震災後、初めて気仙沼に行ってきました。


登米市から気仙沼に行くには、いったん岩手県を通ります。

国道346号線は、ずっと山道。

震災前と、ほとんど変わらない景色が続きます。


そして、国道45号線に入ろうとする直前、

景色は、地獄絵図になります。


私の感覚で言うと、山間の地域なのに、

瓦礫だらけの光景が広がっていました。


川を、津波が上って来ていたのです。


気仙沼市は、坂道が多い町です。


なので、少し高い所に行くと、何でもない光景があり、

ちょっと坂を下ると地獄の光景。

頭の中がぐるぐるするほど、目の前の景色が変わります。


最初に伺ったのは、ベル・ジュバンスの美容師仲間のお宅。


気仙沼魚市場近くにあったお店は流失し、

ご自宅も床上浸水。


でも、畳をどけたお部屋で、即席の美容室を開いていました。


その方は、前日の電話で「生魚を食べたい!」とおっしゃっていたので、

イヴさんおススメの登米市のお魚屋さんから購入した

マグロのお刺身と、アサリをプレゼント。


「うわ~、すごいすごいビックリマーク

私、刺身が食べられるんだビックリマーク

アサリ汁も食べられるんだビックリマーク

うわ~、生きてて良かった音譜

子供の様に、ぴょんぴょんジャンプしながら喜んで頂きました。


そして、皆さまからの義捐金で購入したお花の鉢植えをお渡ししました。


実は、気仙沼に向かう前に立ち寄ったホームセンターで、

アジサイの鉢植えを購入していたのです。


「気仙沼には花なんて無いんだよ。

このお花を見たら、みんな、和むよね・・・」


ちょうど彼女のお客様もいらしていて、

避難所暮らしのその方も、喜んで下さいました。


その後、他の場所にも立ち寄り、

アジサイをお渡しし、帰路につきました。


アジサイは、被災地に彩をお届けするツールになりました。


アジサイって、紫陽花って書きますよね、

「しようか」って読むでしょ。


「〇〇しようか!?」に繋がるから、とっても良いよねぇラブラブと、

私達は、勝手に盛り上がりました。


気仙沼は、半壊のお宅も多く、

道路の脇には、濡れてしまった畳が沢山重ねられていました。


畳の上にヘドロ、

その畳を剥がすと、畳の下にもヘドロ・・・

そんな状態だそうです。


南三陸町は、ほとんどのお宅が全壊。


畳を剥がしている光景は、見たことがありません。

だって、剥がす畳すら残っていないのですから。


全壊は全壊で大変、

でも、半壊のお家をどうにかするのは、もっと大変かもしれません。

体力的にも、時間的にも、

そして何より、精神的にも。



それが南三陸町と気仙沼の違いでしたが、

もう一つ、

大きな違いがありました。


何だと思われますか・・・?


それはね、

町の中を漂う、におい。


気仙沼の方がこのブログをご覧になったら叱られるかもしれませんが、

気仙沼は、臭いのです。


日本有数の港町ですから、南三陸町の漁港とは規模が違います。

船の大きさも違えば、蓄えられていた重油の量も違うでしょう。

それに、冷凍庫等にあった魚の量も、まるで比べ物にはならないでしょう。


それらが津波で流されたせいなのか、

とにかく臭いがきつい・・・


ずっと暮らせば、臭いには慣れてしまうのでしょう。

皆さん、マスクも無しで過ごされていました。


このにおいが、

もう少し気温の高い季節になったら、どうなるのか・・・


臭いだけで済むことでは無いかもしれませんよね。


被災地の課題も、


被災者の要望と同じくらい、


刻々と変化するのかも知れません。



ところで、ホームセンターで、アジサイを買う時に思ったこと。

被災地に運ぶからと言って、

そこにあるものを全て買うのは、どんなもんかなぁ・・・

たとえ花でも、「買占め」の言葉が気になります。


今回も、在庫は、ちゃんと残してきましたよ。