環境省のレッドリストで「絶滅種」に指定されている「クニマス」の発見に貢献して一躍有名になったタレントの「さかなクン」。

 天皇陛下も名前を挙げてその貢献をたたえられたが、なぜ魚好きになり、ついにはクニマス発見に関わるまでに至ったのだろうか。

 さかなクンに年齢を尋ねると、おなじみの甲高い声で「成魚ですっ」。周囲はふだんからあの話し方、あの動き方、という。子どものファンの夢を壊さないため、本名も公表していない。

 東京出身で、魚に興味を持ったのは小学2年生の頃。級友がさかなクンの自由帳にウルトラマンと闘う巨大ダコの姿をいたずら描きしたのがきっかけだった。本物のタコを見ようと、魚屋や水族館、海に足を運ぶうち、興味は魚全体へと広がった。その知識の豊富さは、高校3年生の時に出演した「TVチャンピオン」(テレビ東京系)で魚の知識を競って準優勝し、その後に5連覇したことで、世に知られるようになった。

 専門学校卒業後は、すし屋やスーパーなど魚に関係するアルバイトを続け、2001年からはテレビでレギュラー出演するようになった。トレードマークの「ハコフグ」の帽子をかぶり始めたのはこの時で、「視聴者に自分を覚えてもらえるように」との工夫からだった。

 さかなクンには06年以来、東京海洋大の客員准教授というお堅い肩書もある。授業は担当していないが、イベントなどで大学のPRに努めている。招聘(しょうへい)したのは、同大の刑部(おさかべ)真弘教授。講演会で顔を合わせ、分からないことを何度も尋ねる姿に、舌を巻いた。「教員や学生にはもっと好奇心が必要。既成概念を打破するには、さかなクンの好奇心が必要だ」と思ったという。

 さかなクンにとっても同大の前身、東京水産大(03年に東京商船大と統合)はあこがれの存在だった。入学したかったが、「魚に熱中するあまりに成績が伸びずに受験すらできなかった」といい、その大学から招かれたことは「感無量でした」と振り返る。水産庁や環境省から審議会委員やPRメンバーにも選ばれ、中央省庁でも“引っ張りダコ”だ。

 大いに注目を集めたクニマス発見の背景には、京都大の中坊徹次教授(魚類学)との長年の交流があった。

 クニマスの研究を続けていた中坊教授は、イラストレーターとしても知られるさかなクンに「クニマスの絵を描いてほしい」と依頼。さかなクンはできるだけ忠実に再現しようと、参考に山梨県・西湖の漁師からヒメマスを届けてもらった。するとその中に、変わった魚が含まれていることに気づき、中坊教授に連絡。大発見につながった。

 中坊教授は「クニマス再発見のニュースがこれほどの感動を呼んだのは、さかなクンが魚に対してピュアな感情を持ち、感動を人々に伝える力があるからだ」と語る。

 クニマスには、かつて生息していた秋田県・田沢湖への帰郷に向けたプロジェクトも進む。さかなクンは「人知れず生き延びてきたが、再び里帰りすることを願っている。自分も協力していきたい」と話している。