天王洲銀河劇場で「ニジンスキー」を観る4/29 | 乾パンのブログ

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27日に引き続いてですが、天王洲アイルにある天王洲銀河劇場まで東山義久さん主演「DANCE ACT ニジンスキー~神に愛された孤高の天才バレエダンサー~」を観に行きました走る人

これで今回4回目、初演と合わせたら9回目の観劇・・・




昨日も午前中は仕事で現場に出ていまして・・・
間に合うかどうか微妙でしたが、やっとこ14時開演に間に合いましたべーっだ!

真ん中前方と良い席だったのですが・・・早起きして「肉体労働」だったため、少し寝てしまいましたショック!
舞台の出来というか印象度とすれば、この前に観た方がより良かったように感じましたが・・・
でも舞台(芸術)って主観そのものだし、受け手の感情や体調により影響してしまうんでしょうねぇ


先ず気が付いたのは、一幕ラストの糸操り人形的振付場面ですが、あれが「春の祭典」なんですね。
理解していませんでした(*_*)



「春の祭典」ニジンスキー演出(1913年)版を観ると・・・何となく振付が似ている様な気がしますが、
ちょっと分かりません。
しっかし、クラシックバレエしか知らない人に、このバレエは・・・モダン過ぎるぞビックリマーク
観た観客が、誰も理解できずに終幕しても「シ~ン・・・」となってしまったのも仕方がないか・・・

それと・・・このソロの場面ですが、当初はニジンスキーの妹ニジンスカが演じるはずだったのが、
彼女が妊娠してしまったため、別の女優さんが演ずることになった。
最初に模範演技としてニジンスキーがこの振りを踊ったのですが、この出来が神業級に素晴らしく、
その女優のダンスは「劣化コピー」だったというエピソードが残っています。

でもさ・・・ニジンスカが「春の祭典」を踊っていれば、彼女の人生も変わっていたかもしれません。




観る度に感じるのは、ヤンさん(安寿ミラ)のダンスの素晴らしさクラッカー
燕尾服で踊る場面ですが、指先の演技が堪らなく美しさのです。
宝塚の男役さんってこう踊るのか・・・とね。

私の目の前で踊っていましたが、もう鳥肌立ってさガーン
拍手したかったのですが、周りが拍手してくれないとできない気弱な私(^▽^;)


終演後に、岡幸二郎さんと、安寿さん、遠野あすかさん、舞城のどかさんのトークショーがありました。
宝塚OG3人と、宝塚を「身体検査」で落とされた(と言っていた)岡さんヽ(゚◇゚ )ノ

いろいろ話してくれましたが・・・

ヤンさんが、オレンジの場面が「キモイ」と言って行っていましたが、まぁそりゃそうだ。
見慣れると何でもないのですが、確かに異常な場面ですねぇ

それから岡さんが出遅れそうになった話(;^_^A
タキシードの袖口からシャッツを1.5cm見せること、それができないなら、シャッツを袖口に縫いつけろビックリマークと大浦みずきさんが説教したと。
岡さんって結構若いんだ(^_^;)と共に、大浦さんの舞台に賭ける真摯な気持ちも感じる話でした。

あすかさんのお話では・・・
「初演では分からなかったことが再演では分かってきた。荻田先生ですら初演は分かっていなかった。」にはちょっと笑っちゃった。
初演では荻田先生ですら理解していなかったのだから、私が初演をみて理解不能に陥ったのも
仕方がなかったんだと・・・

それから「ロモラはニジンスキーと共に『大女優』であるロモラの母親にも劣等感を抱いていた、それを初演では分からなかった」には、なるほど!!

実を言うとロモラの言うことは信用していなくて、確かに「母は大女優でしたから・・・」というセリフは所々ありましたが、それはロモラの自虐でありアイロニーだと思っていました。

でも、本当にロモラの母はハンガリーの『大女優』だったようで・・・
そしてロモラは彼女自身が語るほど、金銭的に貧困ではなかった。
でなければ、ニジンスキーを追っかけて、世界中を巡ることはできなかったですからね。

ただ精神的貧困に悩まされたのは確かなようですが、それを満足する手段が
「ニジンスキーを精神的にも肉体的にも手に入れること」
大した女性だわなぁ・・・ロモラは。

この舞台は「予習」が重要とばかりに「ニジンスキーの手記」の ロモラ版と完全版を読み直そうと試みましたが・・・



ページをめくることを拒否してしまう文章しょぼん
「私は○○だ」といった短い文節が延々と続くのですが、その内容は支離滅裂で理解し難い。
これを読んで「ニジンスキーを理解したビックリマーク」という人がいれば、その人は「精神が病んでいる人に違いない」と思ってしまう内容です。


ロモラ版に載っている挿絵で印象的だったのが、



タマラ・カルサヴァナとディアギレフ、ニジンスキーのスリーショットの写真。
キャプターには1929年とありますが、実際は1928年、ディアギレフの死の前の年。

舞台の「死後の場面」でディアギレフが述べているように、精神を侵されたニジンスキーを回復させようと、舞台に連れ立って観劇しに行った時の一場面。

バレエ・リュス時代のニジンスキーのパートナーであり、ディアギレフさえも認め、ほのかな恋心すら抱いていたと言われるカルサヴァナ。
彼女も当時の舞台の衣装を着て、ニジンスキーの記憶を取り戻そうと努めています。
ニジンスキーは・・・にこやかですが、当時の彼は喋ることすらできない状態だったというのが悲しい。

それと・・・
ニジンスキーとロモラの二人目の子供にロモラがタマラと名付けたのも、
ロモラの「ニジンスキーの記憶を取り戻したい」という思いだったと私は思いたい。
ただし・・・タマラはニジンスキーではなく、フレンケルとの間の子であるというのが定説ですがね。


P.S.



「牧神の午後」もホントに分からないんだけど・・・
前衛的なんだと感じるけど、宝塚では「ドンブラコ」をやっていた頃なんだっけはてなマーク
何だかなぁ・・・ニジンスキーさん