大学院の授業の最終仕上げ ~国際医療福祉大学~
このブログのアクセスを初めて見てみた。
毎日100名を超す方にお越しいただいているというデータだった。
みなさん、ありがとうございます。
さて、昨日は、国際医療福祉大学の授業の最終日。
大熊ゆきさんによる、総論という感じ。
デンマークでは、特別養護老人ホームはすでに古い考え。
日本では、いまだに高齢者を一カ所に集め、高齢者自身が生きる目標を失うような福祉。
といった総括論。
ある老人ホームにある保護室の写真。
それは、外からカギがかかる。牢獄と同じ発想。福祉先進国ではあり得ない発想とのこと。
ある日本の近隣では、日本人を連れ去り、自国の施設に閉じ込め、監禁した。
それを拉致という。
しかし、日本のあちこちの地域では、一人で生活できないと判断されると
本人の意志に関係なく施設に収容し、外出をさせない。
拉致と何が違うのかを考えさせられる。
村木厚子さんの裁判にもふれ、えん罪が作られている日本の現実も聞く。
現に、秋田県の鴻の巣?の元村長?も、現にえん罪で裁判を戦っているという。
福祉・医療の制度はたくさんあるが、それが本当に国民のための制度なのか、
あるいは国のための制度なのか、を私は考えさせられる。
今回の13回の授業を受講し、自らが深く広い人間になるためには、他分野からの意見に耳を傾け、
そしてそこから「考える」という作業が人間には重要であると再認識させられる。
いま、朝日新聞のアピタルブログのコメントに、読者から「朝日新聞のブログなんだから責任を持て」と書かれる。
これまた、日本人の考えない国民性の典型が表れたコメントだと思う。
朝日新聞は一企業にすぎない。公平性を持っているわけがない。
記事にはすべて主観が入るのだ。なのに、朝日新聞なんだから・・・的発想。
マスコミの記事はすべて、書き手の主観があるという認識に立てば、どこのマスコミが言っていることも、
すべて自分なりにしっかりと解釈すればいい。
しかも、私の原稿は朝日新聞の編集部のチェックを経て、公開される。それを読者からとやかく言われる筋合いはない。
元朝日新聞のゆきさんの最終授業に参加して、そんなことも考えた。