先週の土曜日に福島市に行って
スーパーマーケットに置き忘れたナナコカードを回収した帰りがてら
前々から一度ジックリ見たかった国道4号線の阿武隈川の橋梁を散策。
出発点は福島市国道4号線の舟場町交差点。
東北自動車道が開通するまでココが国道4号線(奥州街道)と
国道13号線(米沢街道)の分岐点ってわけで一大交通拠点でした。
振り返ると・・・幸福の科学福島支部あり
日曜日の朝は(自家用車を運転してれば)「天使のモーニングコール」聞いてますけんね。
エル・カンターレ大川隆法総裁のありがたい説法を聞いています
後ろに丸に金の円筒状の構造物あり
何と幸福の科学福島支部の横に金光教福島教会あり
金光教は神道系新宗教に分類されるのかな
天理教と共に元祖新興宗教であります。
大坂金光高校は甲子園でもお馴染みですけんね
幸福の科学福島支部や金光教福島教会の裏手に美しい煉瓦造りの建物あり
イギリス積みですね。
日本赤十字福島支部の倉庫だった建物だそう。
近くにあった長楽寺さん。
曹洞宗のお寺さんですか(-人-)
もう・・・散策してるとアッチコチに寄り道するのが楽しいのですが・・・進まない
私的には宗教とは救いの手段だと感じます。
それも信じる者も信じない者も共に救わないと意味が無い。
「信じない者は地獄に落ちる」と主張する宗教には近づきたくはないなぁ
ようやく阿武隈川(左岸側)に到達
手前側が松齢橋、奥側が大仏橋(現在の国道4号線)であります。
1925年(大正十四年)竣工の松齢橋。
当時とすれば広かったんでしょうけど、今では劇狭で一方通行。
最大荷重13tですから8tトラックでも通行不可能
路線バスが走ってましたがアレって人乗せて何屯
横見ると・・・お~
樋管と陸閘あるじゃん
「福島第1陸閘」と言う一丁前の名前あり
陸閘(陸閘門)とは人や車両が通行するための河川や海岸の堤防の「切れ目」、
並びにその「切れ目」を非常時に閉鎖するための施設のこと。
治水事業におけるネックポイントであり、
ホントだったら廃止した方が良いんですけどねぇ
ん~綺麗な鋼製ランガーアーチ橋だと思いきや・・・
ボウストリングプラットトラス橋とのこと。
ん・・・まぁ曲弦トラス(ボウストリング)ってのはよくよく見ればそうだけど、
コレってダブルワーレンに見えるンだけど
プラットトラス
先ずは現在の国道4号線である大仏橋を渡って阿武隈川右岸へ
1975年(昭和五十年)竣工ですから結構最近ですね。
道路に出て写真撮ってますが実はこの橋梁は交通量が多くて極めて危険な行為です
隣の歩道橋を渡ります
一目瞭然ですが大仏橋は典型的なワーレントラス橋ですな
1970年代でも鋼製トラス橋が一般的だったんですねぇ
阿武隈川であります。
川を眺めるのも飽きませんねぇ
大仏橋(現国道4号線)と松齢橋は阿武隈川に対してオフセットに架橋されてますな・・・
渡利舟場という地名通り、
松齢橋のある場所には江戸時代まで阿武隈川を渡る舟場があったそうです。
どうやら僅かな期間、この道路が国道4号線として機能していた時代があった・・・のかな
前方の交差点の住宅が三角形で奇妙な形容ですが・・・
どうやら右斜め前方に向けてかつては道路があった・・・でしょうねぇ
知ってる人、教えて。
制服姿のナウいギャルが歩いてるなぁ・・・と思ったら福島県立福島南高校あり
演劇部があるようですな
松齢橋を渡って路線バスがやって来ました
このタイプの大型路線バスでも最大荷重は13t以下なんだねぇ・・・
じゃぁ松齢橋を渡って左岸側に戻ります
狭いですね
トラスは近くで見ると無骨な構造美であります
今から100年前の鋼材が現役で使われてます。
よくよく見ると斜材は細いアングル材で引張強度には対応できるけど圧縮強度には無理。
ってなわけでプラットトラスなのは分るけど・・・なんで×構造なんでしょう
橋を渡って近世奥州街道も散策
前方から下手へと直角に交差点交差点。
かつてはこの道を路面電車が走ってました
クマガイさんという理髪店。
建物が交差点に対してアーチ状に湾曲してるのも昔からこうなんでしょうねぇ
道幅広げてますがこの道路をかつては大名行列が通っていたわけで
明治病院なる産婦人科医院あり。
門柱に古い煉瓦塀(イギリス積み)があるけど、
きっと明治時代からある由緒ある病院だと察します。
奥州街道と米沢街道の分岐点(丁字路)
奧に福島県庁(かつての福島城)が望めますが
オジマなる如何にも歴史がありそうなパン屋さん(純喫茶)に寄り道。
高いけど美味しかったなぁ
素朴な味わいの素晴らしさ再確認です。