八百鮮ではたらく社長のブログ

八百鮮ではたらく社長のブログ

生鮮食材専門店「八百鮮」社長の奮闘記です。
大阪4店舗、名古屋に1店舗!元気に営業中
「株式会社八百鮮」社長。

誰も見てないと思いますが、久々に思いのたけをブログに。

 

自分へのメッセージとして綴ろうと思う。

 

八百鮮は9月末で本決算を迎える。

もうすぐ第10期を終えようとしている。

 

10年という節目に思うことはたくさんあるわけだが、

今年は正直に言うと、本当に悔しい結果となってしまった。

 

売上こそ32億→36億へと増収となったが、

減益となってしまった。

 

会社の価値というのは純利益で決まる。

どんなに規模を拡大しようとも、利益が残らなければ企業価値は無い。

そして、利益を残すことが社長としての使命であるにもかかわらず、僕は利益を残せなった。

 

「利益を残せなかった」という重みはでかい。

本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

そして、正直な気持ちを言えば、とても悔しい。悔しい。悔しい。

 

成績が良くないことに気づきながらも、何も手を打てなかった自分が悔しい。

毎月出てくる月ごとの決算を見ながら危機感を募らせてはいた。

目標達成できなくても、「仕方ないか」「この状況では…」「まぁいいか」という風潮が、

店長やチーフの中に出てきていることを感じながらも、社長として何もできなかった。

ひとりひとりに電話して、「ちゃんと利益を出せ」と言えなかった自分が情けない。

本当にいい社長と言えるだろうか。

厳しいこともちゃんと言えてこそ、社長だと思う。

本当に情けない。

 

昨日は悔しくて寝れなかった。

 

利益が出ない=社長の責任

と思い、ずっと現場を責めることはしてこなかった。

しかし、はじめてこの悔しさは店長やチーフとシェアしなければならない感情ではないかと思った。

目標というのは達成しなければならない数字。

目標さえ達成されていけば、躍進を遂げる機会は提供してきたつもりだ。

だからこそ、この悔しさはシェアしなければならないと思うわけだ。

 

社長というのは、利益が出るように機会提供をしたり、環境を整備したり、収益構造を構築するのが仕事だろう。

改装工事や新規出店や、人材の採用…評価制度の見直しなど、

全力でやってきたつもりだ。

 

「あとは、任せたぞ!目標達成をよろしく!」

そんな気持ちで、現場を任せてきた。

しかし、目標が達成されなかったことで「利益が残せなった」。

 

言い訳をすればいくらでもできるだろうが、言い訳をして得をする人は一人もいない。

すべて社長である自分の責任であることは前提として、やはり、数字に対する責任を共に追いかけてきた、

チーフ以上の社員には、この悔しさはシェアしたい。

 

ただ、終わったこと(終わろうとしている)ことを、つべこべ言っても仕方がない。

今期は失敗だった。そのことは潔く認めて、反省して、また10月からは新期がはじまるわけで、

この失敗を二度と繰り返すことがないように、来期最高の数字を挙げていきたいと思う。

これもまた、社長の仕事。

悔しさをばねに、来期にどう挑むか。

 

もう絶対に、「利益が残せなかった」は言わない。

これが最後だ。

 

最近、よく思うことがある。

属人的という言葉について、マイナスな概念があるが、属人的であることことが強みであるのは、

中小ベンチャーの常道であり、決して否定するものではないということ。

世の流れは「自動化」「平準化」「マニュアル」「育てない」という経営スタイルがもてはやされる。

これには、時代の流れについていかなければ…と2年ほど前から、

僕自身も八百鮮という会社の運営方法に悩み続けてきた。

 

しかし、ここ最近は開き直った。

このことで悩むことはやめた。

属人的に振り切ることこそ、時代を逆流する逆張りの戦略であり、これこそ八百鮮の生命線だと、原点回帰。

属人的であることは、働く者にとって非常に大変さを伴う。

仕事の量は多く、何をしていいかわからない、そのうえ責任を大きく背負うことになるのが属人化のデメリット。

だが、自分で仕事を生み出して、自分の裁量の下で大きな仕事を次々にこなして、自分にしかできない極みを生み出すことが

出来るという点においては、「これがおもしろい」と思える人にとっては最高のステージになったりする。

自動化や平準化やマニュアル化は、指示されたことをしっかりと丁寧にこなしていくことが重要な働き方となる。

逆に、この両者にとっては、メリットがデメリットになり合う関係だといえる。

 

属人化を「おもろい」と思える人というのは、カリスマ性やスター性のある人なのかもしれない。

そんな人、世の中には少数派だ。

だから、経営者としては少数派に的を当てた経営スタイルを取るというのは、リスクを感じてしまうものだろう。

 

でもだからこそ、そこに勝機を見出すのが八百鮮ではないかと、結局、僕はそこに行きついた。

 

会議をしていても、結局「人」の話で終始する。

利益あげるためにどうするのかというテーマで話せば、

おそらくふつうは

「客単価をどう上げるか」「客数をどう上げるか」「値入率をどう設定していくか」というようなテーマになるものだろう。

頭のいい会社ならそうなるはずだ。

しかし、僕たちの会議では、「誰に」「どの仕事を」「どう任せるか」という議論がほとんどになる。

ここまでの仕事は任せてやらせてみるべきだ!

彼ならここまでやってくれると思う!

任せてみたい!

成長を期待したい!

変化を期待したい!

そんな話でもちきりになる。

そして、うちの社員たちは、そんな話をすると喜んで「任せてください!」と意気揚々と帰っていく。

 

そんな会議の流れを見ていても、うちの会社というのは属人的でいいのだ。と思うようになった。

ある種の開き直りを後押ししてくれた。

 

頭のいい会社からすると、根性論で情けない話に聞こえるのかもしれない。

しかし、そんな青春のような会社があってもいいじゃないかとも思う。

「普通じゃない」ということが、価値になることもある。

「変な会社」であることが生命線であることもある。

僕たち八百鮮はマイノリティでいいのだ。

 

世の中にそんなにいるはずではない、カリスマ性やスター性を持っている人が、当社の欲しい人材。

そして、人を育てるという環境づくりが、権限委譲であり、権限移譲こそ、属人化の要である。

 

属人化の文化から脱却しなければ、スケールしない。

そんな声が聞こえてきそうだが…

それはその通りだと思う。

だけど、僕は、属人化のスケールの最大値を目指す会社でいい。

天井があるなら、天井まで登ってみたい。天井突破を起こすほどのスケールは求めない。

そういう開き直りで挑みたいと思う。

 

もう二度と、「利益が残りませんでした。」は言わない。

来期はおそらく過去最高益を出すことになるだろう。

なぜ、そう思うのか…その答えは「最高の社員たちが八百鮮にはいる」からだ。

それ以外の答えはない。

 

最高益を出して、「社員が素晴らしいから利益が増えています」と胸を張って言いたい。

 

今期は、本当に悔しい結果となった。

ただ、打ちひしがれてる時間はない。

来期は必ず、驚くような結果を出して、属人化の強さを世に解き放つ。

 

生鮮小売業は属人化が最強だと世に問う。

一石を投じる。

 

どこまでも、時代の流れに逆らう逆張りの戦略で「尖り」続けていきたい。

 

第11期の八百鮮を期待して待っといてほしい。

 

(自分へのメッセージとして)

 

 

 

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