人生楽しんでナンボ♪

人生楽しんでナンボ♪

楽しむには、工夫と覚悟が必要なのだ。

「~しなきゃ」
って思っていたら、無理してる証拠。

「~してみようかな」
って思えたら占めたもの♪


「楽しまなきゃ」
って思う必要なんて全然なくって、

「せっかくだから楽しんでみよっかな」
ってくらいが、きっといい。


そんな毎日を目指しています。


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最後の投稿から、もう6年近く経っていたのね。

みんな、どうしてるかな。

元気にしてますか?


その6年くらい前には「双極性障害を克服した」と喜んでいた私でありましたが、

克服したのは、病ではなく、薬害の方でした(笑)。

確かに、身体も頭の働きも、かなり楽になっています。

ただ、双極性とは付かず離れずな感じ、です。


っていってもね。

アメーバで知り合っただんなさんとは今も仲良しで、2019年にはなんと、生まれ故郷の北海道へUターン移住しちゃいましたよ。

だんなさんのおかげで、母の笑顔もたくさん見れて、2021年の夏には母を天国へ見送りました。

急だったけど…我が母ながらあっぱれな最期でしたよ。


この6年の間、私は、横浜在住の頃はAmazonの軽作業から始まって、パン屋さんでの製造も経験したあと、

北海道ではなんとなんと、地元FMラジオの、毎朝4時間の生放送を一人で担当するパーソナリティをしておりました。

びっくりでしょ〜。

まあ、未経験でのチャレンジということもあって素人丸出しな感じだったけど(笑)、

不思議と、歴代でもトップの数を誇るメッセージをいただいたりなど、地域のみなさんやリスナーさんたちとあったかーい時間を共有させてもらいました。

んでね、その朝の生放送を丸2年頑張ったところで、今年の3月にたくさんの花束をいただいて円満退社したあと、ぶっ倒れました(笑)


一見華やかな活躍の裏では、そりゃいろいろありましたとも。

一言でいうなら、意地っ張りを卒業するための試練を超えてきた感じかなぁ。


50歳になってやっと、等身大の私で生きていけそうです。

そんなこんな、いったんいろいろ整理してたら、奏輝のアカウントが残ってたもんで、

ふいに投稿してみました(o^^o)


病を克服してみたら、
心のアンテナに引っかかるものが変わりました。

アンテナが変わったから、病を克服できたとも言えるかな。

人の反応、人の言葉、周りの空気、といったものからも、
自分を責める材料なんて、まるで探さなくなりました。

私の基準はもう、人や周りではなく、
「私がかっこいいと思う私」。

…よかったんですね、これで。


前まではずいぶんと、
相手の心の動きにまで責任を負っていました。

相手や周りにどんな影響を与えてしまうかが、とても怖かった。
少しでも負担や迷惑をかけたら、私は生きてちゃいけないとまで思ってた。

でもそれって、図々しいだけでしたね。

好きも嫌いも、有難さも迷惑も、
どう受け止め、どう料理するかは、相手の生き方なのですから。


料理!そうか。

人は、「言動という作物」を出荷する、
農家のようなものかもしれませんね。


どんな作物を育てるもよし。

安全で美味しいものを出荷したい。
珍しいものを育ててみたい。
楽しみ方も一緒に提供したい。
…それぞれに、真心を込めるのは、出荷まで。


受け取った相手が、どう料理するのか、
好んでくれるか、苦手なのか、
はたまた使い切れず捨ててしまうのか、
それは、相手にお任せするしかありません。

また、育てるまでどんなに手間ひまがかかったからといって、
望むように料理して使い切ることを押し付けてはいけません。

ただただ、反応をまっすぐ受けとめて、
「言動という作物」をどう改良していくか、別の作物に変えてみるのかなど、
改めて試行錯誤すればいいのです。


それから。

誰かの「言動という作物」も、
何を選び、どう料理するかは、自分で決めていいんです。

押し売りに応じる必要だって、ないんです。

誰かの「言動という作物」がたまたま口に合わなかったからといって、
育てた農家自体(相手自身の存在)を拒否することにはなりません。

自分の体が喜ぶものを、わがままに選んでいいし、
自分なりに、美味しくいただく工夫をすればいい。



「言動という作物」…我ながら面白い発想だ(笑)

さて、
あなたは、これからどんな作物を育て、
どんな作物を選んで、どう料理するのでしょう?
人が生きていくには、「自分で頑張る力」と、周りの「支え」との両輪が必要です。
精神疾患は、長期間「自分で頑張る力」だけで片輪走行を続けて疲れきった状態だと思うのです。

精神疾患を克服するためには、充分な休養とともに、
視点を変え、視野を広げながら、徹底的に自分と向き合う(弱点から目をそらさない)作業が欠かせません。
しかし、「支え」が乏しい片輪走行のままで自分と向き合えというのは、とても酷な話です。

「支え」になるはずの精神薬の類も、
つらさを一時的にごまかすだけで治す力など無いどころか、残念なことに、かえって心身を蝕みます。
ところが、日々つらさが増す患者を目の当たりにしながらも、処方する医師は薬の怖さにほとんど無自覚です。
安易な処方で心身の不快な症状が増え、働くこともままならなくなります。自分を取り戻したくて受診したはずが、薬で逆に精神障害者らしく仕立て上げられていく…これが現状なのです。

それでも、精神科医やカウンセラー、精神保健福祉士などの誰かが「支え側」の肩輪を担うならば、
専門家の元で精神疾患を克服していくことは可能だと思います。
ただし、必要な「支え」はとても片手間で補えるようなものではありません。
それは、1人の人生の片輪を担うほどの「支え」だからです。


私は前記事にも書いた通り、双極性障害を克服しました。寛解ではなく完治です。自分の感情を、完全に自分の手元に取り戻しました。
加えて、薬害によるさまざまな病と不快な症状も克服しました(精神薬は、減らしたり止めたりする過程にも薬害が生じ、困難を極めます)。

この克服までの体験を綴り、誰かのヒントになれればという思いが強い一方で、
克服に欠かせない「支え」は提供しきれない、というもどかしさが募っています。
中途半端な関わりや情報提供は、かえって傷を深くすることにもなりかねません。


必要な人に必要な言葉を届けるには、どんなスタンスでどう表現していけばいいのか…試行錯誤が続いています。