「昭和残侠伝 破れ傘」の檀ふみさん若ぇ・・・の巻1/26 | 乾パンのブログ

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昨日は宮城県仙台市まで出張に出かけました車

雪降って寒かったななぁ雪

まぁ弊ブログは日記替わりなんで一言述べておきます。

 

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最近、無料BS放送のBS12(トゥエルビ)で高倉健主演の仁侠(ヤクザ)映画やってるんで

録画して見ています目

 

 

荒波ザップ~ンに三角マークは東映映画でお馴染みですねビックリマーク

 

 

高倉健主演の「昭和残侠伝モノ」では最終話になる「昭和残侠伝 破れ傘」

1972年(昭和四十七年)公開。

タイトルロールが映画始まって11分後ってかなり斬新パー

 

 

花田秀次郎役は勿論高倉健さんドキドキ

「昭和残侠伝」での健さんは全て違う役なのに花田秀次郎って名前で固定はお約束ベル

 

70年代の健さんだと・・・

「アウトロー」が似合うからこその「幸せの黄色いハンカチ」の役柄だったんだろうなぁ

 

 

この映画では安藤昇さんが副将格グッド!

安藤さんはマジモンの暴力団組長だった方。

演技上手いけど何処で覚えたんだろうかはてなマーク

 

でもその経歴故にバリバリ悪役やコミカルな役が回って来なくて

役柄の幅的には激狭だったのは残念でした。

 

 

鶴田浩二さんは健さんの一世代前の60年代仁侠映画での「英雄」でしたなラブラブ

私的には山田太一さん脚本のNHKドラマ「男達の旅路」の吉岡役が忘れられません。

 

 

待田京介さんは端整なお顔立ちで70年代ヤクザ映画ではよくお見かけしますラブラブ

ベビーフェイスと悪役が半々ぐらいの思い出!?

待田さんは早く役者を引退されたので晩年の姿は無くこのイメージのままです。

 

後ろは山城新五さん。

山城さんはクイズ番組「アイ・アイゲーム」でのチョメチョメが印象度大。

 

 

山本麟一さんも当時のヤクザ映画では脇役級で大活躍ラブラブ

悪役が八割方かなはてなマーク

 

左は八名信夫さん・・・若いクラッカー

プロ野球東映フライヤーズの元投手で東映の役者に転身した凄いお方。

 

 

今井健二さんはホンにクドいお顔立ち。

TV時代劇の悪代官・悪商人で定番のお一人べーっだ!

 

 

星由里子さんは東宝の女優さんですね。

私的には加山雄三さんの「若大将シリーズ」のマドンナ役のイメージです。

 

 

北島三郎さんも70年代仁侠映画では結構お顔を拝観いたしますべーっだ!

 

 

この映画は福島県郡山が舞台だそうだけど郡山だと分る風景は無いなぁ汗

これは猪苗代湖の向こうに磐梯山を望む風景富士山

現在の湖南町で撮影でしょうか!!

 

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んでやっと本題・・・

当時の東映ヤクザ映画ではクレジットで「(新人)」と

括弧書きされる女優さんが結構多いです。

 

期待されて無名の新人若手女優さんをそこそこの役柄で抜擢するのですが・・・

その多くは現在では引退され忘れ去られた女優さんですが、

偶に!!と思う方もいらっしゃいます。

 

 

「昭和残侠伝 破れ傘」では檀ふみさんのお名前がベル

檀さんは「最後の無頼派」と称された文豪檀一雄先生の御令嬢であります。

 

 

当時19歳の檀ふみさん。

肌がピチピチして若いラブラブ

ティーンエイジャーなので当然でありますがべーっだ!

 

 

まだ「素材」ではありますけど別嬪さんね。

私的には檀さんはNHKクイズ番組「連想ゲーム」での回答者なんだよなぁべーっだ!

 

坪内ミキ子さんや岡江久美子さんと共演していた時代に熱心に連想ゲーム見ていました。

岡江さんのトイメンに座っていた白組回答者が大和でん獏さんで

岡江さんと大和さんが御結婚と聞いて引っ繰り返った思い出が・・・ベル

 

 

極道組織の若衆と恋仲となりアレコレあって死んでしまう・・・ってのは

当時の仁侠映画での新人女優さんの定番の役柄でしたにゃー

 

檀さんが少女時代に暮らしたお宅は西武池袋線石神井公園駅南口の程近く。

石神井公園の通称ボート池の段丘崖の上に建つ豪邸でよく目立っていました。

良いトコのお嬢様だったんですねぇ音譜

 

この豪邸が坂口安吾先生の暴挙「カレーライス百人前事件」の現場ですな。

檀ふみさんが生まれる数年前のエピソードですが。

 

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当時の仁侠映画は予定調和的なワンパターンがお決まりでした。

 

 

昭和残侠伝シリーズではラストで雪が降りしきる中を相合い傘で

高倉健さんと池部良さんが敵対組織に殴り込みかけるのがお決まりの展開。

 

 

当時の池部良さんは「スケベ良」さんと称されるほどモテたようですねにひひ

 

強大で圧倒的な敵対組織に絶望的と思えるような殴り込みを掛けて

目的を果たして破滅する(死ぬ)ってのは、

60年代末頃には当時の全共闘世代には大いにウケたようです。

 

しかし70年代に至るとこのような勧善懲悪的な仁侠映画はようやく陳腐化。

この映画が公開された翌年1973年(昭和四十八年)に深作欣二監督の「仁義なき戦い」が公開され、ヤクザ映画は実録モノと変わっていく事になります。

 

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で・・・1975年(昭和五十年)に公開されたのが

「最後の仁侠映画」と称される「日本仁侠道 激突編」であります。

 

何で当時とすれば時代遅れとも言える仁侠映画を企画・制作したのかはてなマーク

そこには様々なトンデモエピソードがあるのですがそこは割愛ハートブレイク

 

 

この映画の新人女優枠が何と竹下景子さん。

映画初デビューとのことビックリマーク

三択の女王」と称される竹下さんにも当然ながらデビュー作があったわけでドンッ

 

 

渡瀬恒彦さん、高倉健さん、竹下さん、藤間文彦さん。

 

渡瀬さんは後年になって刑事役や優しいお父さん役が定番となりますが・・・

70年代のヤクザ映画では狂犬のような凶暴な若衆役が多かったなぁ

この映画ではこのような狂った若者的役柄をデフォルメした役でした。

 

それから藤間文彦さんは藤間勘十郎さんと藤間紫さんの御子息さんですね。

かなりの美男子ですラブラブ

 

藤間紫さんは市川猿之助さんの再婚相手であり(猿之助さんの前妻は浜木綿子さん)

文彦さんは猿之助さんのプロデューサーとして早く役者業を引退する結果となりました。

 

どーでも良い話ですが、不仲だった猿翁・香川照之親子の仲を取持ったのは

藤間紫さんだったらしい・・・

 

 

大谷直子さんも綺麗な女優さんでしたねぇベル

仁侠映画御出演は珍しい気がします。