Google等で、MashallahやInshallahと検索すると割と私のブログ記事が上位に表示されるらしく、そのような検索語から私のブログに来てくださることも多いようです。
どちらも後ろにAllahという語が隠れているように、イスラム教に基づいた言葉で、マレーシアに来て、ムスリムの友達ができるまでは一度も聞いたこともない言葉の一つでした。

Mashallahは、『You are gorgeous!! Mashallah!!』という風に、何かしら褒めた後に付ける形で使われ、その心は、もし誰かを褒めた後にMashallahを付けていないと、嫉妬しているように聞こえるということだそうです。
対してInshallahの方は、『See you tomorrow, Inshallah』などという感じで、未来のことを言った後に付けられます。すべてのことはAllah(=唯一の神)のプラン上にあり、どんなに当人が望んだことでも神の意志と反していれば、実現しなくても仕方ない。という思想上にあるそうです。
これが、まだ『また明日ね。』の後に、付けるのならなんとなく気持ちがわからんでもないのですが、
『I will do my homework, Inshallah』などにもInshallahはくっついてくることがあります。
宿題やってくるかどうかはお前次第やろ!と思うのですがね、、、

当初は意味がわからなくて、違和感たっぷりだったこの言葉、最近は聞き慣れてきたのもありますが、MashallahはMashallah、InshallahはInshallahと解釈しています。

日本語にも同じように、ほかの言語に訳すのが難しい言葉がたくさんあると思います。
最近発見したのは、『そんなことをしたら、罰が当たるよ。』
この『罰が当たる』は、宗教や信仰のあるなしに関わらず、ほとんどの日本人が持ち合わせている感覚であり、この頃、日本人のモラルを支えているのは、このバチを恐れる気持ちこそなのではないかなとすら思います。
罰というのが、大きな罪を表すばかりでなく、ちょっとしたアンラッキーにすら使われるのがまた面白いところだと思います。
これをニュアンス含めて外国人に英語で伝えるのは、本当に難しく、『あーもう、罰はバチだ!』という感じ。
MashallahもInshallahもそういう感じなんだと思います。

どちらも私から見ると不思議な言葉ですが、イスラム教について理解できていない私が、本当に理解できるものではないのだということを通して、思想と言語の密接な関係について改めて気づかされた言葉です。
この前、夫が、係員に英語で文句を言っている時、怒りの内容以上に、「この人も英語うまくなったなあ。」としみじみしつつ、怒り方が日本人ぽくなくなってきたなあと思いました。
自分は自分でありながら、英語を話す時と日本語を話す時では、何かがちょっと違うようになるのかもしれません。
言語は、思想であり、人格、他人との関係とも言えるのかな。
自分たちの子供にも、もちろん英語はちゃんと身に付けてほしいなと思いますが、やはり『罰が当たるよ』に代表される、日本語、日本人の感覚は、持ち合わせてほしいなあ。