拝啓、音楽家様 | 音楽で生きてみんべ!と思いました。

拝啓、音楽家様

私の予想する音楽の未来。


高確率で来たる未来。




プレイヤー主体、またはテクニック主体になっていくと思います。


昨今の音楽業界は「売れセン」を作れば何らかの形(例えばテレビなど)で使えてもらっていた。


音楽の売上はプレイや表現した思想、つまり音楽の持つ純粋な評価よりそういったタイアップによる付加価値が大きな割合を占めている。


これが業界の荒廃に繋がったと思う。



昔は音楽そのものが良くなければ売れない。ということは周知の事実であった。


だからプレイヤーやクリエイターは他にはない、自分自身の音楽を必死で模索した。そして努力をした。


プレイのテクニックにおいてもそうだ。少しのミスも命取り。全て自分の評価に跳ね返ってくる。


並以上であることが前提であった。



しかし、今はどうだろう?


機材やコンピュータの発達でギターを持たなくてもピアノが弾けなくても音楽は作れる。


並以上の力は必要なくなった。


そして巨大化した付加価値というパッケージにくるめば、ほらできあがり。



でも、みんな気づいてきた。


何かおかしいくね?


音楽ってこんなつまらないものだったっけ?


そういえば最近はギターヒーロー的な存在が出現しなくね?


最近、一昔前の名曲が良く流れてない?


そもそも、音楽番組見てる?え?トークがメインだって?


・・・




我々は負けない。


異常に肥大してしまった付加価値に負けない。


音楽本来の価値を、存在意義を取り戻す。




その方法は、まず鈍ってしまった感性を研ぎ澄まそう。


並以上、あわよくばそれ以上の力を鍛えよう。


テクニックに回帰しよう。




付加価値を失った音楽は正直言うと、これっぱっかしも儲からないであろう。


最初はそれでもいい。


3000円近く出しても手に入れたいと思うほども音楽を作れば、またCDを買ってくれる人が増えてくるだろう。


そしてもう一度音楽はその輝きを取り戻すのだ。




この課程で多くのアーティストが淘汰されるだろう。


ちっとも儲からないし、テクニックにも行き詰まる。新しいアイデアも浮かばない。


ミュージシャン志望の人間は減っていくだろう。


その屍の上にもう一度、作り上げようではないか。


音楽が真に必要とされる世の中を・・・。




私は神奈川の片田舎でフレットレスベースを弾くよ。


打ち込みや、並のプレイヤーには真似の出来ない実力とテクニックを身につけるよ。


私も屍になり、誰かに踏み倒されてしまうかもしれない。


それでもいいのだ。私が踏み台になることで、彼らが音楽を押し上げてくれる。それでいい。




この文章を読んで賛同してくれる人がたくさんいればいいのにな・・・。