春に先駆けての花木 | Issay's Essay

春に先駆けての花木

488_B 長府庭園のマンサクと我が家のハナズオウ

 下関市長府の長府庭園にある「三の蔵」は、市内の写真クラブなどが写真展などを開くギャラリーとして利用されている。
 マツムラカメラのお客さんが中心の海峡フオトクラブは、1年2回の発表をここで行っていて今春30回の展示を行っていた。
 この三の蔵の側に、花を咲かせたマンサクを撮影していたら、その会のメンバーに鳥や花などに詳しい人がいて、花の一つをちぎって花の色合いから構造などを詳しく説明された。私は常々「写真を撮るときは、しっかり観察をするように」と、言っては来たが、逆にこれほどにマンサクの花を見たことはない、いや、どの花にしても通常はそれほどに観察したこともない。
 ともあれ、私のマンサクとの出会いは、冬枯れの春浅いころ津和野に出かけたとき長門峡の入り口近くで、ふと黄色く群がって何か輝いている風景に出くわし、近づいて見るとなにやら不思議な花のようじゃと思って、近所の人に聞いたことが最初で、「先ず咲くの意味からマンサクという花です」と聞いた。細長いひも状の縮れた花だが、その後、市内でも各所で見受けることもある。中には赤い種類のものもあり、長府のそれは少しオレンジがかった花だった。
 因みにマンサクの花言葉は「幸福の再来」とある。
 ところで春先の花に、コブシやモクレンがあり、小ぶりの花はコブシ、堂々と咲いたものはモクレンなどと私なりに解釈しているが、時として見分けがつかないものがある。学校の校庭に咲いた紫木蓮を見たこともある。
 歌手・千昌夫が朗々と「北国の春」を歌うとき、ほかの木に先駆けて白い花を梢いっぱいに咲かせる姿は、いかにも早春の息吹を感じるものである。
 今春、我が家の近くにある廃屋の裏にその華やかな満開のコブシを見たときは「春が来たというのになぁ」と、少し寂しい感じもした。花言葉はコブシが「信頼」、木蓮は「気高さ・慈悲・自然への愛・・」などと多い。
 このころ、もう一つ、ぶっきらぼうに枝からぽつぽつと花芽をつけて咲くハナズオウというのがある。これも葉が出始める前に紅紫色のマメの花のような小さな蝶形花がびっしりと群がるように咲く、というより湧き出てくる。
 これが、我が家の庭先にもあるが「古く兄弟が喧嘩もせずに、みな立派になれるということの象徴」と言われる木である。良くぞ庭木に植えたものだと思っていたら、「裏切り・疑惑・高貴・質素・エゴイズムの目覚め・・」などと、清濁あわせ持った花言葉に不思議な気分である。やがて、これらの花の後、葉は繁り夏がやって来る。
 写真は長府庭園のマンサクと我が家のハナズオウ