日本人本来の伝統精神とは何か?
 以後、日本古来からの日本人固有の精神性について、時折りふれてゆくことにするが、ここでは外来宗教であるキリスト教や仏教、儒教とは異なる日本固有の精神性について述べていきたい。
 一般的に日本人は、他の民族以上に、相手に対する「思いやり」や、「おもてなし」を行う心を持っている民族とされている。
 これは西欧諸国の「ホスピタリティ」とはまったく異なるのは、日本人が海外に行けばわかるだろう。大陸では見ず知らずの他人に対しては、例えば店に訪れた客といえども、包装紙に包んだり、客を待たせるような失礼な行為を経験することが少なくない。これは「歓待」や「サービス」の精神性が、日本とは異なるせいである。
 西欧社会では自分の「ゲスト」(客)がいて、「ホスト」(主人)が自分が主役として振る舞うのが西欧の歓待の心である。中国や韓国でも、相手を自分の仲間や友人として認めるという「友好」の精神が、彼らの歓待の精神性だ。つまり、大陸社会では、自分という「個」がまず最初にあり、自分に余力があるからこそ、相手にサービスを振る舞うという考え方だ。
 しかし、日本では、相手と「同化」して振る舞うことを、本当の「思いやり」や「おもてなし」と呼ぶ。
 例えば、ボランティア支援に出かけた私は今回の東日本大震災の被災地で、その日の宿の手配やお金の不足を現地の人に大変気遣われた。私の尊敬する陸上自衛隊の荒谷卓・明治神宮至誠館館長は、東北でおにぎりなどの食料を渡そうしたおばあちゃんから、なけなしのお札を手渡されて、大変驚いたという。
 たとえ世界の人々が驚くような凄まじい震災が起きても、このように日本人は相手のことからまず考える。これが本来の日本人の精神性なのである。ちなみに、この「思いやり」は、キリスト教国の「ホスピタリティ」や、儒教国の「義と礼の精神性」、仏教国の「慈悲の心」とも、まったく異なる。
 つまり、日本人たちは、我が身と我が心を以て相手に成り代わり、相手の身と心に同化させてしまう精神性として振る舞っているのだ。このような独特のサービス精神、つまり日本人の「おもてなしの精神性」は、世界広しといえども、先進諸国ではいまや日本しか見当たらない。日本がサービス産業でおいて最も通用するのも、この思いやりやおもてなしの精神性を持つからなのである。
 これは実は、日本の神道の精神性なのである。神道には、包容同化の精神というものがあり、相手を自分の懐に包み込むように、同化してしまうという考え方がある。いや、「在る」のではなく、「成る」という精神性だ。
 確かに、世界中の人に「情け」や「慈悲」の心はあるだろう。しかし、それを振る舞う側も受ける側も、同じ精神世界でまず相手と心の底から通じ合い、自分の誇り(プライド)を保ったまま、相手の心と自分の心を同化させてまで、何とかもてなそうとするという高貴な精神性になれるのは、日本人しか有しない。
 繰り返すようだが、これはインド仏教やキリスト教、儒教によるものではなく、古来の日本人が、「神に通じる心」として培ってきた神道の伝統的精神性によるものなのだ。