滝口康彦さんの文学碑 | Issay's Essay

滝口康彦さんの文学碑


 下関の作家・古川薫さんと、福岡の白石一郎さん(故人)、佐賀の滝口康彦さん(故人)の3人は、深い親交があって「九州の時代小説3人衆」とか「西国3人衆」と呼ばれていました。

他の2人が受賞した直木賞を、滝口さんは6回も候補にノミネートされながら遂に受賞することなく、平成16年(2004)に他界されましたが、生涯のほとんどを多久市で過され、数多くの作品を発表されたことから、昨19年(2007)12月、古川さんの肝いりで、同市の西渓公園内に文学碑が建立されました。

滝口さんの作品は、旧藩時代の九州各地を舞台にした武家社会の掟に縛られる下級武士の悲劇「『士道』の峻烈さ、酷薄さ、無惨さ」を描き出した作品が多く、映画に『切腹』(小林正樹監督、仲代達矢主演、松竹・1962)や『上意打ち』(同監督、三船敏郎主演、松竹・1967)の傑作があります。

先日、私は、この文学碑を見たくって多久市を訪ねました。

滝口康彦文学碑は、佐賀県を代表する秀峰・天山からの「みかげの自然石」で、幅2.7m、奥行1.2m、高さは1.5m(半分は土の中に)で、『ペン置けば窓の広さの忘れ雪 康彦』と、ブルーブラックのペン書き拡大文字を、陶板に焼き付け嵌め込まれたものでした。なるほど「陶器の里」だなぁと思いました。

文学碑のはるか向こうに、その日、雪を被った天山が見えていました。

ご案内を頂いた川内丸公民館長は「滝口さんは、サクラの花びらを身体に受けながら、向こうにあった図書館まで此処をとぼとぼと歩かれたんです」と、実感のこもった話っぷり、また「除幕式のときは、ここで石を叩きながら『滝口よ!よかったなあ』と何度も言れてましたよ」などと、古川さんの様子を話されました。私は、陶板の字を見ながら“穏やかな人柄、一字一言に厳しかった滝口さんの面影”を思い浮かべていました。

 西渓公園は、多久聖廟に近く、春は桜、秋は紅葉で有名なところでした。