国道49号線の旧道を散策する・・・の巻 | 乾パンのブログ

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福島って広い県なのですが、山が多くて盆地が多い土地柄。

その中でも南北に縦断する交通の便は比較的良いのですが、

東西に横断する交通の便は山地を突っ切るので良くないのです・・・

 

その東西を横断する道路で最も重要な路線は・・・国道49号線であることは間違いない。

いわき~郡山~会津~新潟、と日本列島を横断する幹線道路です。

 

 

但し、ほぼ山地の中を突っ切るため、ほとんどの区間が片側1車線の2車線道路ですね。

仕事でいわきから郡山に出るときもR49を使うのですが、

旧道があっちこちに残っていて、なかなか面白いのですラブラブ

 

 

いわき市にある新栄一橋と称する橋梁。

車がいない時を見計らって撮影しましたが、実際はえらく交通量の多い街道です汗

 

 

橋梁から、交通量皆無の橋梁が見受けられて・・・

これは何だろうはてなマークと以前から疑問でしたが、コレが旧道の栄一橋だったんですねひらめき電球

 

 

ココが現道から旧道に入る入口。

Aバリでバリケード封鎖してますなあせる

車は入れませんが、人の出入りは自由ベル

 

 

旧道散策の醍醐味を感じる舗装道路ラブラブ

廃墟の美学ですね。

 

 

左側の幅員減少の注意喚起標識ですが・・・田舎ではありがちですね。

 

 

ココが旧道の栄一橋です。

1953年(昭和三八年)竣工ですが、1985年(昭和六十年)に上記新栄一橋完成と共に放棄。

なんと30年持たなかったんですなハートブレイク

 

大型車のすれ違いが困難で通行上のネックポイントだったためですが、

だったらもうちょっと幅広く作れよパンチ!と言いたいところだけど、それだけ日本の高度成長期における

モーターゼネレーションの速さは予測出来なかったんだろうなぁ

 

 

栄一橋は上路式のワーレントラスですか!!

学生時代にワーレントラスの構造計算をしたことがありますが・・・

 

まるで乱数表のような関数表を用いて手で計算する時代でしたよ叫び

パソコンは日本電気のPC88が最新鋭の時代。

 

当時、関数電卓は既にありましたが5万円位だったかなチョキ

計算尺も現役で使っていた時代だったからなぁ・・・

今の学生さんは計算尺はおろか、バーニア(遊尺)とか読めるのかなぁはてなマーク

 

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いわき市側の長沢峠には国道49号線の旧道が手つかずで残っています恋の矢

 

 

旧街道には古い住宅がよく残っているので一目瞭然です。

 

 

小さな橋梁と国道49号線の国道標識。

 

 

国道標識は角が丸い逆三角形ですから、よく「おにぎり」と称されるようですがニコニコ

茶色く錆びた形状から「焼きおにぎり」として非常に有名ですべーっだ!

 

 

大型路線バスもこの狭い旧街道をクネクネと通り抜けます。

素敵ドキドキ

 

 

東京は土蔵が矢鱈多いのですが、こちらでは花崗岩を用いた「石蔵」が一般的ですねぇにひひ

土と石とではどちらが頑丈かははてなマーク言うまでもないですよね。

東京(江戸)は良質な石材が入手困難な場所だったのかもしれねぇな。

 

 

この旧道を・・・50年前まで大型車が往来していたとはとてもじゃないけど想像できねぇ

まぁ高度成長期以前の日本の物流は、鉄道が主・道路が従、でしたからね。

今では全く想像できませんが汗

 

 

 

旧街道には神社やお寺が多いのも特徴です。

 

 

1934年(昭和九年)建立の小さなコンクリート橋台。

 

 

三和トンネル付近には旧道と旧三和トンネルが残っています。

 

 

旧トンネルはフェンスで封鎖されているようですが・・・

この路を昔は誰が通っていたのかはてなマークを妄想するのがスコブル楽しいのです得意げ