら、早速――」

 

 卒業生の一団が来て、三人が顔を向けた。

 今回、顔を歪めたのは千景だった。杞穂は無表情を貫いて、千鶴は歓喜の声を上げる。

 

「先輩! 来てくださったんですね!」

「おー、千鶴ちゃん!」

 

 ぶんぶんと新八が腕を振る。その隣には左之助がいて、その後ろには、なんと敬助の姿もあった。

 

 山南敬助と原田左之助は、昨年度の生徒会役員だ。

 つまり杞穂と千景にとっては生徒会の先輩にあたるわけだが、現生徒会長の千景は元から伸びてた背筋をさらに伸ばし、尊大な視線を投げた。

 

「ふん、うるさいのが来たと思ったら、お前たちか」

「うげ、なんでお前がいるんだよ!」

「学校の敷地内に生徒がいて、なにが悪い」

「受付の邪魔をしているのが悪いですね」

 

 にべもなく言い放つ。屁理屈で押し通せると思ったら大間違いだ。

 

「卒業生の方々はこちらの用紙に記名願います。

 在校生は退いてください、ほら!」

 

 語尾を強くすると、不承不承ながらに千景が退いた。

 それを見て新八がにやりと笑う。

 

「なんだなんだ、もう尻に敷かれてんのかお前」

「なにをたわけたことを。これはこいつが無礼なだけで、それを許している俺が――」

「まだ邪魔をしますか?」

 

 これ以上邪魔をするなら相手になるぞと身を乗り出すと、今度こそ千景は静かになった。

 爆笑する新八に鋭い視線とともにボールペンを突き出せば、新八も大人しく記名を始める。新八の方が素直だ。

 

「尻に敷かれてんのはお前もだったな。悪いな、騒がせちまって」

「いえ。うるさいのは大体その人でしたから」

 

 険しかない視線を千景に投げる。

 

「その様子を見ると、だいぶ苦労しているようですね。

 お久し振りです。富木さん、雪村さん。」

「お久し振りです、山南さん」

 

 元役員の千鶴がぺこりと頭を下げる。

 杞穂が前生徒会に出入りしていたのは数週間のみだったが、去年生徒会役員だった千鶴にとっては、なじみの深い卒業生の一人だろう。

 畏まった様子で挨拶をしている。

 

「……山南先輩も誘ってたんですね」

 

 新八と一緒に来るとはあらかじめ聞いていたが、興味のなさそうな敬助まで連れてくるとは。

 誘うと言っていた歳三の姿がないが、そっちには断られたのだろうか。

 

「ああ、山南はちょうど大学で見かけてな。

 俺と一緒で二限で終わりだっていうから誘ったんだ」

「なるほど。土方先輩はどうしたんですか?」

「ああ、あいつは今ちょっと駐車場に車停めに行ってる」

「車?」

「俺たちを運んでくれたんだよ。バス使うにも、土日はほとんどないだろ、この辺り」

 

 歳三が免許を取っていたとは初耳だが、彼なら高校在学中に抜かりなく取っていてもおかしくはない。

 しかし、国立医大を受ける前に教習所に通う余裕があったとは。

 

「おかげで午後の部には間に合いましたね。彼の運転はなかなか快適でしたし」

「おう! 俺としてはもうちょっとスピードがあってもよかったんだがな!

 千鶴ちゃんが乗る分には、あれくらいでいいんじゃないか。みんなでぱあっと海! とかよ。」

「それは聞き捨てならんな」

 

 また無理やり入ってきた。

 いつになったらいなくなるのかと睨みつけるが、眼中に入れられてなかったので効果がない。

 

「千鶴を車に乗せるのは俺だ。

 お前たちのような野蛮な連中の車に乗せられて、事故にでも遭われたら敵わぬからな」

「トシの運転舐めんなよ!? 一時停止も徐行も完璧だったっつうの!」

「なんでそこでお前が胸を張るんだよ」

「ふん。俺の車なら、広々とした空間でゆっくりと景色を堪能できるぞ。

 貧乏人の車など、せいぜい中古のおんぼろ品だろう」

「っく!」

「だからなんでお前が悔しがるんだよ」

 

(どっちもさっさと行ってくれないかな……)

 

 千鶴は困り笑いしているし、他の生徒は遠巻きにしているし、妨害されていることこの上ない。

 仲裁が得意そうな敬助も、わざわざ割って入るほどお人よしではないようで、杞穂と同じく傍観の姿勢だ。

 

 加熱するくだらない諍いを眺めていたら、運悪く千景と目が合った。

 

「そういえば、一度お前を乗せたことがあったな。

 どれほどのものだったか、こいつらに聞かせてやるといい。」

 

 お鉢を回さないでいただきたい。集まる視線に杞穂はうんざりとした。

 

 感想を求めたということは、それほど自信があるのだろう。

 客観的な立場で感想を述べるなら――

 

「確かに、乗り心地は完璧でした」

「なっ!?」

 

 肯定の言葉に新八がぐらつく。だから、どうして新八が悔しがるのか。

 

「ふん、そうだろう。千鶴よ、どうせなら今日にでも――」

「でも、自分で運転できないような人が、立場に任せてどや顔でアピールするのは、みっともないことこの上ないと思います」

 

 色のない声で続けた言葉に、外野の生徒たちが一斉に噴き出した。

 情け容赦のない言葉に慣れていなかったのか、千景は束の間、意味を図りかねていたが、意味を理解した途端、顔を赤らめた。

 この人にも、羞恥の感情はあったらしい。

 

「ぶっ、くははははは! なんだお前、免許も持ってないのかよ!」

「ぶふっ、それで張り合うってどんな神経してんだか。

 杞穂、してやったな」

「聞いてて見苦しかったので」

 

 その言葉にまた一同が笑った。

 よほど恥ずかしかったのか、千景は捨て台詞も吐かずに帰っていく。

 

 予期せず千景を辱めてしまったが、場を作ったのは杞穂ではない。偉そうに上から物を言われたら、引きずり落としたくなるのが人の性だ。

 しいて言うなら、杞穂に話を振った千景が悪い。

 

(帰りに跳ね飛ばされたりしないでしょうね……)

 

 念のため、黒塗りの車には気を配っておこう。拉致られては敵わない。

 

「さて、邪魔者もいなくなったし入るか。午後の競技はこれからだろう?」

「はい。今、ダンスが終わったところです」

 

 校庭に目をやる左之助に千鶴が答えた。

 各色が入り乱れて色彩がモザイク調になっている。

 

「なんだ終わっちまったか。新八と旗振ってこようと思ってたのによ」

「乱入ですか?」

「後ろで旗振るくらい大目に見てくれるだろ。平助はどの色だ?」

「平助君は赤です。杞穂と一緒で」

「そっか同じクラスか。じゃあ千鶴ちゃんとは敵同士なのか?」

「争ってませんので。……そんなことより、早く行ってください。邪魔になります」

「ああ、悪い。それにしても、トシが遅いな」

「道に迷う距離でもないんですがね」

 

 ……一向にいなくならない。

 

 長身な上に体格がいい男たちに並ばれると、保護者たちが敬遠してしまう。

 保護者からの文句はそのまま生徒会に上ってくるし、どうあがいても杞穂が面倒を被るというのに。

 

 千鶴が上がれば一緒に行ってくれそうだが、交代の生徒がなかなかやってこない。

 時間はとうに過ぎているというのに。

 

(仕方ないな……)

 

 三年生に声を掛け、二つ返事をもらってから千鶴に耳打ちした。

 

「千鶴、先輩たち連れてってあげて」

「でも、まだ交代の子が――」

「もう時間だからいいよ。先輩たちもいいって言ってくれたし」

 

 左之助に見惚れていた節もあるが、二人とも快く千鶴が抜けることを許してくれた。

 この時間なら人はそう来ないし、杞穂が残る分には、一人抜けても困らないだろう。

 杞穂としても、日に晒される時間は短い方がいい。

 

 歳三が来たら先に入った旨を伝えると約束して、三人を千鶴に押し付けた。