長続きの条件は5歳以上年上の男性!? 「安定したカップル」の共通点とは?
 つい最近、長年付き合ってきた彼とめでたくゴールインした友人。聞けばなんと、かれこれ6年も付き合って..........≪続きを読む≫

身も蓋も無い話をすれば、男性って歳とればとるほど性欲衰えて、女性からすると浮気とかの危険性が少なくなるし、男性からすれば、おなごは若いってだけで・・・うん。
それに男性の年齡がいってれば収入とか地位とかも安定してるだろうから、生活も教育とかも良い物をできるだろうし・・・w

まぁそれだけなので雑文を。長いぜ。

恋愛とはそもそも何か
 
原初は古代ギリシャにおいて哲学者プラトンが 肉体に美を見出し、それが人への愛となり 魂の愛となる。 そして人を愛するという感情は、個人差があれど、愛するという感覚は共有でき、それをイデアの愛 プラトニックラブとした。
※断っておくならば、男女の営みやセックスシンボルを前提とした肉体ありきの物であることも述べておく。

その数世紀後、征服王アレクサンダー(イスカンダル)の家庭教師にして、アリストテレスは魂の愛を含めたイデア論を否定し、研究・探求をもって合理的な営みを説く。

ここから、征服王の文化カオスと、ローマ帝国の隆盛をもって暗黒期を迎え、恋愛を含めた様々な文化が停滞・衰退する。

この暗黒期に大きく伝播したキリスト教が、アガペー(無償の愛)が目立つように。
また、フランスを中心に騎士道を基にした恋愛という概念も生まれていく。

↑現在の恋愛、こと感情や気持ちを基にした1対1の恋愛の基礎がこれである。
暗黒期を抜け出しつつあった13世紀頃に文学者などにより恋愛作法を記述した作品の写本が広まり、ヨーロッパの民衆を中心に根付く。

その一方で家の存亡に関わる結婚は、恋愛とは別の方向で考えるという意見が貴族や王族の間では強かった。
特に当時のドイツ教会では恋愛結婚は違法であった。

このあたりを葛藤を悲劇的に描いた作品としてシェイクスピアのロミオとジュリエットあたりが有名であろうか。
またプラトンのプラトニックラブを、どういうわけか、肉体にとらわれない精神によるものの純愛=プラトニックラブが言われるようになったのもこのあたり。

ちなみに、民衆にはこの恋愛の概念は好まれやすかったのか、キリスト教の宣教師は恋愛の概念を世界に輸出している。

またイスラム教の根強い国や、アフリカ等では、恋愛に否定的または禁止している国もある。
※ある程度の家柄があったり、結婚に結びつく前提の恋愛でなければあまり厳しく規制してないが

じゃあ、ここ日本の恋愛事情というのはどうなのかと言うと
恋愛として流入したのは、おそらくキリスト教伝播の時期である15世紀あたりで、恋愛という記録が正式に残ったのが19世紀まで待たなければならない。

日本人がラブと正式に書物に残したのは1887年。江戸時代の終わりを持ってはじまった文化と考えるべきかもしれない。

一応 平安時代の源氏物語や北条政子の結婚関係の逸話を「恋愛」なんじゃないかという話もあるのだが
平安時代の貴族の美的感覚というのは おしろい 眉 黒髪 が映えている女性が美人であると、客観的基準を設けた上での話であるので、恋に落ちて結婚したかと言うと疑問である。

またそもそも、妻の通い婚が普通であったのも恋愛結婚や恋愛に疑問を抱かせる。 少なくとも、恋愛感情や恋愛という考え方は多数派でない。

北条政子に関しては、家が決めた結婚相手を押し切って源頼朝を選んだのが「愛!」とされる。もちろんその可能性も大いにある。 
ただ、この北条家がけっこうしたたかで、北条政子も元々の相手は平氏の実力者であるが、京を除いた日本各地が不安定な現状、頼朝に賭けたのかもしれない。
※結果として、頼朝は平家を打倒する上に、源氏も北条家に実権を奪われている。

話を戻す。 19世紀にはじまった日本の恋愛文化であるが、実はあまり浸透しなかった。 
というのも、「家」というある種の国があってそこに家族があるのがこの頃の日本である。 そのため、結婚をする上では男はあらゆる意味での力を求められ、女はその男を支える役割を担い、「家」がたくさんの実子・養子を複数人養うというのが普通であった。

また、現代でどこぞの石田さんが浮気は文化と言っていたような気もするが、太平洋戦争でアメリカから憲法指導が入るまで 男性による二股以上は合法だった。

言ってしまえば正妻と側室が可能だった。なんとも夢のある話だが、そんなことが出来るのは社会での実力が伴ってる極一部の男性だけで、大半の男はそこまで出来なかった。
※性病の危険性、出産初期死亡率の高さ、寿命などの合理的な面から女性は複数の男性と関係をもつと罪になった。

あれ?恋愛どこいったの? と思いかもしれないが、婚前前の恋愛の文化は、ほとんど根付いていなかったと思われる。その一方で「愛」の文化はけっこう強かった。

そもそもとして、仏教や儒教の根強い日本では愛と言えば「家族愛」が主だったようだ。
まぁ恋愛結婚がなかったわけではないと思うのだが、それでも今と同じように恋愛→結婚という流れだったかというと疑問を感じる。


まぁ23歳な自分は紀元前から戦前を生で見たわけではないので、資料などから、読み取ってこうだなと掻い摘んでまとめるしかないわけですが。

その印象を受けるなら、太平洋戦争でそれまでの日本の文化は良い物悪い物関係なく、「劣っている物」、恋愛結婚がマイノリティだったので、あえて多数派になって今日に至るって感じですね。

特に、日本の恋愛という文化は世界でも突出して「気持ち」あり気。
アジア圏も恋愛は「気持ち」が占めるウェートが大きい。

個人的に調べていて驚いたのは、オーストラリアやアメリカだと
知り合い→友人→セックス→付き合う
という流れが多い・・・。
そういえば、「ワタシのアソコみたい?」→ギシアン→「ねぇ?付き合う?」っていう海外の小説がそれなりにあったけど、あれってマジだったんか・・・

その一方で交際や結婚は凄く慎重になっているし、恋愛を安売りしていると日本人に警鐘をならす外国人も多かったりする。

あと、童貞・処女はヴァージンで統一。チェリーボーイという単語もあるにはあるのだが、チェリーボーイのチェリーってそもそも処女膜のことらしい。処女膜少年・・・



結論としては。
友達までいったら、セックスできる文化とか羨ましい!!!!




長い、長いネタ振りだったぜ・・・( ´-)y-~~