清少納言、枕草子に曰く、「葛城の神もしばし」
亦、頭中将斉信曰く、「葛城の神、今ぞずちなき」
葛城:カヅラキの神は顔が醜いのを恥じて日中は姿を見せないという
何故、葛城の神が醜いのか
それは“禿げ”だから
葛城山:カツラギサンは、杉木立で覆われている今も崖崩れが絶えない
中央日本マイクロプレートの褶曲によって隆起した葛城・二上の連峰
東西の幅が狭く、かつて浅瀬として形成された堆積岩に被われた山ゆえに、地質は脆く、絶えず山肌は剥離・滑落を繰り返す
つまり、急峻なこの山は、いつも禿げていた
1000年前、2000年前の標高は、現在よりももっと高かったのだろうか
麓での暮らしは危険だっただろう
近畿では坊主頭のことを「禿げ」といって嘲る
禿げの頭は羞恥の対象である
葛城は常に禿げ散らかしていると笑われてきたことは容易に想像できる
では、その葛城山の見て嘲たのは誰なのか
それは、葛城襲津彦:カヅラキノソツヒコ、またその上代、一言主を卑下したい勢力
朝一番にその醜い顔をもっともよく観察できるのは何処なのか
それは、奈良盆地の東西で対向する三輪山
朝日に照らされた葛城山を正面に睨んだのは磯城巻向
山門:ヤマトの王か
葛城を葛城氏興隆前に支配していたのは、出雲の加茂岩倉の支流である鴨族、即ち銅鐸圏である。
後世に大倭:ダイワと書かせた巻向勢力即ち筑紫系の天孫一派と出雲の民が雌雄を決するのは時間の問題であった。
同じく出雲系として加茂の兄弟銅鐸を擁した上牧:カンマキは征服され、その銅鐸は埋蔵秘沈された。
出雲は降服し、銅鐸圏は消滅した。古墳時代である。
新たな支配者は馬見に数多の前方後円墳を遺した。
土木と兵力そして急峻な牙城を有する難攻不落の葛城氏を、もっとも身近に驚異と感じていたのは飛鳥の豪族たち
それは、天皇の姻族として為政者となった葛城氏を排斥した蘇我氏か
蘇我一族は藤を冠する氏族に滅ぼされた
しかし葛城は落ちてはいない
だからこそ
“葛城はまた崩れた 今朝も禿が増えて醜い面だ”
徹底的に蔑視卑下する
そんな鄙歌が謡われただろう
幼少の頃からくちづさませるのだ
勝つか負けるか
そんな時代だった
いつか、その時代は神話となり
平安人に語り継がれていった。
葛城山を見た者とは不比等か
大倭国風土記は一部を除き焼失した