すぐ忘れる事について | 神田松之丞ブログ

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毎月のスケジュールと、演目などを更新していきます。

また、自主興行のテーマなども書いていきます。

先日、駅でボーっとしていたら
「あれ、ふるちゃんじゃない。俺だよ俺。忘れた❓小川だよ(仮名)」
と声をかけられる。

「人違いですよ。」と言おうと思ったが、ふるちゃんという言葉に聞き覚えがあるなぁと思った。

そういえば、私の学生時代の渾名がふるちゃんだった。本名が古舘克彦で、古舘を渾名にして、「ふるちゃん」だとすっかり忘れていた。そんな名前だったかと。

不思議だ。自分の名前も平気で忘れる。

そういえば、初めて漢字で「古舘克彦」と書いた幼稚園の頃、全くピンとこなかった記憶がある。最初からピンとこなかった。難しい漢字という印象しかない。

この克彦という名前は有名な柔道家からとったらしい。父が柔道を好きだったから。

しかし、それがどういう柔道家かも調べる気がしない。不思議と全く興味がない。

何事も愛着がない。この小川という人の顔も残念ながら見覚えがない。
とりあえず「あぁー、久しぶり」
と言った。

せっかくだから今度、同窓会でもやろうよなんという言葉をお互いに言い合う。

どの程度、仲が良かったのかも分からない。

記憶力が悪い。

そういえば結構前に、楽屋で記憶力の話になって
「芸人って記憶力が凄い大事なんだよね。」という事を誰かと話したが、その話した相手も覚えていない。

誰かがラジオで、子供の頃の小学校や中学時代の席順みたいなのを覚えていると言ってる人がいたが、私は全く覚えていない。というか担任の名前も何人か出てこない。

いいところも少しあり、落語や講談、浪曲、映画、小説何度見ても飽きない。絶対何か忘れているから。

また、強烈に印象に残っている出来事や噺は覚えている。ニオイまで覚えている。記憶でない、別の場所で覚えている感覚がある。

大事と大事じゃないのラインがバッサリいく。ほとんどの事が、バッサリいかれる。

何かの防衛本能なのか、記憶がどんどん消されていく。

不思議なものだ。

色々な演芸を見てきたけど、ほとんど覚えていない。ほとんど、どうでもいい。

いつの頃からか、仕事以外の本を読むのもやめるようになった。すぐ忘れるから。29でこれだから、先が思いやられる。

ただ、講談のネタは比較的覚えている。何だろう、仕事だからか。大事だと自分の体が思っているらしい。

恐らく私の高座も、多くの人にバッサリいかれているんだろう。それはそうだ。

そう考えると私のみが、私の講談の全てに付き合って行くのだなぁと思う時がある。

初高座から最期の高座まで。自分だけが全ての高座に携わるかと思うと、少し愛おしくなる。

その最期の時くらいには、自分の名前にも愛着があって欲しい。

その頃は松之丞ではないだろうが。